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第1話 無能力サポート、天使に拾われる


 東京都ダンジョン区では、放課後に命を張る高校生が珍しくない。


 制服姿のままゲートへ向かう生徒。

 配信用ドローンを背負った生徒。

 スポンサーのロゴ入りジャケットを着て、駅前でファンに手を振る生徒。


 初めて見たとき、稲垣徹は思った。


 ――東京、怖っ。


 千葉県習志野市から引っ越してきた身としては、放課後の高校生が「今日カラオケ行く?」くらいのノリで「今日第五層行く?」と言っている光景は刺激が強すぎた。


 しかし、人間は慣れる。


 三か月も経つと、魔物素材を背負った高校生とすれ違っても、「お疲れさまです」と思う程度にはなった。


 慣れとは怖い。


 ただ、いまだに慣れないものもある。


 駅前の大型ビジョンだ。


『《天使》マリー、第十三層単独突破!』

『神剣ヴァリアント、今日も火力が限界突破!』

『登録者四百万人目前! 次回配信は今夜二十時!』


 巨大な画面の中で、白いコートを翻した少女が笑っていた。


 腰まで届く光の剣。

 舞い散る白い羽根のようなエフェクト。

 画面を埋め尽くすコメント。


『天使きたあああああ!』

『今日もかわいい!』

『マリー様、一生ついていきます!』

『神剣ヴァリアント、相変わらず運営に怒られる火力』


 少女は巨大な魔物を見上げ、余裕たっぷりに剣を肩へ担いだ。


『その程度で、私の前に立つつもり?』


 次の瞬間、魔物は一撃で両断された。


 《天使》マリー。


 ダンジョン配信界のトップスター。

 神剣ヴァリアントに選ばれた、最強クラスの高校生攻略者。

 白い衣装と圧倒的な戦闘力から、ファンにそう呼ばれている。


「……すげえなあ」


 徹はコンビニ袋を片手に、素直に呟いた。


 徹も、マリーの配信は欠かさず見ている。


 強い。

 派手。

 かわいい。

 そして、見ていて気持ちがいい。


 自信満々で、勝気で、絶対に負けない。


 画面を開いただけで分かる。

 この人なら勝つ。

 この人なら何とかする。

 この人なら、地獄みたいなダンジョンでも最後には白いコートを翻して笑っている。


 そう思わせる説得力があった。


 羨ましくないと言えば、嘘になる。


 けれど、自分もああなりたいかと聞かれると、少し違う。


 徹はダンジョン区外の出身だ。


 ダンジョン区で生まれ育った一部の子供は、ダンジョン内限定で特殊能力を発現する。


 魔法。

 身体強化。

 武器適性。

 魔道具適性。


 つまり、主人公っぽいやつである。


 だが、区外出身の徹には何もない。


 火も出せない。

 剣も光らない。

 走っても普通に息が切れる。


 なんなら体育の持久走では、中盤で人生について考え始めるタイプだ。


 だから徹は、自分が主役側の人間ではないことを知っている。


 知っているし、特に困ってもいなかった。


 自分にできることをやればいい。


 荷物を持つとか。

 段取りを組むとか。

 人が嫌がる作業を先に片付けるとか。


 そういう、地味だけど誰かがやらないと現場が詰む仕事。


 徹はそういう仕事が、嫌いではなかった。


「やば。バイト遅れる」


 大型ビジョンから視線を外し、徹は歩き出した。


 憧れは画面の向こう。

 自分はコンビニのレジの向こう。


 世界は案外、きっちり分かれている。


 そのときの徹は、そう思っていた。


     ◇


「徹ー、今日シフト入ってる?」


 翌日の昼休み。


 教室で弁当を食べていると、クラスメイトの三枝蓮が声をかけてきた。


「入ってる。六時からコンビニ」

「そのあと?」

「ファミレス」

