第125話 第25章 HOME 7 逃避
ブンタは知識がない人間ではない。法律家に助言を求め、あらゆる手段を使い果たした。知識は、十分にある。
けれど、そんな知識さえも、娘のたった一言で跡形もなく吹き飛んでしまった。
クルミ:「パパ、もう離れたくない」
ブンタは我に返り、周りを見渡した。ミチコの性格、クルミの表情。そのすべてから、彼は悟った。
ここは、正しい手続きを待つ場所ではないのだ。
ブンタ:「クルミ、行こう。急ぎなさい!」
玄関でけたたましい警報が鳴り響く。
ブンタの手に引かれながら、クルミは施設の玄関を振り返った。
そこでは、タツキが子供ながらに、必死で職員たちを取り押さえながら叫んでいた。
タツキ:「王子様が迎えに来たんだ! そういう場合、お姫様はどうするんだ! クルミ!! 早く!!」
二人が清掃のトラックに飛び乗ろうとした、その時。
清掃業の社長:「こっちだ! こっちの車に乗りなさい! 落ち着いたら返してくれればいいから……。いいか、逆方向へ行きなさい!!」
ブンタは礼を言う間もなく、社長の自家用車を走らせた。
社長を乗せた清掃用の軽トラックは、囮となって西へと向かう。
施設職員:「あの軽トラックか! 追え!! 警察にも連絡だ!!!」
……その夜。
四畳半の、薄暗いアパートの部屋に、ブンタとクルミはいた。
ブンタ:「……汚くて、ごめんな」
クルミは静かに首を振った。
そして、かつてのように、けれど少し戸惑った声で尋ねた。
クルミ:「パパ……『クルミ』と『天才』、どっちが好き?」
ブンタ:「何を言っているんだ。クルミが好きに決まっているだろう。
……コンビニ弁当ですまないが。ほら、食べよう」
クルミ:「うん!! ……おいしい!!!」
ブンタ:「お父さんのサンマのかば焼きも一枚、どうぞ」
クルミ:「うん。じゃあ、私のハンバーグも少し、どうぞ」
分け合うおかず。
二人の笑顔は、薄暗い部屋の中で、まぶしいほどの光を放っていた。
:::::::::::::::::::::
一方。
施設の応接室では、校長がタツキと、呼び出されたその両親を前に声を荒らげていた。
校長:「タツキ君。君は頭がいいが、ロックを解除するなど言語道断だ! クルミちゃんの居場所を知っているでしょう、教えなさい!」
両親は、ただ申し訳なさそうに頭を下げ続けている。
タツキ:「クルミ? 知りません。……あ、玄関のロックですが、あまりに脆弱だったので、それをお知らせしようと解除しただけです」
校長:「嘘をつくな! 誰か、図書委員の職員を呼んできなさい! 二人は図書館で繋がっていたはずだ。早く!!」
呼ばれたのは、あの図書委員の女性だった。
校長は、タツキとクルミの密会について厳しく尋ねる。
図書委員:「……」
タツキは思わず、息を呑んだ。
図書委員:「……はて? 何のお話でしょうか。当館では会話は一切禁止ですよね。お二人は……まあ、いらっしゃいましたが、会話をしている姿など、一度も見たことがございません……ね」
図書委員はタツキに目を向けて「さあ、見る顔ですが、印象にない」と言いながら、ウインクをした。
校長は顔を真っ赤にして怒っている。
けれど。
図書委員の女性も。
タツキの両親も。
彼らは、なぜか心からの笑みを浮かべていた。
「タツキ、よくやった」
そう、息子を、あるいは一人の少年を誇るかのように。




