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区画  作者: 真核生物
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第五章 妻のこと

十五年たった。


木が伸びた。植えたときは指ほどの幹だったのが、腕より太くなった。上の段から麓が見えなくなるのではないかと思ったが、そうはならなかった。枝の下は空いていて、幹のあいだから、麓は見えたままだった。


道の舗装は、切れたところから先が完全に砂利になった。轍のところだけ草が生えない。


上の段は、だいたい埋まった。下の段も半分ほど埋まった。埋まったというのは、札に名前が入ったという意味である。骨が入っているのは、そのうちの三分の一ぐらいだった。


久世さんは、平成の終わりごろに亡くなった。


娘さんが来て、家を片づけて、しばらくして人に貸したと聞いた。借りた人は週末だけ来るらしく、青いシートは外れて、屋根に新しいのが乗っていた。


事務所のポットは二度替わった。


わたしは五十七になった。


妻の病気がわかったのは、その年の二月だった。


わかったときには、もう手をつけるところが決まっていた。医者の説明は落ち着いていて、わたしは聞きながら、この人はこの説明を何度もしているのだろうと思った。妻は横で、うん、うん、と言っていた。


家に帰る車の中で、妻は窓の外を見ていた。


「お腹すいた」


「何か食うか」


「うどん」


うどん屋に寄った。妻は半分残した。


夏まではふつうに暮らした。


洗濯もしていたし、庭の鉢にも水をやっていた。わたしは山へ行く日を週に二日に減らした。和倉さんに言うと、そうしてくださいと言われた。給料は減らされなかった。そのことについて、和倉さんは何も言わなかった。


秋に入院した。


四人部屋で、窓側だった。窓からは駐車場と、その向こうの国道が見えた。山は見えなかった。


わたしは夕方に行った。行くと、たいてい起きていた。起きていても、あまりしゃべらない日が増えた。


しゃべる日には、山のことを聞いた。


「きょうは行ったの」


「行った」


「なにしてきたの」


「草刈って、水やって、掃いた」


「それだけ」


「それだけだ」


妻は少し笑った。


「あの人、まだ来るの」


「あの人」


「毎月来る人。おじいさん」


橋詰さんのことだった。いつだったか話したのを、覚えていた。


「来るよ。第二日曜に」


「えらいね」


「えらいかな」


「えらいでしょう。二十年よ」


二十年ではなかった。十五年である。わたしは訂正しなかった。


そのあと妻は少し目を閉じて、また開けた。


「穴も掘るんでしょう」


「掘る」


「いくつ掘ったの」


わたしは考えた。年に何回というものではなかった。多い年もあれば、一度もない年もあった。


「数えてない」


「数えてないの」


「うん」


妻は天井を見た。


「数えないほうがいいのかもね」


それから、わたしのほうを見ないで言った。


「わたしも、数えてない」


何をと聞かなかった。聞かなくてもいいと思った。


十一月に死んだ。


葬式は麓の会館でやった。人はあまり呼ばなかった。妻の妹が名古屋から来て、そのほかは近所の人が何人か来た。


骨になった日の晩、妹さんが泊まった。台所で茶を淹れてくれて、そのときに聞かれた。


「お墓は、どうするの」


わたしは黙っていた。


「お義兄さん、山のお仕事でしょう。あそこには入れないの」


入れられる。


和倉さんは、通夜の日にそう言っていた。うちでよければ、と、それだけ言った。額のことも言った。半分でいいです、とは言わなかった。使用料はいただきます、と言った。そういう人だった。


わたしは妹さんに、考えます、と言った。


考えることは、ほとんどなかった。


前の年の秋、山から帰ったときに、妻に言われたことがあった。


その日はよく晴れていて、上の段から川まで見えた。帰ってその話をした。橋が見えたとか、そういう話である。妻は聞いていた。


聞き終わってから、妻は言った。


「山はさびしいから、いや」


わたしは、そうかと言った。


「あんな上まで、誰が来るの」


「わたしが行くよ」


「あなたは仕事で行くだけでしょう」


そう言われて、返す言葉がなかった。


「下がいい。下なら、買い物のついでに寄れるもの」


寄るのは妻ではないのだが、妻はそういう言い方をした。


わたしは麓の共同墓地に決めた。


市の管理するところで、家からは車で七分だった。区画は空いていた。申し込んで、待つこともなく決まった。


窓口で紙をもらった。使用許可証と書いてあった。


わたしは、それを見て、少しのあいだ立っていた。


窓口の人が、何かありましたかと言った。


「いえ」


買ったのではないな、と思っただけだった。そのことを、その場では誰にも言わなかった。


納骨は、年が明けてからにした。


冬の墓地は風が強い。石の列のあいだを、下から吹き上げてくる。妹さんは寒い寒いと言って、コートの襟を立てていた。


石は小さいものにした。名前を二つ彫るようにして、片方は空けてある。石屋がそういうものですと言うので、そうした。


終わって、妹さんを駅まで送った。


送って戻ってから、もう一度墓地へ行った。誰もいなかった。


わたしはそこに立って、上のほうを見た。


山が見えた。


霧生台である。麓から見ると、山はひとつづきの緑で、道がどこを通っているのかもわからない。切り開いたはずのところも、木に隠れている。


どこが上の段なのか、わからなかった。


わたしは目の高さを少しずつ上げていって、尾根のところまで行って、また下げた。それを二度やった。二度やって、やめた。


次に山へ行ったのは、その週の水曜だった。


上の段まで上がって、草を刈った。冬なので刈るものはあまりない。落ち葉を掃いて、桶を並べ直した。


それから、麓を見た。


見えた。


畑の形と、川と、橋と、道路と、その手前の四角い林。林に見えるが、あれは墓地の木立である。石までは見えないが、場所はわかる。


わたしはしばらく見ていた。


橋詰さんが上がってきたのは、そのときだった。第二日曜ではなかったが、たまに曜日をはずして来ることがあった。


「精が出るね」


「いえ」


橋詰さんは手桶を持って、自分の区画のほうへ行きかけて、止まった。


「奥さん、下だって」


和倉さんから聞いたらしかった。


「下です」


「そうかい」


橋詰さんはうなずいて、それ以上は聞かなかった。


「さびしいのは、いやだって言うので」


言わなくてもいいことを、わたしは言った。


橋詰さんは麓のほうを見た。目を細めていた。


「見えるの」


「あのへんです」


わたしは指した。橋詰さんは、わたしの指の先を追った。


「わからんな」


「木があるので」


「うん」


橋詰さんは手桶を持ち直した。


「向こうからは、ここは見えるのかい」


わたしは、山を見上げたときのことを思い出した。緑がひとつづきで、どこが切り開いてあるのかわからなかった。


「見えません」


そう答えてから、言い直した。


こっちからは、見えるんだけどな。

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