↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
区画  作者: 真核生物
PR
6/13

第六章 あと二年

三年たった。


わたしは六十になった。妻の一周忌と三回忌を、麓の墓地でやった。どちらも妹さんが名古屋から来た。三回忌のとき、妹さんは来年から来られないかもしれないと言った。膝が悪いのだという。


山は、そのあいだにいくらか変わった。


下の段が埋まった。上の段は、札の入っていない区画が三つだけ残った。木は上のほうで枝を組むようになって、夏は日陰ができた。日陰ができると、草の伸び方が変わる。刈る手間は減った。


転回場の奥に、共同のところが出来た。


平らに掘って、コンクリートで四角い箱を作って、その上に土を戻したものである。地面から出ているのは、低い石がひとつだけで、そこに字が彫ってある。見た目は、ただの段差である。


出来たとき、和倉さんが上がってきて、しばらく見ていた。


「これで、うちも一通りそろいました」


そう言った。


橋詰さんは、来なくなった。


急にではない。第二日曜に来なくなって、そのかわり、月の終わりごろに来るようになった。それが二か月に一度になった。


最後に見たのは、その年の春だった。


車が転回場に停まって、しばらく誰も降りてこなかった。見に行くと、運転席に橋詰さんが座っていた。窓を開けて、こちらを見た。


「きょうは、ここでいい」


「上がりませんか」


「足がね」


橋詰さんは膝をたたいた。


「桶、持ってきましょうか」


「いや、いい。見えるから」


上の段は、転回場からは見えない。木が邪魔になる。それでも橋詰さんは、そちらのほうを向いていた。


十五分ほどいて、帰った。


それからは来なかった。


電話が鳴ったのは、六月の午後だった。


事務所にいた。雨で、草が刈れないので、桶を洗っていた。


「霧生台やすらぎの杜でしょうか」


女の人の声だった。


「加瀬と申します。母が、そちらにお世話になっていると思うんですが」


わたしは手を拭いて、台帳を出した。


区画ごとに一枚の紙を綴じたもので、上に番号が打ってある。名前と、住所と、許可の日と、納骨の日を書く欄がある。納骨の欄が空のままのものが、まだいくつもあった。


加瀬、で探した。


B区の四番だった。上の段の、いちばん西の端である。木が一本立っているところだった。


  墓所の表示  B区 四番

  使用者    加瀬 ふみ

  使用許可年月日 平成十七年十月十九日

  埋蔵年月日   ——


「ございます」


「ああ、よかった」


電話の向こうで、息をつく音がした。


「母が、先月亡くなりまして」


「ご愁傷さまです」


「それで、家を片づけていたら、封筒が出てきて。こういうものがあるとは聞いていたんですけど、どこだか知らなくて」


わたしは、そうですか、と言った。


「まだ入れるんでしょうか」


「入れます」


「よかった」


同じことを二度言った。


日を決めて、寺に連絡してくださいと伝えた。電話番号を言うと、待ってください、と言われて、書く音がした。


切ってから、わたしは台帳の紙をもう一度見た。


平成十七年十月十九日。


規則は覚えていた。個別埋蔵の期間は、使用許可の日から二十年。焼骨を埋蔵した日からではなく、使用許可の日から起算する。


指で数えなくてもわかった。


令和七年の十月までである。


わたしは紙を綴じ直して、棚に戻した。


納骨は、七月の第三土曜になった。


朝のうちに穴を掘った。上の段の西の端は、木の根が張っていて、掘りにくい。寸法は紙に書いてあるとおりにした。根を切らないように、少し東へずらした。


十時に車が上がってきた。


降りてきたのは三人だった。四十半ばぐらいの女の人と、中学生ぐらいの男の子と、その下の子である。下の子は小学生に見えた。


女の人が加瀬佐知子さんだった。


「すみません、道がわからなくて」


「わかりにくいところです」


「看板が、消えてるんですね」


古いほうの看板のことを言っていた。


「あれは、前の分譲地のです」


「分譲地」


「昔、別荘地だったので」


「へえ」


それだけだった。


和倉さんが上がってきて、読経をした。子どもたちは途中で飽きて、木のあいだを歩いた。誰も止めなかった。


骨壺を持ったのは佐知子さんだった。両手で持って、穴のところまで来て、しゃがんだ。


入れて、手を離した。


離してから、そのままでいた。橋詰さんのときと、同じぐらいの長さだった。


土をかけるとき、上の子がスコップを持ちたがった。佐知子さんが、いいよ、と言ったので、持たせた。一度だけ入れて、あとはわたしがやった。


平らにして、落ち葉を戻した。


事務所に降りて、茶を出した。


子どもたちは外にいた。水道のところで手を洗って、そのまま水を出したり止めたりしていた。


佐知子さんは湯呑みを両手で持っていた。


「母、ここ、気に入ってたんでしょうか」


わたしは、あのときのことを思い出した。十八年前である。上の段に立って、川ですか、と聞かれた。


「空が見える、とおっしゃっていました」


「空」


「はい」


佐知子さんは窓の外を見た。事務所の窓からは、木の下のほうしか見えない。


「ひとりで決めたんですよ、母」


「うかがいました」


「言ってくれればよかったのに」


そのあと、佐知子さんは湯呑みを置いた。


「これ、なにか、お支払いは」


「年に一度、管理料をいただいています。寺から請求が行きます」


「あ、それは、封筒に入ってました。振込のやつ」


「そうです」


「じゃあ、続けて払えばいいんですね」


「はい」


佐知子さんはうなずいた。


それから、封筒を鞄から出した。母親が持っていたものだった。角がすり切れている。中から使用許可証を出して、机の上に置いた。


「これ、こちらに出すものですか」


「いえ、お持ちください。大事なものです」


「はい」


置いた紙が、こちらを向いていた。


  使用許可年月日  平成十七年十月十九日


日付は、机の上でわたしのほうを向いていた。


佐知子さんは紙を折りたたんで、封筒に戻した。


「古いですよね、これ」


「十八年前です」


「そんなに」


佐知子さんは笑った。


「母、元気なうちに決めてたんですね」


「そういうかたは、多いです」


「早いなあ」


そう言って、封筒を鞄に入れた。


外で、下の子が水を出しっぱなしにしていた。上の子が止めに行って、二人で何か言い合っていた。


「そろそろ」


「はい」


わたしは表まで出て、車を見送った。


坂を下りていく車の屋根が、木のあいだで二度見えて、それから見えなくなった。


事務所に戻って、台帳を出した。


埋蔵年月日の欄に、日付を入れた。令和五年七月十五日。


上の欄には、平成十七年十月十九日がある。


二つの日付が、同じ紙の上に並んだ。


規則のとおりなら、二年と三か月ほどである。


わたしは万年筆のキャップを閉めて、台帳を棚に戻した。


戻してから、和倉さんが降りぎわに言ったことを思い出した。


ご説明は、と聞かれた。


規則はお渡ししてあります、と答えた。


和倉さんは、そうですか、と言って、うなずいた。それだけだった。


渡したのは、十八年前である。渡した相手は、きのう穴に入った。


書いてあることだった。


あと二年です、とは、言わなかった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。