第十章 名前の欄
袋は、わたしが持って下りた。
上の段から転回場まで、坂を三つ曲がる。和倉さんが先を歩いて、わたしが後ろだった。両手で抱えるほどのものではないので、左手で下から支えて、右手を添えて持った。
途中で持ち替えた。汗で滑ったからである。
共同のところは、転回場の奥にある。低い石がひとつ出ていて、その手前が平らになっている。平らなところの真ん中に、蓋があった。
御影石の板で、四十センチ角ぐらいである。取っ手はない。
和倉さんが端に指をかけて、持ち上げた。重かったらしく、途中で一度止めた。わたしが袋を置いて、反対の端を持った。二人でずらした。
下に穴が見えた。
コンクリートの四角い箱で、中は思ったより広かった。畳一枚ぶんぐらいある。深さは、腰までぐらいだった。
底に、袋が並んでいた。
白い布の袋である。同じ形のものが、奥のほうから順に、隙間なく置かれていた。手前が空いている。数えなかった。
「奥から詰めていきます」
和倉さんはそう言って、しゃがんだ。
わたしが袋を渡した。和倉さんは上半身を入れるようにして、手を伸ばして、いちばん手前の列の、左端に置いた。置いてから、少し位置を直した。
体を起こして、袋のほうを見ていた。
「これで、終わりですか」
「終わりです」
蓋を戻した。石が石に当たる音がして、それきりになった。
事務所で、和倉さんが台帳を出した。
共同のほうの台帳である。区画のものとは別の、薄い綴りだった。
共同埋蔵施設 埋蔵台帳
番号 埋蔵年月日 もとの墓所
一 令和四年十月二日 C区 七番
二 令和五年三月九日 C区 一一番
三 令和七年六月十五日 A区 一二番
「名前は、書かないんですね」
「書きません」
和倉さんは万年筆のキャップを閉めた。
「どれがどなたか、わからなくなりますので」
わたしは番号のところを見た。三と書いてある。
「一と二は、いつのですか」
「わたしが来る前の分と、去年の分です」
和倉さんは綴りを閉じた。
「一のかたは、開いてすぐの年に入られたかたです。ご主人が毎年来ておられました」
それ以上は言わなかった。
翌日、A区一二番を埋め戻した。
穴はそのままにしてあったので、土を戻して、踏んで、落ち葉を上に散らした。木はそのまま残した。根を切っていないので、枯れることはないという。
札を抜いた。
名前の入った小さい板である。抜いて、事務所の裏に置いた。
立札も抜いた。
かけやで打ち込んだので、抜くのは骨が折れた。前後に揺すって、土をゆるめてから引いた。杭の下のほうは、色が変わっていた。
板を洗った。ホースで水をかけて、たわしでこすった。字は落ちなかった。油性なので落ちない。
わたしは和倉さんに、燃やしますかと聞いた。
和倉さんは、いえ、と言った。
「裏が、まだ使えます」
「裏」
「表に書いてありますから、次は裏に書いてください」
「次」
和倉さんは、そこで少し黙った。
「あると思います」
板は、事務所の裏の壁に立てかけた。字の書いてあるほうを、壁側に向けた。
戸畑さんが山に上がってきたのは、七月の終わりだった。
車は市の白いやつだった。降りてきて、上を見上げて、暑いですねと言った。
「和倉さんは」
「下です。呼びましょうか」
「いえ、先に、宮原さんに聞いていただこうと思って」
事務所に入って、扇風機をつけた。戸畑さんは麦茶を一口飲んでから、鞄を開けた。
「ご相談です。正式なお願いではありません」
「はい」
「引き取り手のないご遺骨を、こちらで預かっていただけないかと思いまして」
わたしは、意味がわかるまで少しかかった。
「市のですか」
「市が火葬したかたです」
戸畑さんは書類を膝に置いた。
「お身内がいらっしゃらない、あるいは、いらっしゃっても引き取られないかたが、年々増えています」
「増えてる」
「うちの市だけで、いま百柱ほど保管しています」
「どこにですか」
「火葬場の裏に、部屋があります。棚を置いて、並べています」
戸畑さんは麦茶をもう一口飲んだ。
「全国では、六万柱と言われています」
わたしは、六万という数を頭の中で置いてみたが、置くところがなかった。
「法律で、どうしろとは決まっていないんです」
「決まってないんですか」
「保管のしかたについては、ありません。だから、市ごとに違います」
「ずっと置いておくんですか」
「置いておけないので、ご相談に来ました」
そう言われて、わたしは黙った。
戸畑さんは、鞄からもう一枚出した。コピーだった。
「これは、去年のものです」
紙を机に置いて、こちらへ向けた。
行旅死亡人の告示
本籍・住所・氏名 不詳
性別 男性
推定年齢 六十歳から七十歳位
身長 約一六五センチメートル
体格 中肉
着衣 紺色ジャンパー、灰色ズボン、黒色靴下
所持品 黒色手提袋、タオル二枚、ライター一個、
小銭入れ(現金三百二十円)
発見場所 本市〇〇地内
発見日時 令和六年 月 日
死亡推定日時 同日
死亡原因 不詳
右の者について、心当たりのある方は、当市までお申し出ください。
わたしは、上から下まで読んだ。
読んで、もう一度上に戻った。
「これだけですか」
「これだけです」
「もっと、書けることは」
戸畑さんは、紙のほうを見た。
「書くことになっているのは、その人を知るのに必要なことだけです」
「必要なこと」
「はい。法律に、そう書いてあります」
戸畑さんは、指で行をたどった。
「状況、相貌、遺留物件、その他本人の認識に必要な事項を記録する。——明治の法律なので、言い方が古いんですが」
「明治」
「明治三十二年です。いまも、これでやっています」
わたしは、紙の所持品の欄を見た。
タオル二枚。ライター一個。
そのタオルが何色だったかは、書いていなかった。
「これを、官報に出します。それと、市の掲示場と、いまはホームページにも」
「見る人は」
「いるかもしれません」
戸畑さんは、そこで少し言い方を変えた。
「一年で、何件かは、お身内が見つかります」
「何件か」
「何件かです」
わたしは紙を返した。戸畑さんは受け取って、鞄に戻した。
「お預かりするとしたら、こちらは何をするんですか」
「お経をあげていただいて、共同のところへ入れていただければ」
「台帳は」
「つけていただきます。それと、市のほうにも一枚、書いていただく様式があります」
戸畑さんは鞄からもう一枚出した。
薄い紙で、枠が印刷してある。いちばん上が氏名の欄だった。その下に、火葬の年月日と、引受の年月日の欄がある。
わたしは、共同の台帳のことを思った。番号と、日付と、もとの墓所。名前を書くところは、ない。
「もとの墓所の欄は、どうしましょう」
「空けておいてください」
「わかりました」
わたしは、市の様式のほうを見た。
いちばん上の枠が、いちばん大きかった。
「こっちは」
「はい」
「氏名のところは、不詳と書けばいいですか」
戸畑さんは、麦茶のコップを置いた。
置いてから、わたしのほうを見た。
「書かないでください」
「書かない」
「はい」
「空けておくんですか」
「空けておいてください」
「なぜですか」
戸畑さんは、少し考えるふうだった。考えるというより、言い方を探しているように見えた。
「不詳と書くと、不詳という人になってしまいますので」
わたしは紙を手に取った。枠の中は白かった。
名前の欄には、何も書かないでください、と言われた。




