第44話 結果だけが残る
救急車はすでに止まっていた。
音は出していない。
担架が二つ搬入され、近い負傷者から収容が開始された。
必要な人間が、淡々と動く。
座らされていた一人が、先に担架に移される。意識はあるが呼吸は浅い。
もう一人は、動かされない。
自分で姿勢を変えられる状態じゃない。
救急が声をかけ、体を固定する。
警察は手を出さない。ただ導線だけを空け続けている。
二人が救急車の中に消え、ドアが閉まった。
音はまだ戻らない。
立っている登録が一人。
少し離れて、茂。その間に、誰もいない空白。
警官が無線から手を離し周囲を見る。仕事が一段落した顔だ。
「……少し、待ってください」
誰に向けた言葉でもない。現場は止まったままになる。
ここから先は警察の判断でも、救急の仕事でもない。
そういう段階だった。
救急車がサイレンを鳴らし離れていく。
加速はしないが音だけが、少しずつ遠くなる。
登録はまだ呼吸を整えている。肩が上下するたびに、遅れがある。
疲労と緊張が、まだ抜けきっていない。
どんだけだよ。
茂はその場に静止したまま。
足の位置も視線も一切変えなかった。
どちらからも、声は出ない。
言えば始まる。始める気はない。
警察が見ている。それだけで十分だった。
登録の視線が茂のほうへ何度か流れた。そして外れる。
責めるには理由が足りない。飲み込むには時間が足りない。
茂はスマホで時間をみた。まだか?遅い。
現場は、まだ処理されていない。評価も配分も始まっていない。
宙に浮いたままの状態。
音のしない車が、路肩に止まった。救急でもない。
警察車両でもない。
50系の黒いプリウス。
ドアが開き男が一人降りてきた。視線はすぐ現場を捉えている。
警官が近づき、短く状況を伝えた。
男は頷くだけだった。
端末を開き画面と現場を交互に見る。
害獣の死体は、裂けた部位と倒れた向きだけをそのまま晒していた。
そして、人。
男は二人に近づかない。
距離を保ったまま、声を落とす。
「……確認します」
まず立っている登録を見る。
「そのままで結構です」
腕章・装備・位置を順に拾い、端末に視線を落とす。
「登録従事者は確認できています」
次に、茂。
視線だけで、同じ確認をする。
「未登録の方ですね」
問いではない。
「はい」
短く返す。
男は端末を操作し続ける、速度は変わらない。
「この後の処理は、引き継ぎます」
淡々とした声。
少しだけ現場の空気が変わった気がした。
立っていた登録が、前に出た。
「……何で見捨てた?」
なんで今頃……クソめんどうだな。
こいつヤラれるまで待ってりゃ良かった。しくじったな。
男は一歩、距離を詰めた。
速くはないが、逃げ道を塞ぐ歩幅だった。
「……見てたよな」
「行けたよな」
問いでも確認でもない。ただ事実だけを投げて寄越す声だった。
「……あそこで、待ったよな」
断定に近い調子で、同じ言葉を重ねた。
「一瞬、止まった。注意、下向いてた――あの距離なら――」
「無駄になるだろ」
茂は遮らない。被せない。ただ間だけを切るように口を開いた。
登録の眉が動く。
「……何がだ」
「お前に関係ない。こっちの話だ」
登録は深く呼吸を整え、ためらいを押し潰すように再び踏み出した。
「じゃあ、見殺しってことか」
声が低くなる。
「前にいたの、俺たちだぞ」
茂が即答した。
「嫌なら下がればよかったろ」
「いたから間に入らない。悪いか?普通だろ」
登録の顔が歪む。
「倒れてたんだぞ」
「――」
「仲間が、下にいた」
「――」
「それ見て、何も思わなかったのか」
感情が出ている。責める言い方だ。
茂は視線を外さない。
「何も思わない」
お前を助けた俺がバカだったよ。
登録の肩が上下していた。
呼吸が荒い。
興奮してる?
「そんなんで全部許されるのか」
「許されるかどうかは、関係ない」
「じゃあ何だよ」
警官が少しだけ体重を動かす。だが止めない。
遠くの車音と誰かの足音が混じり、途切れていた音がゆっくり戻り始める。
アジャスターは、少し離れた位置で端末を見ている。
会話には入らない。
判定対象ではない。
「関与は、四名で記録します」
淡々とした声。
茂は視線を外さない。低く言った。
「……お前はなにもしてないだろ。ラッキーだな」
アジャスターが言った。
「評価は後日です」
それだけだった。
登録がもう一度茂を見る。顎がわずかに上がる。
息が止まり、歯が鳴る。
何か言おうとして、飲み込む。
警官が前に出た。
「今日は、ここまでです」
誰に向けた言葉でもない。現場に向けた合図だった。
登録は視線を外し口は開かない。
規制線が、もう一段詰められた。
黄色いテープが視界を横切り、現場が完全に切り分けられる。
警官の動きは淡々としている。
声を荒げる者はいない。誰かを説得する必要も、もうなかった。
周囲に残っていた人間が、少しずつ散る。
スマホを下ろし背を向ける。
足取りは早くもなく、遅くもない。
登録はその場に立ったままだった。
肩の力が抜けきらない。
視線だけが、行き場を探している。
二人の間にあった空白は、規制線によって物理的な距離に変わった。
警官が軽く顎で示す。
「移動してください」
登録は遅れて一歩下がる。
茂はそれを見ない。踵を返し規制線の外へ歩き出す。
背中に言葉は飛んでこない。
追いかける足音もない。
現場は、完全に閉じられた。




