第十一章 鍵
九月に、和倉さんが切り抜きを持ってきた。
新聞の地方面である。折り目がついていて、四つに畳んであった。机の上で広げると、右上に見出しがあった。
納骨堂 競売で閉鎖 遺骨1000体行き場なく
ビル型の納骨堂を経営していた宗教法人が事業を継続できなくなり、
土地建物が競売にかけられた。落札した不動産会社は納骨堂の事業を
引き継がず、施設は閉鎖された。
納骨壇の使用権は一基三十万円から二百五十万円で販売されていた。
利用者の中には、いまも遺骨を納めたままの人がいる。
施設は施錠されており、中に入れないため、遺骨を引き取れない遺族もいる。
法人の代表とは連絡が取れなくなっている。
わたしは二度読んだ。
「どこですか、これ」
「よそです。この県ではありません」
和倉さんは、そう言っただけだった。
「鍵が開かないって、書いてありますね」
「書いてあります」
「開けられないんですか」
「建物は、落札したかたのものになっていますので」
わたしは、共同のところの蓋を思い出した。御影石の板である。あれには鍵がない。二人で持ち上げれば開く。
「うちは、鍵はないですね」
「ありません」
和倉さんは切り抜きを畳んだ。
「宮原さん、ひとつ、お願いがあります」
「はい」
「何柱か、お預かりすることになりました」
話は、こうだった。
和倉さんの知り合いの寺が、遠くにある。そこが、事情のある焼骨を何柱か抱えている。その寺も、置く場所がない。回り回って、和倉さんのところに話が来た。
新聞の納骨堂とは、別の話だという。別の話だが、似たような話らしかった。
「うちで、入れるんですか」
「共同のほうへ入れます」
「それは、いいんですか」
わたしは、そこは聞いておきたかった。
和倉さんは、うなずいた。
「一時的、ということにしてあります」
「一時的」
「はい」
「そのあとは」
「そのあとは、そのあとで考えます」
和倉さんは、湯呑みを持った。
「焼骨を一時的にお預かりするだけなら、納骨堂の許可は要らないんです。ただ、それを続けて、何度もやるようになると、要ります」
「じゃあ、続けなければ」
「続けなければ、要りません」
わたしは、戸畑さんのことを思った。七月に上がってきて、百柱と言った。六万柱と言った。
あれも、一時的だろうかと思った。
切り抜きのことは、参りの人のあいだでも出た。
九月の彼岸に、下の段の人が三人ほど、事務所で話していた。テレビでもやったらしい。骨が出せないんですってね、と言っていた。
ひとりが、わたしに聞いた。
「ここは、大丈夫なんですか」
「大丈夫です」
そう答えた。
答えてから、何を根拠に言ったのか、自分でもわからなかった。
寺は掲示を出した。当院は檀信徒のみなさまとともに、という書き出しのもので、和倉さんが自分で書いたものだった。掲示板に貼った。
読んでいる人は、何人か見た。
その月の終わりに、わたしは麓の墓地へ行った。
妻のところである。彼岸には来ていたので、続けてになった。花を替えて、水をかけて、しばらくいた。
帰りに、管理事務所に寄った。
窓口に若い人がいた。市の職員ではなくて、委託の会社の人らしかった。
「つかぬことを聞きますが」
「はい」
「ここは、市のですよね」
「市営です」
「なくなることは、ないですよね」
若い人は、一瞬、意味をとりかねる顔をした。
「なくなる、といいますと」
「経営が、その、立ちゆかなくなって」
若い人は、ああ、と言った。
「市営ですので、それはないです」
「ないですか」
「ないと思います」
思います、と言った。そのあとで、言い直した。
「市がやっているものですから」
わたしは礼を言って、出た。
車に乗ってから、二十年前のことを思い出した。
市役所の窓口で、戸畑さんが言った。宗教法人ならなくならないんですかと聞いたら、なくならないことになっています、と言った。同じことを二度言った。
そのときは、よくわからなかった。
いまも、よくはわからない。ただ、二度言った理由だけは、なんとなくわかる気がした。
十月に、箱が届いた。
段ボールで、中に白い袋が六つ入っていた。もう袋に移してあった。壺ではなかった。
和倉さんが上がってきて、共同のところを開けた。
奥から詰めるので、手前の列の、左から順に置いていく。六つ置くと、列が半分ほど埋まった。
蓋を戻して、台帳をつけた。
四 令和七年十月七日 ——
五 令和七年十月七日 ——
六 令和七年十月七日 ——
七 令和七年十月七日 ——
八 令和七年十月七日 ——
九 令和七年十月七日 ——
もとの墓所の欄は、線を引いた。
書くことがなかったからである。
その日、和倉さんは事務所に長くいた。
茶を二杯飲んで、三杯目を断った。外は日が落ちかけていて、木のあいだが暗くなっていた。
「宮原さん、うちの檀家がいくつあるか、ご存じですか」
「知りません」
「いま、四十一軒です」
わたしは、数を言われても、多いのか少ないのかわからなかった。
「わたしが入ったときは、百二十ありました」
「減ったんですね」
「減りました」
和倉さんは湯呑みの底を見ていた。
「減ったぶんを、ここで埋めています」
ここ、というのは霧生台のことだった。
「管理料が、年にいくら入るか、わたしは全部言えます。木の手入れにいくら出ていくかも言えます。いまは、出ていくほうが少ない」
「そうなんですか」
「木が小さいうちは、少ないんです」
和倉さんは顔を上げた。
「大きくなると、かかります。倒れると危ないので、いずれ切らないといけません。切るのは、植えるより高いんです」
わたしは上の段の木を思った。二十年で、腕より太くなった。あと二十年経てば、もっと太くなる。
「共同のところは、どのくらい入るんですか」
「まだ、だいぶ入ります」
「だいぶ」
「あの箱で、二百は入ると思います。いまが九つです」
二百と九のあいだを、わたしは考えなかった。
「いっぱいになったら」
「もうひとつ作ります」
「作れますか」
和倉さんは、そこで少し黙った。
「作れるあいだは、作ります」
日が落ちて、窓の外が青くなった。
和倉さんは湯呑みを置いて、鞄を引き寄せた。帰る支度である。
「宮原さん」
「はい」
「あの記事の納骨堂も、永代供養と書いて売っていました」
わたしは、切り抜きの見出しを思い出した。
「どこもそうです。うちもそうです」
和倉さんは、鞄の金具を留めた。
「悪いことをしているつもりは、なかったと思います」
そう言って、立ち上がった。
「わたしも、ないので」
外まで送った。
和倉さんの軽自動車が坂を下りていって、ライトが木のあいだで二度光って、見えなくなった。
事務所に戻って、台帳を閉じた。
共同の台帳は、まだ薄い。一枚の紙に、九行しか入っていない。
聞けばよかったと思った。
二十年は、規則に書いてある。共同のほうは、規則に、永代にわたって、と書いてある。永代という字が、そこだけ使ってある。
その字は、何年のことなのか。
和倉さんなら、答えたと思う。あの人は、額でも年数でも、聞けばそのまま言う人である。だから聞けばよかった。
わたしは事務所の電気を消して、鍵をかけた。
事務所の鍵である。うちには、それしかない。
永代というのは、どのくらいですか、とは、聞けなかった。




