第八章 買い取ります
家に電話がかかってきたのは、十月の夜だった。
八時を過ぎていた。テレビをつけたまま、台所で洗い物をしていた。
「宮原清一様のお宅でしょうか」
若い男の声だった。はきはきしていた。
「はい」
「夜分に失礼いたします。わたくし、不動産の調査をしております会社の者です」
会社の名前を言ったが、聞き取れなかった。
「霧生台に、土地をお持ちですね」
わたしは手を拭いた。
「持っています」
「五番地の四と、五番地の五でお間違いないでしょうか」
合っていた。
「いま、あのあたりを探しているお客様がいらっしゃいまして」
「探している」
「はい。まとまった土地をお探しで、高く評価させていただけます」
わたしは、そうですかと言った。
「差し支えなければ、ご相続でお持ちになったものですか」
「そうです」
「ご固定資産税だけかかっている状態ですよね。もったいないです」
もったいない、というところで、声が少し上がった。
「おいくらですか」
「まずは現地を見させていただきまして、境界を確定させていただいてからになります」
「境界」
「はい。杭が古くなっておりますので、測量が必要です。そのあと正式な査定に入ります」
「測量は、そちらで」
「測量費用と、境界確定の費用は、お客様のご負担になります」
そのあと、金額を言った。
聞いてすぐには、高いのか安いのかわからなかった。ただ、納税通知書に書いてある価格より、ひと桁大きかった。
「先に払うんですか」
「お手続きの順番として、そうなります」
わたしは、資料を送ってくださいと言った。
相手は、ありがとうございますと言った。声が明るくなった。住所を聞かれたので、言った。言ってから、言わなければよかったかと思ったが、通知書が届く住所である。
三日後に封筒が来た。
中はきれいなものだった。二つ折りの厚い紙で、写真が入っている。山の写真と、家族の写真と、握手している手の写真だった。
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※測量費・境界確定費用はお客様のご負担となります
最後の一行だけ、字が小さかった。
わたしは、それを持って仏壇の前に座った。
引き出しを開けた。権利証と、納税通知書と、市でもらった審査基準のコピーが入っている。全部が少しずつ増えていて、開けるのに力がいるようになっていた。
権利証の封筒を出した。日に焼けた紙である。
裏に、鉛筆で何か書いてあった。前に見たときには気づかなかった。
数字が二つ並んでいて、そのあとに、四月十四日、とある。
金額らしかった。上の数字に二重線が引いてあって、下に別の数字が書いてある。下のほうが小さい。
父の字だった。
わたしは、しばらくそれを見ていた。
どういうやりとりがあったのかはわからない。値切ったのかもしれないし、値切られたのかもしれない。昭和四十九年の四月に、父は誰かと話して、この二つの数字を書いた。
母は、何も言っていなかった。
わたしは封筒を戻して、引き出しを閉めた。
パンフレットは、捨てなかった。
その週の日曜に、山で和倉さんに会った。
立札の話をしたついでに、電話のことを言った。和倉さんは、聞きながらうなずいていたが、途中で顔を上げた。
「うちにも、来ています」
「寺にですか」
「利用者のかたからです。先週、二件」
和倉さんは、事務所の椅子に座り直した。
「お墓を買い取りますという電話が、かかったそうです」
わたしは、意味がすぐにわからなかった。
「墓を」
「はい」
「買い取れるんですか」
「買い取れません」
和倉さんは、そこで少し口を結んだ。
「お渡ししているのは、使う権利です。売り買いするものではありません。規則にも、譲渡はできないと書いてあります」
「じゃあ、その電話は」
「わかりません。手続きの費用を先にと言われたそうです」
わたしは、自分の封筒のことを思った。
「同じですね」
「同じかもしれません」
和倉さんは、窓の外を見た。
「お一人は、払ってしまわれました」
わたしは何も言えなかった。
「そのかたは、ご主人を五年前に入れたかたです。娘さんが遠くにいて、自分がいなくなったあとのことを心配しておられました」
「それで」
「墓を引き取ってもらえるものだと、思われたようです」
和倉さんは湯呑みを持ったが、飲まなかった。
「引き取る先は、ありません」
わたしは、上の段のほうを見た。窓からは木の下しか見えない。
「知らせたほうが」
「掲示を出します。お参りのかたが読めるところに」
和倉さんは鞄から紙を出した。もう作ってあった。
お心当たりのない電話にはご注意ください、と書いてあった。
「立札の隣ですか」
言ってから、悪いことを言ったと思った。
和倉さんは、いえ、と言った。
「掲示板に貼ります」
十一月に、市民会館で相談会があった。
広報に載っていた。相続と土地の無料相談、と書いてあった。予約がいるというので、電話をして、行った。
長机がいくつか並んでいて、仕切りが立ててある。案内された席にいたのは、五十ぐらいの男の人だった。名刺をくれた。土地家屋調査士と書いてあった。
わたしは、山を国に引き取ってもらえないかと聞いた。去年から、そういう制度ができたと聞いていたからである。
「相続土地国庫帰属制度ですね」
「それです」
「まず、条件がいくつかあります」
男の人は、資料を出した。表になっていた。
「そもそも申請できない土地、というのがあります。ここで引っかかると、審査に入りません」
指が上から順に下りていった。
「建物が建っている土地。担保権や、用益権が設定されている土地。他人による使用が予定されている土地。土壌が汚染されている土地。境界が明らかでない土地」
「三つ目は」
「通路とか、用水路とか、ため池とか。それと、墓地内の土地と、境内地です」
わたしは、資料の字を見た。
墓地内の土地、と書いてあった。
「うちは、墓地です」
「お墓をお持ちということですか」
「いえ、土地が。貸してあって、そこが墓地になっています」
男の人は、ペンを置いた。
「では、二つ引っかかります」
「二つ」
「貸しておられるので、用益権です。それと、墓地内の土地です」
「両方ですか」
「両方です」
そう言って、男の人は資料をこちらへ向けた。
「これは、審査で落ちるのではなくて、申請の段階で受け付けてもらえません。中身を見る前に、だめだということです」
「見てももらえないんですか」
「そうなります」
わたしは資料をもう一度読んだ。理由が書いてあるかと思ったが、書いていなかった。
「なんでですか」
男の人は、少し考えた。
「国が引き取ったあとに、管理の手間がかかるからだと聞いています」
「墓は、手間ですか」
「手間です」
そう言われると、そうだった。
帰りに受付でアンケートを書かされた。相談の内容の欄に、選ぶところがあった。売却、活用、寄付、その他。
わたしは、その他に丸をつけた。
その日の帰り、わたしは自分の区画の前を通った。
五の四と、五の五である。いまは上の段の一部になっている。
五の四のほうは、A区の二一番になった。札が立っていて、名前が入っている。
五の五のほうは、まだ区画になっていない。平らにはしてあるが、番号が振られていない。和倉さんは、上が埋まってから振りますと言っていた。
杭は、まだ草の中にあるはずだった。
二十年前に測量が入ったとき、業者が古い杭はそのままにしていた。抜くと境界がわからなくなるからだと言っていた。
わたしはしゃがんで、木の根元の草を手で分けた。
分けた先に、コンクリートの角が出ていた。上に、五と、四と、彫ってある。文字の溝に土が詰まって、黒くなっていた。
指でこすったが、取れなかった。
その杭の上に、いまは木が立っている。
貸してある。あと十年ある。そのあとどうするかは、決めていない。
売ろうと思ったことは、何度かある。売れないことは、はじめからわかっていた。
土地は、売れないことになっている。