「お前の放課後、労働基準法に怒られない?」

「高校生の財布事情をなめるな」

「遊べよ」

「遊ぶ金を稼いでる」

「遊ぶ時間は?」

「ない」

「詰んでるじゃん」


 三枝は身体強化系の能力者で、放課後に浅層ダンジョン配信をしている。


 明るくて、顔が広くて、ノリが軽い。

 徹とは、引っ越してきてからすぐに話すようになった。


「で、徹。今日、二時間だけ空けられない?」

「内容による」

「ダンジョン」

「却下」

「早い早い」

「俺、能力ないぞ」

「知ってる。戦えって言ってない。サポート」

「サポート」

「荷物持ち、素材回収、配信ドローン管理、コメント確認、撤退補助」

「それはサポートじゃなくて便利屋では?」

「日当出す」

「いくら」

「一万」

「行く」

「判断が早すぎて怖い」

「今、俺の中で夢と現実が戦って、現実が圧勝した」

「夢、弱っ」


 三枝は笑いながら両手を合わせた。


「いや、マジで助かる。いつものサポートが熱出してさ。お前なら荷物の管理とか絶対うまいと思って」

「根拠は?」

「バイトで鍛えた現場力」

「便利な言葉だな、現場力」

「あと、お前、嫌な作業でも文句言いながらやるだろ」

「文句は言うのか」

「言う。でもやる」

「否定できないのが腹立つ」


 徹は弁当箱を閉じた。


 目立つのは攻略者だ。


 魔物を倒し、深部へ進み、配信で歓声を浴びる。


 けれど、後ろで荷物を運ぶ人間がいなければ、攻略者は長く動けない。

 素材を拾う人間がいなければ、収益も減る。

 撤退路を確認して、バッテリー残量を管理する人間がいなければ、配信は事故る。


 徹にできるのは、それくらいだ。


 でも、それくらいはできる。


「危ない階層には行かないよな?」

「行かない行かない。四層まで。浅層」

「顔出しは?」

「嫌なら隠すけど」

「別にいい。困るほど有名じゃない」

「将来バズったら?」

「そのとき考える」

「雑だな」

「人生、全部事前に考えてたら疲れるだろ」


 三枝は親指を立てた。


「さすが、ダンジョン内のさしすせそ」

「何それ」

「必須品」

「調味料扱いか」

「でもないと困る」

「せめて人間として褒めてくれ」


 こうして稲垣徹は、初めてダンジョンに入ることになった。


 理由は、日当一万円。


 夢がない。


 だが現実はある。


     ◇


 東京都ダンジョン区、第一ゲート。


 そこは、巨大な駅ビルのような施設だった。


 改札に似た認証ゲート。

 探索者ライセンスの確認。

 装備品チェック。

 配信用機材の登録。

 救護班の待機所。

 素材買取カウンター。


 そこらじゅうに「夢」と「商売」と「命の危険」が雑に同居している。


 徹はゲート前の注意書きを見た。


『無理な攻略はやめましょう』

『撤退判断も攻略技術です』

『配信映えより命を優先』


「最後、標語にするくらい事故ってるんだな」

「まあ、たまにいるからな。コメントに煽られて突っ込むやつ」

「コメント欄に命を握らせるな」


 三枝のパーティーは四人。


 前衛の三枝。

 魔法役の女子、相沢。

 盾役の男子、片桐。

 そして臨時サポートの徹。


 三枝から予備バッテリーの入ったケースを渡される。


「これ持って」

「はいよ。こっちは?」

「回復薬」

「割れ物?」

「高い」

「一番先に言え」


 徹は荷物の配置を変えた。


 重い物は背中側。

 すぐ使う物は外ポケット。

 壊れやすい物はタオルで挟む。

 回収用の袋は取り出しやすい位置。

 予備バッテリーは熱を持ちすぎない場所。


「お前、本当に初ダンジョン?」

「入るのは初めて」

「落ち着きすぎじゃね?」

「初めてのバイト先の方が緊張した」

「ダンジョンよりバイトの方が上なの?」

