第三章 分譲
木が入ったのは五月だった。
背の低い木で、幹が指ぐらいの太さしかない。それを、区画の並びに沿って植えていった。植えると、線がはっきりした。草しかなかったところに、点が等間隔で並んだ。
道の突き当たりの転回場に、プレハブが建った。事務所である。机がひとつと、椅子が四つと、ポットが置いてあった。外に水道を引いて、手桶と柄杓を並べた。
入口の門柱に、新しい看板がついた。
霧生台やすらぎの杜。
古い区画図の看板は、そのまま残った。外そうかと和倉さんに聞いたら、あれはうちのものではないので、と言われた。
わたしは週に三日、山へ通うようになった。
朝に行って、草を刈って、道を掃いて、木に水をやる。人が来たら案内する。来ない日も多かった。来ない日は、刈るところがいくらでもあったから、困らなかった。
最初の人が来たのは、七月の終わりだった。
車の音がしたので出ていくと、白い軽が転回場に停まっていた。降りてきたのは七十すぎの男の人で、ひとりだった。橋詰さんといった。
「新聞に出てたから」
折り込みのチラシを持っていた。
「見るだけでも」
「どうぞ」
わたしは先に立って歩いた。
木の並びのあいだを通って、いちばん上の段まで上がった。そこは地面が平らで、南に向いている。四角が並んでいて、それぞれに小さな札が立ててあった。番号が書いてある。
橋詰さんは札を見ながら歩いた。それから、顔を上げた。
上げたところで、止まった。
そこからは、麓まで見えた。畑と、家と、川と、その向こうの道路。空が広かった。木がまだ小さいので、何もさえぎるものがない。
わたしは、そのとき、言った。
「ここなら、空が見えます」
言ってから、自分の声が思ったより大きかったことに気づいた。
橋詰さんはうなずいた。
「見えるねえ」
しばらく二人で立っていた。橋詰さんは手を後ろで組んでいた。
「女房が、暗いところは嫌だと言うんだ」
「はい」
「まだ生きてるんだけどね」
橋詰さんは笑った。わたしも笑った。
それから橋詰さんは札のほうへ戻って、ひとつずつ見ていった。
「これは、もう売れてるの」
「いえ。まだ、どこも」
「そうか。じゃあ、どこでもいいのか」
「はい。いまなら、分譲中の区画はぜんぶ」
橋詰さんは、はあ、と言った。
そのときは、それだけだった。
橋詰さんは事務所でお茶を飲んで、パンフレットを持って帰った。帰りぎわに、また来ますと言った。
その日の夕方、和倉さんが山に上がってきた。
わたしは報告した。人が来たこと、上の段まで案内したこと、パンフレットを渡したこと。
和倉さんは聞いていた。ひととおり聞いてから、湯呑みを持ったまま言った。
「分譲、とおっしゃいましたか」
「え」
「そのかたに」
言った気がした。言ったと思う、と答えた。
和倉さんはうなずいた。責めるふうではなかった。
「その言い方は、使わないでください」
「すみません」
「いえ、こちらが先に言っておくべきでした」
和倉さんは湯呑みを置いた。
「土地をお売りするのではないんです。お渡しするのは、使う権利です」
「使う権利」
「はい。そこを使っていただく許可を出す、という形になります。土地は、うちのものでもありません。お借りしているものですから」
わたしのものだった。
「だから、買うとか、売るとか、そういう言い方はしません。使用の許可、と言います」
「わかりました」
「言い換えているだけのようですが、そうでもないんです」
和倉さんは窓のほうを見た。外はまだ明るかった。
「売ったものなら、そのかたのものです。使っていただいているものは、そうではありません」
そのあと和倉さんが何と言ったか、正確には覚えていない。ただ、そういうことです、と言って、帰っていった。
その晩、妻に話した。
「分譲って言っちゃだめなんだと」
「なんで」
「売ってるんじゃないからだ。使わせてるだけだから」
妻は箸を止めた。
「じゃあ、なんて言うの」
「使用の許可」
「ふうん」
妻は少し考えてから、また食べはじめた。
「それ、お客さんにわかるの」
「わかるかな」
「わからないと思う」
妻は茶碗を置いた。
「うちのお墓は、買ったの」
「買ってない、と思う」
「そうなの」
「たぶん、あれも使用の許可だ」
「へえ」
妻は水を出して、それから止めた。
「知らなかった」
わたしも、その年まで知らなかった。
橋詰さんは八月にもう一度来た。
今度は二人だった。助手席から降りてきたのが奥さんで、杖を使っていた。足がよくないらしく、坂を上がるのに時間がかかった。
わたしは先に歩いて、途中で何度か止まった。止まるたびに、橋詰さんが後ろから、ゆっくりでいいよ、と言った。それは奥さんに言っているのだった。
上の段まで上がると、奥さんは杖を両手で持って、立った。
何も言わなかった。
橋詰さんもだまっていた。わたしも黙っていた。麓で工事の音がしていて、それが上まで聞こえてきた。
しばらくして、奥さんが言った。
「風が通るのね」
「通ります」
わたしはそう答えた。
奥さんはそれきりで、あとは帰るまで何も言わなかった。車に乗るとき、橋詰さんがドアを押さえて、頭を下の枠のところに手を当ててかばっていた。
九月に、橋詰さんが一人で来て、決めた。
いちばん上の段の、東から二番目だった。番号でいうとA区の一二番になる。
「なんでそこにしたか、聞いてくれないの」
そう言われたので、聞いた。
「なんでそこですか」
「いちばん先に日が当たるから」
橋詰さんは東のほうを指した。木の向こうに尾根があって、そこから日が出るのだという。わたしは通っているのに、考えたことがなかった。
書類は寺で作った。わたしは山で渡す役をした。
橋詰さんは事務所の椅子に座って、ポットの湯を注いだ茶を飲んだ。それからわたしが封筒を出した。
中の紙は、一枚だった。
墓所使用許可証
第 号
使用者 橋詰 様
墓所の表示 霧生台やすらぎの杜 A区 一二番
使用許可年月日 平成十六年九月十四日
上記のとおり、墓所の使用を許可します。
宗教法人 清明院
橋詰さんは老眼鏡をかけて、上から順に読んだ。指でなぞるようにして読んだ。
読み終えて、顔を上げた。
「これは、権利証とは違うんだね」
「違います」
「土地は、もらえないんだ」
「もらえません」
「使わせてもらうだけか」
「そうです」
橋詰さんは紙をもう一度見た。
それから、わたしのほうを見た。
「買ったんじゃないんだね」
「買ったのではありません」
言ってから、和倉さんの声で言っていることに気づいた。
橋詰さんは紙を封筒に戻した。戻してから、封筒の上を手のひらで一度なでた。
「ああ」
そう言って、うなずいた。
「買ったんじゃない」
「はい」
「買ったんじゃないのか」
「はい」
買ったのではない、と、その人は何度もうなずいた。




