第102話 第20章 59秒目の旋律 完 5 後悔の砂時計
演奏者「……同じように、E♭(イー・フラット)でいいですか?」
ケイスケ「すみません、僕から入ります。後を合わせてもらえますか?」
ケイスケは静かに目を閉じ、天を仰ぐ。
その10秒の沈黙には、彼が歩んできた48年間のすべてが込められていた。
彼は初めてその才能を発揮した。
それは、たとえ誰から笑われてもやる覚悟。
やがて指先が鍵盤に触れた瞬間、ケイスケのピアノが施設中に響き渡り、ジャズコンサートは再開された。
誰もが目を丸くしている。
看護師たちも互いに顔を見合わせ、音に紛れながら「すごい……」と呟いていた。
モチオ「がり勉猫、コツ勉猫。時間ニャ、帰るぞ」
がり勉猫「いや、これは本当に素晴らしい! もう少し聴いていたいですよ!」
コツ勉猫「私もですわ!!」
モチオ「俺たちがいたら邪魔ニャ。ネコロボを迎えに行って帰るぞ!」
後ろ髪を引かれる二匹を促し、モチオは背を向ける。
その去り際、演奏を続けるケイスケが片手でモチオに合図を送った。
モチオもまた、指に挟んだ1000円札を掲げてそれに応え、西館を後にした。
小児病棟。
「あああああ! モチオが来た! 帰れ! 帰れよ!!」
子供たちのブーイングが飛ぶ。
モチオ「うるせえ! お迎えニャ! ネコロボ!!」
モチオの登場は、ネコロボとのお別れの合図。子供たちの瞳に涙が浮かぶ。
女の子「また来てくれる、ネコロボ?」
ネコロボ「はい! でも、その時までにお薬を飲んでくれないと、私は来られませんので。頑張って飲んでくださいね」
「「「うん!!!!」」」
帰路につき、夕食のテーブル。
モチオ「……なんか俺がさ、いつも悪役みたいで凄く嫌な気分ニャ、あの瞬間」
がり勉猫「すみません、それは申し訳ないと思っています」
ネコロボ「同じくです」
愚痴をこぼすモチオの前には、今日だけ特別に大きなステーキが置かれていた。誰も文句は言わない。
コツ勉猫「モチオさん、いつもありがとう」
モチオ「おう……おう……」
照れ隠しに肉を頬張るモチオ。
モチタもモチクロも、今日ばかりは微笑ましく見守っていた。
一ヶ月後。
看護師1「最近、西館から毎日ピアノが流れてきて、まるでホテルみたいね」
看護師2「ケイスケさんに、あんな特技があったなんて意外だわ」
観客がわずか二、三人の、連日の小さなコンサート。ケイスケは笑顔でピアノを弾き続けていた。
看護師3「ケイスケさん、自主出版でCDを出すんですって」
看護師4「ピアニストになるのが夢だったんだって。素敵よね」
余命宣告の期限を3か月過ぎてもなお、ケイスケはピアノを弾き続けている。
後悔というカウントダウンの時計を、
今日も止めるために。
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人は、成し遂げたことよりも
出来なかった後悔を抱えて旅立つという
私もまた、その後悔を抱えずに旅立つために、
今こうして文章を書いているのかもしれない
第20章 59秒目の旋律 完
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