「初日の店長、魔物より怖かった」

「何があったんだよ」


 ダンジョン第一層は、思ったより明るかった。


 石造りの通路。

 壁に埋め込まれた魔石灯。

 観光客向けの案内板。

 ところどころに監視カメラまである。


 魔物が出る場所というより、整備された地下テーマパークに近い。


「浅層は安全確認済みだから、そんなにビビらなくていいぞ」

「ビビってない。床が滑るか見てる」

「そこ見るんだ」

「転んで回復薬割ったら赤字だろ」

「命より金?」

「命も金も大事」

「欲張り」

「堅実と言え」


 配信はすでに始まっていた。


 小型ドローンが前方を飛び、三枝たちを映している。

 徹は画角を確認しながら、コメント欄を横目で見る。


『今日サポート違う?』

『新顔いる』

『荷物持ちくん?』

『がっしりしてるのに後衛なの草』

『サポートくん、カメラ見やすい』


「徹、褒められてるぞ」

「そりゃどうも。三枝、三歩右。顔に影入ってる」

「配信慣れしてない?」

「マリーの配信で勉強した」

「ガチ勢じゃん」

「否定はしない」

「推し?」

「推しというか、すごいものはすごい」

「真面目か」

「あと普通にかわいい」

「急に男子高校生に戻るな」


 徹は、マリーの配信が好きだった。


 あの圧倒的な強さ。

 自信満々な態度。

 派手な決め台詞。

 そしてたまにコメントで褒められると、ほんの一瞬だけ得意げになるところ。


 あれがいい。


 たぶん本人は隠しているつもりなのだろうが、全然隠れていない。


「今日は臨時サポートに、クラスメイトの稲垣徹に来てもらってます。能力はないけど、現場力はあります」

「紹介が雑」

「何か一言」

「稲垣徹です。ユーザーネームは今日はトオルで。戦闘はできません。荷物は持ちます」

『正直w』

『荷物は持ちますw』

『トオルくんよろしく』

『無能力サポート枠か』

『逃げ足には期待』


「逃げ足に期待されてるぞ」

「期待に応えたくないな」

「サポートとしては大事」

「逃げるときは全員で逃げよう」


 第四層に入ったあたりで、空気が変わった。


 通路は狭くなり、湿った匂いが強くなる。

 足音の反響も複雑になった。

 壁の魔石灯も、第一層より少し暗い。


 徹は端末の地図アプリを確認しながら、歩いた道を頭に入れていく。


「三枝、右は戻り道」

「え?」

「さっき壁に三本傷あったろ。同じ傷がある。緩く回ってる」

「よく見てんな」

「迷ったらバイトに遅れる」

「理由が現実的すぎる」


 左の通路へ進むと、小さな広場に出た。


 そこにいたのは、狼型の魔物が三体。


「来るぞ!」


 三枝が前に出た。

 身体強化で踏み込み、一体目を斬る。


 相沢の火球が二体目を吹き飛ばし、片桐が盾で三体目を受け止めた。


 徹は後ろに下がりながら、ドローンの角度を変える。


「三枝、左寄りすぎ。片桐が映ってない」

「今それ!?」

「配信だろ」

「そうだけど!」

「相沢、火球撃つ前に一歩右。顔が隠れる」

「私も!?」

「せっかくなら映えた方がいい」


 戦闘はすぐに終わった。


 徹は素材回収用の手袋をつけ、魔物の落とした牙と小さな魔石を拾う。

 拾う前に状態を確認し、汚れを落とし、袋を分ける。


「手際いいな」

「コンビニの揚げ物補充より簡単」

「絶対違うと思う」

「少なくとも狼は『ファミチキください』って言わない」

「比較対象がずっとコンビニなんだよな」


 コメント欄が流れる。


『荷物持ちくん有能』

『素材回収早い』

『三枝、逃がすなよ』

『トオルくん、ダンジョン内のさしすせそじゃん』

『さしすせそ?』

『必須品ってことだろw』


「おい、あだ名広がってるぞ」

「三枝のせいだろ」

「必須品って意味だから褒めてる」

