第七章 立札
和倉さんから電話があったのは、翌年の二月だった。
「未納の区画が、いくつかありまして」
寺から年に一度、管理料の請求を出している。振込がないと、督促の葉書を出す。それでも来ないと、電話をする。電話が通じないと、そこで止まる。
止まったまま何年か経っているものが、五つあるという。
「A区の一二番も入っています」
橋詰さんだった。
三月に、寺で書類を見せてもらった。
A区一二番の綴りには、督促の控えが三枚入っていた。三年分である。いちばん新しいものには、赤いはんこで、あて所に尋ねあたりませんと押してあった。
「息子さんは」
「連絡先が、こちらにないんです」
和倉さんは綴りをめくった。
「使用者はご本人ですから、ご家族の連絡先は、書いていただく欄がありません。当時は」
「いまは」
「いまは、書いていただいています」
和倉さんは、そこで言葉を切った。
「ですが、書いてあっても、変わりますから」
わたしはうなずいた。
「どうなるんですか」
「手続きがあります。市に聞いてきます」
「わたしが行きましょうか」
和倉さんは、いえ、と言った。
「これは、こちらの仕事です」
四月に、和倉さんと二人で市役所へ行った。
戸畑さんは、まだ生活衛生課にいた。三十そこそこだったのが、五十に近くなっていた。髪が薄くなって、声が少し低くなっていた。
「お久しぶりです」
「ご無沙汰しています」
戸畑さんは書類を見て、それから引き出しから一枚出した。
「まず、公告をしていただきます」
「公告」
「官報に載せます。それと、その墓所の見やすいところに、立札を立てて、一年間掲示します」
「一年」
「一年です」
戸畑さんは紙を指でおさえた。
「縁故者のかたに、一年以内に申し出てくださいという内容です。その一年のあいだに、どなたからも申し出がなければ、改葬の許可を申請できます」
「一年待つんですね」
「待ちます」
わたしは、もうひとつ聞いた。
「橋詰さんが、亡くなってるかどうかも、わからないんですけど」
戸畑さんは、わたしのほうを見た。
「わかりません」
「わからないのに、やるんですか」
「わからないから、やるんです」
そう言われて、わたしは黙った。
「生きていらっしゃれば、立札を見た人が知らせるかもしれません。ご親族が見るかもしれません。そのための一年です」
「見る人が、いなかったら」
戸畑さんは、少し間を置いた。
「いなかったことに、なります」
帰りの車の中で、和倉さんは何も言わなかった。麓に入ってから、一度だけ言った。
「立札は、こちらで作ります」
「板ですか」
「板です。杭をつけて」
「字は」
和倉さんはハンドルを持ったまま、少し考えた。
「書ける人が、いないんです」
わたしは、書きますと言った。
板は五月に届いた。
寺の倉庫から軽トラで運んだ。白く塗ってある。四十センチ角ぐらいのものが五枚と、杭が五本。杭のほうは先が尖らせてある。
文面は、和倉さんが紙に書いてきた。市に見てもらったものだという。それを見ながら、油性の太いペンで書いた。
事務所の机に板を置いて、下に新聞紙を敷いた。
一枚目を書いた。
書き出しで、はねが太くなりすぎた。乾く前にウエスで拭いたら、にじんだ。板を裏返して、裏から書いた。
公 告
この墓所について、死亡者の縁故者、墓所の使用者その他
権利を有する方は、この掲示の日から一年以内に、下記まで
お申し出ください。
期間内にお申し出がないときは、無縁墳墓等として改葬します。
墓所 霧生台やすらぎの杜 A区 一二番
使用者 橋詰
死亡者 橋詰
掲示年月日 令和六年五月二十六日
宗教法人 清明院
死亡者の欄には、橋詰さんの奥さんの名前を入れた。
奥さんの名前を書くのは、そのときがはじめてだった。書類では見ていたが、書いたことはなかった。二十年前に、わたしが穴を掘って、土をかけた人である。
字は、思ったよりきれいに入った。
五枚書いて、乾かした。乾いてから、杭に打ちつけた。釘は寺にあったものを使った。
立てたのは、五月の終わりの日曜だった。
A区一二番の前に立てた。木の東側で、坂を上がってくると正面になるところである。かけやで打った。
音が、山に響いた。
打っているあいだ、下の段から人が二人、こちらを見ていた。その日は参りに来ている人が何組かいた。見ていた二人は、しばらくして自分のところへ戻った。
立ててから、離れて見た。
白い板が、木のあいだに一枚立っていた。まわりの区画には何もないので、そこだけが白かった。
字が、思ったより小さく見えた。
読むには、二歩か三歩、近づかないといけない。
わたしは近づいて、読んだ。自分が書いたものである。
この掲示の日から一年以内に
橋詰さんが最後に来たのは、去年の春だった。あのとき、上には上がらなかった。転回場から、見えないほうを向いて座っていた。
もしまた来たとしても、車からは、この板は見えない。
事務所に戻って、和倉さんに電話をした。立てましたと言った。
「ありがとうございます」
「官報は」
「今月の分に載ります」
「載るんですね」
「載ります」
わたしは、載った紙を誰が読むのだろうと思ったが、聞かなかった。
「あとは、待ちます」
和倉さんはそう言って、電話を切った。
残りの四枚は、次の週に立てた。
下の段が三枚と、上の段の東の端が一枚だった。上の段の一枚は、名前に見覚えがあった。開いた年の秋に来た人で、軽トラで来て、荷台に犬を乗せていた。犬の名前は覚えているのに、その人の名前は、書くまで思い出さなかった。
六月に入って、参りの人に声をかけられた。
六十ぐらいの女の人で、下の段の区画に来ている人だった。手桶を返しに事務所へ寄って、そのついでという顔で聞いてきた。
「あの、白いの」
「立札ですか」
「なんですか、あれ」
わたしは、和倉さんが紙に書いてきた文面を、そのまま言った。
「縁故のかたに、一年のあいだに申し出てくださいという、お知らせです」
「申し出ないと」
「無縁ということになります」
「無縁になると」
「掘り上げて、下の共同のところへ移します」
女の人は、手桶の持ち手を両手で持った。
「こわいわね」
「はい」
「そういうもんなの」
「規則に、書いてあります」
そう答えた。ほかに言い方を知らなかった。
女の人は、うちは大丈夫かしら、と言った。
「お支払いいただいていれば、大丈夫です」
「払ってるわ」
「はい」
「息子には、言ってないけど」
そう言って、女の人は笑った。わたしも笑った。
女の人が帰ってから、わたしは上の段へ行った。
日が傾いて、木の影が長くなっていた。板は影の中に入って、白さが少し落ちていた。
その週の土曜に、雨が降った。
月曜に行くと、板は無事だった。字もにじんでいなかった。裏から書いたのがよかったのだと思う。
そのあと、板の前を通るたびに見た。
七月にも、八月にも、九月にも、立っていた。
誰かが立ち止まったところは、見たことがない。
一年は、長いですね、とは、誰も言わなかった。




