第32話 配分
規制線の中で、回収のトラックが動いている。
シートが掛けられ、黒い塊は「死体」じゃなく「荷物」になっていく。
茂は端に立ったまま、それを見ていた。柄の感触だけが手にある。
背中の奥の熱は、まだ消えない。
興奮じゃない。
押し上げるみたいな――内側の圧。
警官の声と無線の声と車内のうめきが交差点に重なる。
どれも遠い。
茂の視線は、別の場所にあった。
作業着の男。
首からIDを下げ端末を持っている。
アジャスター。
男は業者の端末を覗き込み、画面を指で滑らせ、たまに警官に短く確認を入れている。
茂は少しだけ近づいた。
声を掛けられる距離。
「……割合、どうなりそうですか」
自分でも、声が低いと思った。
頼みじゃない。
確認だ。
数字の確認。
アジャスターが顔を上げる。
茂を見て、装備を見て、もう一度茂を見る。
それだけで終わる視線。
「今はまだなんとも」
返事は早い。
茂は眉も動かさない。
「軽バンのほう、未登録ですよね?たぶん」
「そうですね。フリー」
「ボディカメラなし。周辺も、接触の瞬間を押さえた映像がない」
アジャスターが言いながら、端末を指で叩いた。
ただの作業だ。
人間が死んだ現場でも、作業は変わらない。
茂は息を吐いた。
「……あいつら、何もしてない」
言った瞬間、自分の声が乾いているのが分かった。
怒鳴ってない。
ただ、線を引いただけ。
「刺したの、俺です」
アジャスターは否定しない。
「そこは分かってますよ」
それから、間を置かずに続けた。
「ただ、向こうの生存者が駆除中だったって言ってます」
「それを0扱いすると、揉めるんで」
揉める。
その一言が、すべてだった。
制度が始まっている。
茂は視線を軽バンにやった。
潰れたバンパーとボンネット。
血に割れたガラス。車体に残った拳のへこみ。
駆除中だった。
――証明できるのは、誰だ。
「登録もなにもしてないです」
茂が言う。
「見てただけ」
アジャスターは頷いた。
「そこも記録で出ます」
「ただ、今の情報だと確定はできない」
茂の喉が少しだけ詰まる。
「仮でいいんで」
茂が言う。
アジャスターは一息だけ止めて、それから、声を落とした。
「……仮のレンジなら」
「あなたが主貢献側になる可能性は高い」
「ただし単独の100には寄せない」
寄せない。
その言い方が、制度そのものだった。
茂は黙った。
一番欲しいのは100%じゃない。
欲しいのは、数字だ。
確定した数字。
主貢献って言葉じゃ、腹は満たされない。
視線を落とし、槍の柄を握り直した。
握り直しただけで、指が余計に入る。
入れたつもりより、入る。
まただ。
内側から押されるみたいに、力が戻ってくる。
茂はそれを無視した。
「……分かりました」
返事は短い。
もう聞くことはない。
アジャスターは端末に戻り、次の画面を開いた。
茂がそこにいたことも、もう過去になる。
コンビニの前に立たされたまま、時間だけが削れていく。
赤色灯は消えない。
テープは揺れない。
人間の声だけが、少しずつ増えていく。
回収業者が、死んだ害獣の足を持ち上げた。
クレーンのフックが掛かる。
黒い塊は、もう抵抗しない。
救急車が来た。
サイレンの音が膨らみ、角を曲がって規制線の外で止まる。
音が切れた瞬間、逆に現場のざわめきが浮いた。
ストレッチャーが降ろされる。
オレンジのベスト。
救急隊員だけが、異様な速度で動いていた。
「負傷者、どこですか」
警官が軽バンを指した。
救急隊員が覗き込み、声を投げる。
「聞こえますか」
「名前、言えますか」
返事は、潰れた空気で返ってきた。
声にならない、喉の音。
「意識あり」
短い確認。
次の瞬間、腕が窓から差し込まれる。
「ベルト切ります」
刃が走りベルトが切られて、頸部、腕、体幹が迷いなく固定されていく。
「引きます」
身体がゆっくりと車外へ滑り出る。
引きずり出された人間が担架へ移される。
赤い。肉が見えている。
ドアが閉まり、救急車が走り出した。
茂は規制線の内側で、ただ立っていた。
死体と同じ側。
若い警官がひとり、規制線の内側に戻ってきた。
目だけが忙しそうに動く。
体はまだ現場の速度に慣れてない雰囲気。
茂はその警官に声をかけた。
「……帰っていいですか」
言い方は平坦だ。
警官は少し止まってから、頷いた。
「ちょっと待ってください」
「確認だけします」
無線に口を寄せ、何かを短く告げた。
茂は動かない。
「――すみません」
「身分証、さっき確認しましたよね」
茂は頷く。
「連絡先だけ控えさせてもらっていいですか」
スマホを出し画面を見せる。
警官がメモを取る字が少し震えている。
疲れているのか?
「――帰って大丈夫です」
「ただ、もし後で確認の連絡が行ったら出てもらえますか」
「わかりました」
それだけ言って、身体の向きを変えた。
規制線の切れ目まで歩く。
テープの外へ出ると空気が変わった気がした。
現場の匂いが薄くなる。
人間の声が遠くなる。
振り返らない。
スマホを見る――14時
胃の奥が、また鳴った。
空腹じゃない。
肉を入れろと圧だけが増していく。
身体が勝手に次の順番を選んでいる。
茂はケースのグリップを握り直し、そのまま歩き出した。