「せめて人間として褒めてくれ」


 そのときだった。


 地面が、低く震えた。


 笑っていた三枝の顔が変わる。


「……今の、何だ?」

「大型の足音っぽいな」


 徹は通路の奥を見た。


 暗い。


 だが、何かが来る。


 一歩。

 また一歩。


 重く、硬い音。


 コメント欄の空気が変わった。


『揺れてない?』

『奥から何か来てる』

『警報出てる?』

『これ浅層の音じゃなくね?』

『逃げた方がいい』


 暗がりから現れたのは、巨大な甲虫型の魔物だった。


 車ほどの胴体。

 金属のような外殻。

 鎌みたいに鋭い前脚。

 赤く光る複眼。


 徹でも分かる。


 これは、三枝たちが相手をしていい魔物ではない。


「アイアンマンティス……?」


 三枝の声がかすれた。


「なんで四層にいるんだよ」


「勝てる?」

「無理」

「了解。逃げよう」


 徹は即座に言った。


「判断早っ」

「勝てない敵と戦う趣味はない」

「少年漫画なら怒られるやつ」

「俺は少年漫画の主人公じゃない」


 だが、アイアンマンティスは速かった。


 巨体に似合わない動きで跳び、片桐の盾に前脚を叩きつける。


「ぐあっ!」


 片桐が吹き飛んだ。


 相沢が悲鳴を上げる。

 三枝が前に出るが、剣は外殻に弾かれた。


『やばいやばい』

『中層モンスターだぞ!』

『運営に通報した』

『逃げろ!』

『これ事故配信になるぞ』

『サポートくん、撤退指示!』


 徹は息を吸った。


 さっきまでの軽口が、頭の中から消える。


 片桐は足を痛めている。

 相沢は混乱。

 三枝は時間稼ぎが限界。


 来た道は塞がれている。

 正面突破は無理。

 アイアンマンティスは巨体だが、狭い道では動きが鈍る。


 徹は地図を見た。


 さっきのループ通路。

 狭い階段。

 深い亀裂。

 崩れかけた柱。


 使える。


「三枝!」

「何だよ!」

「二十秒稼げ!」

「キツい!」

「じゃあ十五秒!」

「それなら何とか!」

「値切れるんだ」

「命の値切り交渉するな!」


 徹は片桐の方へ走った。


「片桐、立てるか?」

「無理、足やった」

「じゃあ担ぐ。相沢、煙出せる?」

「え、えっと」

「出せるかだけ答えて」

「出せる!」

「よし、後ろに撃って。火力はいらない。視界を切るだけでいい」


 徹は片桐の腕を肩に回した。


 重い。

 盾も邪魔だ。

 背中の荷物もある。


 でも、持てない重さではない。


「三枝、下がれ! ドローン突っ込ませる!」

「高いやつだぞ!?」

「命よりは安い!」

「それはそう!」


 徹は配信用ドローンを手動操作に切り替え、アイアンマンティスの顔面へ飛ばした。


 アイアンマンティスが反応する。

 鎌がドローンを切り裂く。


 その一瞬で、三枝が後退した。


「こっち!」


 徹は全員を狭い階段へ誘導する。


 アイアンマンティスが追ってくる。

 だが、階段の幅が足りず、巨体が壁にぶつかった。


「そのまま走れ! 亀裂を越えたら右!」

「お前は!?」

「片桐置いて逃げる趣味はない!」

「今ちょっと格好よかったぞ!」

「実況するな、走れ!」


 徹は片桐を半ば引きずるように進んだ。


 息が切れる。

 肩が痛い。

 背中の荷物が重い。


 それでも足は止めない。


 自分にできることはこれくらいだ。


 なら、やる。


「跳べ!」


 三枝と相沢が亀裂を飛び越える。

 徹は片桐を先に押し出し、自分も続いた。


 着地と同時に、背後で金属が軋む音がした。


 アイアンマンティスの脚が亀裂に落ちたのだ。


「相沢、柱!」

「分かった!」


 相沢の火球が、崩れかけた柱に命中する。


 天井の一部が崩れ、石材がアイアンマンティスの背に降り注いだ。


