第34話 排熱
※本話はR15に調整しています。R18版はミッドナイトノベルズに掲載しています。
【R18】僕と彼女の猟奇的な日常 R18
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ジェルはもうない。
カートリッジの重さが消えた槍は、ケースの中でただの長い刃物になっている。
茂はケースを持ったまま、町を歩いた。
意味がないのは分かっている。
分かっていても、足は止まらなかった。
小型なら。
条件が揃えば、倒せるかもしれない。
かもしれない、で歩く距離じゃないことも分かっている。
だが今日は、他にやることがなかった。
角を曲がる。
住宅と店舗が混じる通り。
通知は来ていない。
来ていないのに、空気だけが落ち着かない。
先に処理された痕跡は、すぐに見つかった。
道路脇に残る黒い染み。
散ったガラス。
タイヤ痕。
雑に踏み消された足跡。
回収は終わっている。
照合班もいない。
残っているのは終わった後だけ。
別の交差点。
ここも同じ。
店のシャッターに浅い傷。
電柱の根元に、何かを引きずった跡。
血の匂いはもう薄い。
誰かが先にやった。
早いか、近かったか、運が良かったか。
理由はどうでもいい。
獲物はいない。歩き続ける。
探す。
だが、見つからない。
小型は数が多い。
そのはずなのに、今日は一匹も引っかからない。
茂は足を止め、空を見上げた。
曇り空に低く垂れ込めた雲、街の音が、どこか鈍い。
世界は動いている。
自分の外側で、勝手に処理が進んでいる。
——今日は、自分の番じゃない。
そう理解した瞬間、肩の力が抜けた。
悔しさも焦りもない。
ケースは軽い。
中身の問題じゃない。選択肢が減っている、その事実が軽い。
この状態で無理をする理由はないか。
判断は早かった。
引き返す。
来た道を戻る。
足取りはさっきより遅い。
帰宅。
鍵を開ける前に、一度だけ振り返った。
通りは何事もなかったように、普通の顔をしている。
獲物は、世界にいくらでもいる。
ただし、いつも手の届く場所にいるわけじゃない。
午後は何も取れなかった。
それだけだ。
ドアを開け、ケースを持ったまま中に入った。
ドアを閉めた衝撃で、室内の淀んだ空気がわずかに揺れた。
ユイはキッチンの前に立っていた。
妙に露出の多い部屋着。
薄い生地が身体の線を隠す気もなく張り付いている。
均衡の取れた曲線、細い腰。布地の奥で、女の形が浮き上がっていた。
それを見た瞬間、思考が消える。
理性ではない。
もっと手前の何かが、理性を塗り潰した。
「おかえ——」
言葉は口づけに遮られる。
数歩で距離を潰し、抱き寄せる。
ユイの背がキッチンカウンターに当たり、冷たい音が響いた。
茂の体はまだ異様な熱を帯びている。
汗と、かすかな甘さが混ざる。
腕は強すぎるほどに腰を抱え込んでいた。
逃がさないという意志ではない。
内側に溢れた圧を、どこかへ逃がすための衝動。
「……あ、茂」
最初の強張りは、やがて熱へ変わる。
ユイの指が背中を掴む。
服を脱ぐ手順さえ、もどかしい。
肌が触れ合った瞬間、体温がぶつかる。
茂は彼女を抱え上げ、カウンターへ座らせる。
食器が落ち、乾いた音が部屋に散る。
目の前の体温。
触れられる現実。
ユイの身体が、自分がまだこちら側にいると証明していた。
互いの鼓動が荒く重なり、呼吸が濃く絡み合う。
茂は衝動のまま、彼女に縋る。
今日失いかけた何かを、その熱で埋め戻すように。
薄暗いキッチンで、
二人の輪郭は溶け、
重い呼吸だけが夕方の空気を震わせていた。
呼吸が落ち着き、部屋に静けさが戻ったころ。
ユイは横になったまま、茂のほうを見た。
喉の奥で小さく笑い、視線だけを寄越す。表情は軽い。探るでも、責めるでもない。
「ねえ」
間を置いて、続ける。
「そんなに、あたしが魅力的だった?」
茂は短く、頷いた。
言葉はいらなかった。
ユイはそれを見て、声を立てずに笑う。
「そりゃそうか。だてに、三十八週連続ナンバーワンしてないよ」
冗談みたいな言い方。
自慢でも、試しでもない。
その数字が、茂の中に引っかかる。
三十八週。
その間、ユイは何度、
どれだけの男に抱かれてきたのか。
考えるつもりはなかった。
それでも、頭の中で回数が勝手に並び始める。
仕事として、慣れた動きで、何度も、何度も。
想像は、すぐに形を持った。
胸の奥が、別の熱を帯びる。
さっきの衝動とは違う。
もっと歪んだ、ざらついた興奮。
ユイが何か言おうとした、その前に、
茂の気配が近づく。
「……また?」
ユイはそう言いながら、本気で止めようとはしなかった。
空気が、再び張りつめる。
さっきよりも、息苦しい向きに。
しばらくして、ユイは小さく息を吐いた。
そのまま、茂のほうを向く。
「……そんな顔して」
声は、からかうみたいに軽い。
でも、嫌がってはいない。
ユイは口元を緩めて、笑った。
「ほんと、単純」
そう言いながら、どこか嬉しそうだった。
求められたことを、ちゃんと受け取っている笑い方だ。
茂は答えない。
衝動は一度、静まっていた。
一度目のそれは、
身体に流れ込んだ何かが引き起こした反応だった。
制御できない熱。
排出されるべきもの。
だが今は違う。
静まったはずの内側で、別の反応が、ドロリと形を変えて生まれた。
嫌悪と見分けのつかない、濁った興奮。
自分で、想像で、選び取ってしまった興奮。
ぬるかったそれが、急速を超えて硬さと熱を取り戻し始めていた。




