第124話 第25章 HOME 6 涙の川
ブンタは図書館の入り口で、トイレに向かう少年とすれ違った。
タツキ:「清掃、ありがとうございます」
ブンタは無言で帽子の鍔に手をやり、会釈を返した。そのままポリッシャーを動かし始める。
言葉も、記憶も、すべてを忘れないと生きてはいけない。そう自分に言い聞かせ、一心不乱に機械を回し続ける。
視界の隅には、タブレットを読んでいる少女の姿があった。
しかし、ブンタは決してそちらを見ない。感情を遮断するため、足元の床だけを見つめていた。
その時、少年が図書館に戻ってきた。
タツキは自分の席に戻る際、ふと足を止めた。ポリッシャーを操る清掃員の背中を、じっと見つめる。
タツキ:「……あの」
ブンタは手を止めず、機械の音で聞こえない振りをし続けた。
タツキが席に着くと、声が聞こえた。
タツキ:「クルミちゃん、もう読んだ?」
その名に、ブンタの背中に衝撃が電流のように走る。
クルミ:「うん、お兄ちゃん。次はこれにして」
ブンタはその言葉に、一瞬の安堵を覚えた。
(……兄弟か。そうか。クルミに、兄弟はいない)
ブンタは再び、黙々と作業を続けた。クルミは清掃員に目もくれない。
清掃を終えたブンタは図書館を後にした。
機材を積み込み、完了報告のために車へ向かう。
休憩中、クルミは窓の外をぼんやりと眺めていた。
駐車場で、機材を積み込んでいる作業員の姿が見える。
作業員:「ブンタさん、これで全部ですね。さあ、行きましょう」
ブンタはただ頷き、エンジンをかけた。
その音に紛れて。
(パパ? ……パパ!!)
必死に叫ぶ声が、幻聴のように聞こえる。
もう何万回と聞いた、奇跡を信じるたびに絶望が押し寄せる、あの幻聴。
ブンタは前だけを向き、敷地内をゆっくりと走らせた。
クルミ:「パパ! パパ!!! 待って――!!」
クルミはロックのかかった玄関のドアを叩き、叫んでいた。
防音の壁に阻まれ、その声は外には届かない。
車は出口の門へと向かっていく。
その時、電子音が鳴った。
ピピ……。
何故か、解除されるはずのないロックが解かれた。
タツキ:「後で僕が怒られればいいだけだから……いいから、早く行って!!」
タツキがシステムを「ロック解除」したのだ。
クルミは飛び出し、ひたすら走った。
けれど、幼い足では車に追いつけない。車は入場門を通過していく。
クルミは泣きながら、その場に崩れ落ちた。
クルミ:「パパ! パパ!! 私のこと、世界一、銀河一愛してるって……全部、全部、嘘なの!? ダイヤモンドより大切だって……全部、嘘だったの!? パパ!! パパ――!!」
その時。
背後から、懐かしく温かいぬくもりが彼女を包んだ。
ブンタ:「クルミ! クルミ!! 会いたかった……! ずっと、ずっと会いたかった!!」
車を飛び降り、門を駆け戻ったブンタが、娘を力一杯抱きしめていた。
ブンタ:「クルミのことを、一秒たりとも忘れたことなんてない! ダイヤモンドなんて、石ころだって言っただろう! クルミ……クルミ……!」
ブンタは男泣きに泣いた。
クルミの頬を伝う涙が、父の涙と重なり、地面にひとつの川を作っていた。