 轟音。

 砂埃。

 悲鳴。


 魔物の動きが止まった。


「……やった?」


 三枝が呟いた。


「言うな。そういう台詞はだいたいフラグだ」


 徹の予感は当たった。


 瓦礫の中から、鎌が持ち上がる。


 アイアンマンティスは、まだ生きていた。


「マジかよ」

「ごめん、俺のせい?」

「九割くらい」

「重い!」


 ここまでやって足止め。

 討伐には届かない。


 全員、もう走れない。

 次に追いつかれたら終わりだ。


 コメント欄が悲鳴で埋まる。


『誰か救援!』

『運営まだ!?』

『これ本当に死ぬぞ』

『サポートくん頑張ったのに』

『トオルくん、もういいから逃げて』


 アイアンマンティスが、鎌を振り上げた。


 その瞬間。


 通路の奥から、白い光が走った。


 徹は一瞬、配信画面を見ているのかと思った。


 違う。


 本物だ。


 白いコート。

 輝く剣。

 自信に満ちた足取り。


 《天使》マリーが、そこにいた。


 彼女はアイアンマンティスを見て、鼻で笑った。


「なにそれ。私の配信に乱入するには、ちょっと地味じゃない?」


 コメント欄が爆発した。


『マリー!?』

『本物きたあああああ!』

『天使!』

『助かった!』

『この安心感よ』

『勝ち確BGM流れた』


 マリーは剣を肩に担ぎ、こちらをちらりと見た。


「怪我人は?」

「一人、足をやってる!」


 徹が答えると、マリーは頷いた。


「じゃあ、十秒で終わらせる」

「十秒?」

「長い?」

「いや、短い」

「なら五秒」

「命の現場でタイムアタックするな」


 マリーは、ふっと笑った。


「いいツッコミね。嫌いじゃないわ」


 アイアンマンティスが跳んだ。


 速い。

 重い。

 さっきまで徹たちを追い詰めた一撃。


 だが、マリーは一歩も引かなかった。


「遅い」


 神剣ヴァリアントが、白く輝く。


 マリーの姿が消えた。


 次の瞬間、アイアンマンティスの巨体が真っ二つに割れた。


 切断面から光の粒が散り、魔物は灰になって崩れていく。


 静寂。


 そして、遅れて歓声が来た。


『一撃www』

『知ってた』

『マリー様ああああ!』

『天使! 天使!』

『強すぎて笑う』

『今日も世界一かわいい!』

『助けてくれてありがとう!』


 マリーはコメント欄を見て、満足そうに口元を緩めた。


「ふふん。当然でしょ。私が来たんだから」


 その顔は、心底楽しそうだった。


 徹は思わず笑った。


 画面の中と同じだ。

 いや、画面の中よりずっと眩しい。


 自分に不可能なんてない。

 そう本気で思っているみたいな立ち姿。


 これが、最強攻略者。

 これが、《天使》マリー。


「そこのサポート」


 マリーの視線が徹に向いた。


「はい?」

「今の撤退指示、あなた?」

「まあ、一応」

「名前は?」

「稲垣徹。今日はトオルで出てる」

「初めて見る名前ね。どこのチーム?」

「今日だけの臨時」

「臨時?」


 マリーの眉が少し上がった。


「初めてで、あれをやったの?」

「初ダンジョンではあるけど、荷物運んで、逃げ道見て、できそうなことをやっただけだから」

「それができない人の方が多いのよ」


 マリーは徹の足元から背負った荷物まで、じっと見る。


「能力は?」

「ない。区外出身だから」

「ふうん」

「残念ながら、剣も光らないし、火も出ない」

「荷物は?」

「持てる」

「素材は?」

「拾える」

「撤退判断は?」

「たぶんできる」

「のど飴は?」

「急に何?」

「大事よ。配信者は喉が命なの」

「戦闘より先に喉の話するんだ」

「強者は喉も管理するのよ」

「名言っぽく言ってるけど内容はのど飴だぞ」


