第48話 射線が取れない
ショッピングモールの中は、音が逃げなかった。
本来なら拡散するはずのざわめきが天井と壁に反響して返ってくる。
足音も物音も悲鳴も、すべてが同じ場所へ積み重なっていた。
天井は高い。
でも、広く見えるのは中央の吹き抜けだけだった。
周りには壁や柱が多く、通路も丸く曲がっている。
そのせいで、奥の様子がよく見えない。
通路は直線じゃない。
視界が途中で折れ、曲がり、消える。
避難は、途切れていた。
人の流れは完全には止まっていない。
押し合い、躊躇い、判断を失った動きが通路の各所で詰まり、出口へ向かうはずの導線を自ら塞いでいる。
非常口はある。ただそこまで辿り着けない。
子どもを抱いたまま、柱の影に固まる人間。
走れない者が多い。
動けない者が点在していた。
中央の広場側で、すでに破綻が起きていた。
登録の駆除従事者が一人、前に出て近接戦を試みた。その動きに合わせて、警官が一歩寄る。
気づいた時には、二人とも倒れていた。
救助は間に合わない距離。呼吸が止まるまで誰も触れなかった。
逃げ遅れた市民も、三人。柱の内側。売店の影。通路の角。
倒れる順番に、意味はない。
警察が到着する前の映像も残っている。
登録の持ち込んだクロスボウが、一射、二射。
何かに刺さったもの。
外れたもの。
跳ねたもの。
その時点で、市民と駆除従事者を合わせた死傷者は五名。
クロスボウが再び放たれることはなかった。
現在、警官はすでに館内へ入っている。
でも誰も銃を構えていない。
射線が取れない。背後が見えない。貫通した先に人がいる。
跳弾も同じだ。壁が多すぎる。床が硬すぎる。
一発で当たる保証はない。
外れれば誤射の可能性。それがここでは致命になる。
誰かが呟いた。
「遠い……」
それは報告じゃない。事実の再確認だった。
助けるには遠いのに、人と害獣の距離は近すぎる。
なにも出来ないまま、人は死んでいく。
警察はもう判断を終えていた。
撃てない。
屋内で人が密集し視界を遮る死角が多い。どれを取っても今はまだ発砲条件に届かない。
『発砲不可』
『待機』
無線越しの声は短い。
理由を説明する必要がない現場だった。
銃を出せば誰かが死ぬ。
壁と床に囲まれ、人と害獣の距離が極端に近い。
弾は意思を持たない。
特殊班も多少の訓練を受けた警官に過ぎない。だから撃てない。
――その間に、音が変わった。
短く鈍い。
悲鳴に届かない声。
売り場の端、陳列台の影に沈んでいる動けなかった市民が一人。
誰も走らない。誰も近づけない。救急は不要になっていた。
時間だけが減っていく。
このままなら、ほぼ全員が死ぬ。
それは予測じゃない。目の前の事実。
「……近接しか残ってない」
誰かが言った。声は低い。
命令でも提案でもない。ただの事実確認。
ここで近接に出るというのは勇気でも覚悟でもない。
計算だった。
誰かがリスクを背負う。そうしなければ残りは順番に消えていく。
アジャスターの村上は、最初から関与していたわけじゃない。
「モールで詰んでるらしい」
休憩室で同僚がそう言った。
屋内で人が近く撃てない。それを聞いて別の記録が浮かぶ。
駅前の特大型。市民が密集していて誤射被害が出ていた。
あの未登録。
名前はすぐ出なかった。ただ、記録で見た映像が先に来る。
一人で前に出た。引かなかった背中。
「……あれ、誰だった」
席へ戻る。
業務じゃない。指示もない。
それでも端末を開いた。
案件検索。市街地、屋内案件で絞り込む。
数は減る。
駅前の記録に辿り着く。
映像。記録――――貢献判定。
――こいつだ。
同種条件を広げる。
一件。
二件。
三件。
近接ばかり。
判断が速く、無駄がない。
共通しているのは、撃てない現場だ。偶然ではない。
村上は椅子にもたれ深呼吸をした。
「……候補、いるかも」
同僚が顔を上げる。
「誰です?」
村上は画面を指で叩く。
未登録。近接駆除実績あり。
「才能 茂」
村上は受話器を上げ内線番号を押した。
呼び出し音は短い。
『K市害獣警報センター、管制です』
「モールの屋内案件ですが」
『……想定外が重なっています』
即答はない。
「同条件で成立させた未登録がいます」
沈黙。
『未登録……ですか』
「少し前の駅前案件です」
向こうでキーボードを叩く音が混じる。
『……登録外の応援要請は、制度上想定していません』
「想定外が、もう起きているんじゃ?」
また沈黙。
『……当該運用は、現行制度では想定外です』
「だから候補でいい」
『ここで正式決定はできません』
「それでいい」
『……候補として、上に送ります』
村上は受話器を置いた。
アパートの床は冷たくなりきっていなかった。
昼と夜の境目。カーテンは閉め切られていて、テレビは点いていない。
ユイは床に寝転がっていた。
片腕を伸ばし、指先だけが茂の服に触れている。掴んでいない。離してもいない。
茂は仰向けだった。天井を見ているわけでもない。目は開いているが何も追っていない。
何もない二人の時間。外の音も気にしていない。
——鳴るまでは。
着信。
茂は二回目で出た。
「……はい」
『K市害獣警報センターです。才能さんのお電話で間違いないですか』
「……はい」
『突然のご連絡、すみません』
『ショッピングモール屋内で、発砲できない現場です』
『近接で駆除を成立させた実績が複数あるため、応援をお願いしたくご連絡しました』
茂はすぐに返さない。
言われた事を飲み込むのに時間が必要だった。
「警察いるんですよね?」
『はい。現場統制は警察です』
めんどうそうだ。
「現場指揮は誰です?」
「俺はどこに行って、誰に名乗ればいいんですか?」
『現場指揮は県警です』
『到着したら外周の規制線で止まり、担当者に「センターからの要請で来た」と伝えてください』
『こちらからも、才能さんが向かっていることは現場管制へ連絡します』
「つまり、外で待ってて、呼ばれたら入る感じ?」
『はい。現場指揮の許可が出るまで、規制線の外で待機してください』
「番号お願いします」
『案件番号は、28-KSC-0533です。メールでも送ります』
「……三十分くらいで着きます」
「入れないなら、その場で帰っていいですよね」
『はい。現場の判断に従ってください』
「……分かりました」
話がいまいち通じない。まあいい。焦ってるんだろ。
通話が切れる。
茂は、しばらく動かなかった。ユイが、先に体を起こす。
「どっか行くの?」
茂は画面を見たまま言う。
「外に出る。ちょっと見てくるだけ」
「私も行くけど、いい?」
許可を取っているようで、ほぼ決めている声だった。




