第50話 単独許可
自動ドアが閉じると、外の空気が遮断された。
中は明るい。
明るいのに音がない。店のBGMも館内放送も止まっている。
代わりに残るのは靴底の擦れと、無線の短い往復だった。
入口の内側には、もう一本の規制線が張られていた。
その前で、機動隊員が盾を構えている。
盾の上に並ぶ顔はどれも館内へ向いていて、視線だけが小刻みに動いている。
「才能さん、こっち」
呼ばれたのは入口内側の指揮所だ。
階級章が見える。たぶん警部補。年齢は読み取れない。目が疲れている。
でも声は鈍っていない。
「才能さんですね。単独で中へ。同行者は外で待機、確認済みです」
茂は頷き槍のケースの取っ手を握り直す。
警部補が短く言う。
「石井です。こちらの指揮に付いてください」
「状況を説明します。現在、内部は混雑し、動線が確保できていません」
入口脇の柱影に寄せた簡易モニタを指した。
画面は荒い。だが十分だった。
広場と通路、売場が複雑に連なっている。
影と視界が切れる場所が多い。それと動けない人が散っている。
「中型が2体。片方がもう片方の動きに合わせてます」
1体なら刺して終わる。
2体だと刺した瞬間に隙が出来る。
画面の端で黒いものが一瞬だけ立ち上がった。二足。
腕が長い。膝より下まで垂れている。肩幅があり胴が厚い。
サルに近い。だがサルじゃない。ゴリラ?動きが軽すぎる。
「頭がいい。速い」
「逃げ遅れた客がまだ相当いる。あいつらは人の気配がある場所に寄って、壁にして使う」
茂は画面を見たまま何も言わない。
今はただ聞いた方が速い。
「銃器は使えません」
「危険生体対処班は来てます。ですが……」
続きを言わず、モニタの一角を指で叩いた。
影の中に人が固まっている。
「当てられる確率が低いです。それに外したら不味い。ここは距離が取れないし射線が抜けない」
「……まだ発砲許可は出ません。県警本部が止めてるんで」
石井は一度だけ視線を外し、モニタの別画面を出した。
広場の手前に倒れている人影。盾の近くまで、すでに近づいた跡がある。
「機動隊が接近を試みて、2名が持っていかれました」
淡々とした口調が重い。
画面の奥に動かない塊がある。回収に行けない位置。線の内側に放置されている。
「死体はそのままで取りに行けない。今は寄るだけで犠牲が増える」
茂がケースのハンドルを握り直した。
警部補はそれを見ないふりをして必要な情報だけを足す。
「市民の死傷は10人以上。目視で確認できた遺体が5。…一部は、食われてる」
「今はこっちから近づけない。動けば、向こうも反応する」
モニタから視線を外し茂を見た。視線が鋭い。
「才能さん。こちらから無理は言えません。銃なし、距離なし。中はそれが前提です」
「ここまでが現状です。それでもいけますか?」
石井は茂を入口脇の柱影へ促した。
周りから見えなくなり、言葉が指示じゃなく相談に聞こえる距離になる。
茂は頷かなかった。
モニタにもう一度視線を置く。2体の動き。人の位置。
喉の奥で何かを飲み込んでから口を開いた。
「単独行動を認められますか」
石井の眉がほんの少し動いた。
否定も肯定もしない。判断に迷っている顔だった。
「……単独は——」
言いかけて止める。周りの耳が多い。
石井は声を落とした。
「原則は付けます。連絡と位置管理は必要です」
茂は頷かない。首も振らない。視線だけをモニタに置いたまま言う。
「付けるならできません」
相手が言葉を探す前に茂が続ける。
「同行は要らないです。邪魔だ」
石井の口がいったん閉じた。
怒鳴らない。否定もしない。できない理由だけが顔に浮かんでいた。
「……分かりました。確認します」
無線を押す。
声の調子が変わった。
目の前の相手に話す声ではなく、上へ通すための声になる。
「入口指揮。才能さんの動き方について確認取りたい。単独行動の可否。県本部判断、お願いします」
返事はすぐ来ない。
モニタの端で、影がひとつ動いた。
点じゃない。人だ。固まっていた影の塊から、ひとりが外へ抜けようとしている。
「——出るな!」
どこかで叫び声が上り、館内に響いた。
次の瞬間、黒いものが走った。
二足。腕が長い。
跳ねるというより、床を掴み自分の体を引き寄せるように進む。
人影が転んだ。
立ち上がる前に背中が浮いた。持ち上げられたんじゃない。引っ張られて持っていかれた。
音は遅れて来た。
短い悲鳴。骨と息が一緒に潰れる音。
それで終わった。
盾列の奥の誰かが歯を食いしばる気配がした。
動けない怒りが空気を硬くする。
石井は無線を持ったまま、目だけでモニタを見た。
顔色は変えない。慣れてしまっていた。
「……今の、見ましたね」
返事を求める言い方じゃない。確認だ。
現場用無線から報告が入った。
『入口、広場側。一名、持っていかれた。救出不可。位置――』
返答はしない。
机上のもう一台、本部連絡用の無線機を取った。
「県本部、聞こえますか。いま増えました。待つほど増えます」
間が空き、無線越しの沈黙が続く。
石井が盾列の向こうを見ないままぽつりと言った。
「……事件は、会議室で起きてるんじゃない」
言ってから、一瞬だけ自分で呆れたみたいに息を吐く。
「……一回、言ってみたかっただけです」
冗談じゃない。逃げでもない。苛立ちを含んだ何か。
無線が返ってくる。
『……単独は例外。条件付きで承諾する。動線は入口指揮が管理。位置報告を——』
石井が遮る。
「位置報告は無理です。声出したら終わります」
さらに押し問答が続く気配。
だがさっきの犠牲者がそれを折っていた。
『……了解。現場指揮の裁量で運用。記録は残せ。以上』
切れた。
石井は無線を下ろした。
顔に勝った感じはない。負けた感じもない。
茂が聞く。声が平たい。
「俺が原因で死んだ人数、何人までなら問題ないですか」
石井は答えない。
答えられない。
数字にした瞬間、それが許可になる。否定した瞬間、それが嘘になる。
視線だけを逸らして言った。
「……聞かなかったことにします」
それが唯一の返事だった。
石井が横を向く。
「対処班。入口へ。覆面、予備を持って来い」
無線が短く返る。
数十秒して、特殊装備の隊員が入口脇まで寄ってきた。
隊員が黒い布をひとつ差し出した。新品。折り目が残っている。
石井がそれを受け取り、茂へ渡す。
「顔は出さないほうがいい。……中は、映る」
茂は受け取って指先で伸ばした。
薄い布一枚なのに、そこが境目に感じられた。
茂はそれを配慮だとは受け取らなかった。
これは多少の犠牲は構わないという、言えない許可だと認識した。
石井はその認識を否定しない。
多少の犠牲を拒んで、全員を死なせるつもりはないらしい。
茂はバラクラバを握ったまま、槍のケースの取っ手に指を掛け直す。
石井が言う。
「……単独で。ただ戻れなくなっても、こちらは拾いに行けません」




