第128話 第25章 HOME 10 包囲
研究所の奥、埃の舞うテーブル。
ヨシロウは子供たちに席を外すよう促した。だが、タツキは動かなかった。
タツキ:「いえ、私も参加します。そしてクルミも同席させてください。クルミはもう、勝手な大人に振り回されるのが嫌なんです。わかってます、厳しい話だと。でもちゃんと聞かせてください、大人の話を子供にも……」
タツキとクルミは、二人で一冊の重い六法全書を運び入れていた。
大人たちの深刻な話を聞きながら、二人は六法全書を必死に読み漁る。その姿は、真剣そのものだった。
タツキ:「つまり……未成年者略取誘拐罪」
クルミ:「罰則は三ヶ月以上七年以下の懲役。警察はパパを追い詰め続ける……」
ブンタ:「本当……頭のいい子は困る。そこまで理解しちまうのか」
ヨシロウもハルも、その異様な光景に苦笑いを浮かべるしかなかった。
クルミ:「でも、おかしいわ! 私、パパと暮らしたい! なのに、どうして大人はダメだって言うの!?」
タツキ:「無理だよ、クルミちゃん。子供の意見なんて、まともに裁判所は聞いてくれない。『十歳以上の意見を聞く』なんて、今のルールじゃ絵に描いた餅なんだ」
沈黙を破ったのは、ブンタの決死の訴えだった。
ブンタ:「お願いします……! クルミを守ってやってください! 僕は……自首します」
クルミ:「パパ! 嫌だよ! パパ!!」
ブンタ:「クルミ、わかってくれ。これしか方法がないんだ。パパが捕まった後、お前があの施設に戻されるのを防ぐには、この人たちを頼るしかない。お兄ちゃんと一緒なら、大丈夫だ。な?」
絶望的な別れ。現実ならば、ここで悲劇が確定する。
しかし、ヨシロウは不敵に笑い、首を振った。
ヨシロウ:「やれやれ…わかりました、で ブンタさんは?」
ブンタ:「すぐに自首したら、クルミの居場所がバレてしまう。少しだけ、適当に旅をして……それから」
ヨシロウ:「私の計算では、十日間は大丈夫だ。雪で道路も閉鎖されている。誰もここへは来られない」
ハル:「食料も十分よ。冷凍した料理をたくさん詰め込んでおいたから」
タツキ:「……僕も、一緒にいていい?」
ヨシロウ:「ダメだ! 家族水入らずだ。邪魔をするな」
けれど、クルミはタツキにべったりと引っ付いて離れようとしない。
ブンタ:「すみません……。ということですので、十日間だけ、三人家族をさせてください」
ブンタは、使い古された貯金通帳と印鑑を、震える手でヨシロウの前に差し出した。
ブンタ:「足りないかもしれません。でも、これが私の全財産です。元妻にはバレないよう、クルミのためにコツコツと貯めておいたものです。……どうか、使ってください」
それは、酒に溺れ、清掃員として泥にまみれながらも、彼が一度として手放さなかった娘への執着と祈りの結晶だった。
ヨシロウ:「……はい。確かにお預かりします。大切な娘さんです。全力でお守りすることを、ここにお誓いします」
ヨシロウの力強い言葉に、ブンタの肩からようやく何かが降りたようだった。
ヨシロウとハルは、満足げに、そして誇らしげに頷き、秘密の地下道を抜けて自分たちの日常へと帰っていった。
……残されたのは、静まり返った研究所。
クルミは、お兄ちゃんであるタツキの袖をぎゅっと掴んだまま、パパであるブンタの顔を見上げた。
外の世界では警察が目を光らせ、母親がヒステリックに叫んでいる。
けれど、雪に閉ざされ、法さえも届かないこの聖域の中だけは、三人だけの時間が流れていた。
彼らは、最後で最初の、温かな「三人家族」としての十日間を過ごし始めた。
あれから数十年たった今も
ブンタの貯金通帳は一切触れられず、そのまま保管されてる。