 マリーは満足そうに頷いた。


「いいわね」

「何が?」

「ツッコミの反応速度」

「そこ?」

「もちろんサポート能力も見てるわ」


 三枝が慌てて口を挟んだ。


「でも徹、めちゃくちゃ使えますよ! 荷物持ちも素材回収も早いし、カメラも見やすいし、撤退判断もできるし」

「三枝、褒めるなら日当も上げろ」

「命助かったあとに金の話する?」

「大事だろ」

「大事だけど!」


 マリーはそのやり取りを見て、少しだけ笑った。


「いいわね。無理に格好つけないところ」


 マリーは徹の前に立った。


 近くで見ると、思ったより小柄だった。

 けれど、その存在感は大きい。


 何百万人もの視聴者を背負っている人間の顔だった。


「稲垣徹。あなた、私のチームに来なさい」

「……はい?」


 間抜けな声が出た。


 コメント欄が、また爆発した。


『は!?』

『スカウト!?』

『マリーが!?』

『初ダンジョンで人生変わったw』

『サポートくん何者だよ』

『ダンジョン内のさしすせそ、天使に拾われる』

『トオルくん、逃げるな。そこは乗れ』


 徹はマリーを見た。


「いや、俺、戦えないけど」

「見れば分かる」

「能力ないし」

「聞いた」

「目立つの苦手ってわけじゃないけど、主役やるタイプでもないぞ」

「主役は私がやるから問題ないわ」

「すごいな、自分で言うんだ」

「事実だから」

「否定できないのが悔しい」


 言い切る勢いが強すぎる。


 だが、不思議と嫌な感じはしなかった。


 マリーは強い。

 圧倒的に強い。

 そして、自分が強いことを隠さない。


 見ていて気持ちがいい。


「あなたは後ろにいればいい。荷物を見て、素材を拾って、危ないと思ったら言う。できる?」

「それなら、まあ」

「報酬は出すわ」

「具体的に」

「初回は今日の日当の五倍」

「行きます」

「判断が早いわね」

「今、俺の中で夢と現実が再戦して、現実がまた勝った」

「夢、弱すぎない?」

「現実が強すぎる」


 マリーは満足そうに頷いた。


「そういうところも悪くない」


 徹は端末を取り出した。


 まさか、こんなことになるとは思っていなかった。


 朝は学校へ行き。

 昼は友人に誘われ。

 放課後に初めてダンジョンへ入り。

 死にかけて。

 憧れの配信者に拾われる。


 人生、何があるか分からない。


「じゃあ、連絡先」

「はいよ」


 徹はマリーと連絡先を交換した。


 その瞬間、コメント欄に信じられない速度で文字が流れた。


『新メンバー!?』

『サポートくん逃げて、いや逃げるな』

『これは推せる』

『マリー様が楽しそう』

『無能力サポート×最強天使、始まった』

『次回配信いつですか!?』

『のど飴係爆誕』


「のど飴係は嫌だな」

「大事な役目よ」

「せめてサポートに含めてくれ」

「じゃあ、専属サポート兼のど飴係」

「兼任になった」

「昇進よ」

「そうかなあ」


 マリーはカメラに向かって、勝ち気に笑った。


「次回を楽しみにしてなさい。私の攻略は、ここからもっと面白くなるから」


 歓声のようなコメントが画面を埋め尽くす。


 徹はその横顔を見ながら、ぼんやりと思った。


 やっぱり、すげえ世界だ。


 自分とは関係ないと思っていた世界。

 画面の向こうにあるだけだった世界。


 その入り口に、今、自分は立っている。


 ただの荷物持ちとして。

 ただのサポートとして。

 場合によっては、のど飴係として。


 それでも、できることがあるなら悪くない。


 その日。


 稲垣徹の人生は、少しだけ予定外の方向へ動き始めた。


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