第六章 あと二年
三年たった。
わたしは六十になった。妻の一周忌と三回忌を、麓の墓地でやった。どちらも妹さんが名古屋から来た。三回忌のとき、妹さんは来年から来られないかもしれないと言った。膝が悪いのだという。
山は、そのあいだにいくらか変わった。
下の段が埋まった。上の段は、札の入っていない区画が三つだけ残った。木は上のほうで枝を組むようになって、夏は日陰ができた。日陰ができると、草の伸び方が変わる。刈る手間は減った。
転回場の奥に、共同のところが出来た。
平らに掘って、コンクリートで四角い箱を作って、その上に土を戻したものである。地面から出ているのは、低い石がひとつだけで、そこに字が彫ってある。見た目は、ただの段差である。
出来たとき、和倉さんが上がってきて、しばらく見ていた。
「これで、うちも一通りそろいました」
そう言った。
橋詰さんは、来なくなった。
急にではない。第二日曜に来なくなって、そのかわり、月の終わりごろに来るようになった。それが二か月に一度になった。
最後に見たのは、その年の春だった。
車が転回場に停まって、しばらく誰も降りてこなかった。見に行くと、運転席に橋詰さんが座っていた。窓を開けて、こちらを見た。
「きょうは、ここでいい」
「上がりませんか」
「足がね」
橋詰さんは膝をたたいた。
「桶、持ってきましょうか」
「いや、いい。見えるから」
上の段は、転回場からは見えない。木が邪魔になる。それでも橋詰さんは、そちらのほうを向いていた。
十五分ほどいて、帰った。
それからは来なかった。
電話が鳴ったのは、六月の午後だった。
事務所にいた。雨で、草が刈れないので、桶を洗っていた。
「霧生台やすらぎの杜でしょうか」
女の人の声だった。
「加瀬と申します。母が、そちらにお世話になっていると思うんですが」
わたしは手を拭いて、台帳を出した。
区画ごとに一枚の紙を綴じたもので、上に番号が打ってある。名前と、住所と、許可の日と、納骨の日を書く欄がある。納骨の欄が空のままのものが、まだいくつもあった。
加瀬、で探した。
B区の四番だった。上の段の、いちばん西の端である。木が一本立っているところだった。
墓所の表示 B区 四番
使用者 加瀬 ふみ
使用許可年月日 平成十七年十月十九日
埋蔵年月日 ——
「ございます」
「ああ、よかった」
電話の向こうで、息をつく音がした。
「母が、先月亡くなりまして」
「ご愁傷さまです」
「それで、家を片づけていたら、封筒が出てきて。こういうものがあるとは聞いていたんですけど、どこだか知らなくて」
わたしは、そうですか、と言った。
「まだ入れるんでしょうか」
「入れます」
「よかった」
同じことを二度言った。
日を決めて、寺に連絡してくださいと伝えた。電話番号を言うと、待ってください、と言われて、書く音がした。
切ってから、わたしは台帳の紙をもう一度見た。
平成十七年十月十九日。
規則は覚えていた。個別埋蔵の期間は、使用許可の日から二十年。焼骨を埋蔵した日からではなく、使用許可の日から起算する。
指で数えなくてもわかった。
令和七年の十月までである。
わたしは紙を綴じ直して、棚に戻した。
納骨は、七月の第三土曜になった。
朝のうちに穴を掘った。上の段の西の端は、木の根が張っていて、掘りにくい。寸法は紙に書いてあるとおりにした。根を切らないように、少し東へずらした。
十時に車が上がってきた。
降りてきたのは三人だった。四十半ばぐらいの女の人と、中学生ぐらいの男の子と、その下の子である。下の子は小学生に見えた。
女の人が加瀬佐知子さんだった。
「すみません、道がわからなくて」
「わかりにくいところです」
「看板が、消えてるんですね」
古いほうの看板のことを言っていた。
「あれは、前の分譲地のです」
「分譲地」
「昔、別荘地だったので」
「へえ」
それだけだった。
和倉さんが上がってきて、読経をした。子どもたちは途中で飽きて、木のあいだを歩いた。誰も止めなかった。
骨壺を持ったのは佐知子さんだった。両手で持って、穴のところまで来て、しゃがんだ。
入れて、手を離した。
離してから、そのままでいた。橋詰さんのときと、同じぐらいの長さだった。
土をかけるとき、上の子がスコップを持ちたがった。佐知子さんが、いいよ、と言ったので、持たせた。一度だけ入れて、あとはわたしがやった。
平らにして、落ち葉を戻した。
事務所に降りて、茶を出した。
子どもたちは外にいた。水道のところで手を洗って、そのまま水を出したり止めたりしていた。
佐知子さんは湯呑みを両手で持っていた。
「母、ここ、気に入ってたんでしょうか」
わたしは、あのときのことを思い出した。十八年前である。上の段に立って、川ですか、と聞かれた。
「空が見える、とおっしゃっていました」
「空」
「はい」
佐知子さんは窓の外を見た。事務所の窓からは、木の下のほうしか見えない。
「ひとりで決めたんですよ、母」
「うかがいました」
「言ってくれればよかったのに」
そのあと、佐知子さんは湯呑みを置いた。
「これ、なにか、お支払いは」
「年に一度、管理料をいただいています。寺から請求が行きます」
「あ、それは、封筒に入ってました。振込のやつ」
「そうです」
「じゃあ、続けて払えばいいんですね」
「はい」
佐知子さんはうなずいた。
それから、封筒を鞄から出した。母親が持っていたものだった。角がすり切れている。中から使用許可証を出して、机の上に置いた。
「これ、こちらに出すものですか」
「いえ、お持ちください。大事なものです」
「はい」
置いた紙が、こちらを向いていた。
使用許可年月日 平成十七年十月十九日
日付は、机の上でわたしのほうを向いていた。
佐知子さんは紙を折りたたんで、封筒に戻した。
「古いですよね、これ」
「十八年前です」
「そんなに」
佐知子さんは笑った。
「母、元気なうちに決めてたんですね」
「そういうかたは、多いです」
「早いなあ」
そう言って、封筒を鞄に入れた。
外で、下の子が水を出しっぱなしにしていた。上の子が止めに行って、二人で何か言い合っていた。
「そろそろ」
「はい」
わたしは表まで出て、車を見送った。
坂を下りていく車の屋根が、木のあいだで二度見えて、それから見えなくなった。
事務所に戻って、台帳を出した。
埋蔵年月日の欄に、日付を入れた。令和五年七月十五日。
上の欄には、平成十七年十月十九日がある。
二つの日付が、同じ紙の上に並んだ。
規則のとおりなら、二年と三か月ほどである。
わたしは万年筆のキャップを閉めて、台帳を棚に戻した。
戻してから、和倉さんが降りぎわに言ったことを思い出した。
ご説明は、と聞かれた。
規則はお渡ししてあります、と答えた。
和倉さんは、そうですか、と言って、うなずいた。それだけだった。
渡したのは、十八年前である。渡した相手は、きのう穴に入った。
書いてあることだった。
あと二年です、とは、言わなかった。




