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【第七話】またね

〈某異世界・湖畔の教会〉


――八日目。


最後の日。


教会は、山々に囲まれた湖のほとりにあった。


「……着いちゃったね」


「ああ」


「ギリギリだった」


「途中で、誰かが魔王を倒してたからな」


「必要経費だったでしょ」


「宝玉を借りないといけなかったし」


「攔路酒で歌わされたし」


「上手だったよ」


「二度と歌わねえ」


「えー」


「……」


「……」


会話が途切れた。


二人とも分かっていた。


もう。


時間稼ぎをしているだけだということを。


「……ねぇ」


唯依奈が純弥に向き合う。


「もう少しだけ時間を頂戴」


「湖畔で話がしたいの」


「……少しだけでいいから」


純弥は一つ息を吐いた。


「……少しだけな」


二人は、湖畔に並んで座っていた。


「……せっかくなら海岸沿いが良かったな」


「温いコーラも用意できないし」


唯依奈の言葉に、純弥は思わず笑った。


「……中三の時だったな」


「海岸沿いで告白したのは」


「……懐かしいよね」


「お前が俺の自転車を奪ったからな」


「……もっと遠くに行きたかったの」


「純弥はあの町に囚われてたから」


「私が外に連れていくつもりだったの」


「……おばさんから聞いたよ」


唯依奈が目を丸くする。


「お母さん、そんなことまで喋ったの?」


「ああ」


「……お母さんとお父さんは元気にしてるのかな?」


「元気だよ」


「この前も二人で旅行していたしな」


「……ならよかった」


「……唯依奈」


「別所家なんだがな……」


「古い名家でな」


「女性も、外から入った人間も、基本的には立場が弱い」


「でも璃玖が生まれた」


「跡取り候補を産んだ愛璃は、それで別所家の中心に戻れた」


「でも」


「――俺と結愛に居場所はない」


想像以上の言葉に目が丸くなる唯依奈。


「いつの時代の一族なの?」


「実家の料亭との付き合いで、結婚も断れなかったんだ」


「兄貴には、結婚したい相手もいたしな」


「納得してるの?」


「……いいんだよ」


「実家の料亭も安定してるし、両親も兄貴一家も幸せだしな」


「純弥は?」


「……ここにいるほうが、幸せだと思っているよ」


「でもな」


「やっぱり、結愛を残しておけないんだ」


「今の俺がやるべきなのは、結愛を守ることだから」


「唯依奈が、この世界でいろんな人に手を伸ばすように」


「せめて、成人して独り立ちするまでな」


「だから……ごめんな」


唯依奈はゆっくりと首を横に振る。


「……気にしないで」


「今の話を聞いたら……なおさら、戻るべきだと思うし」


「引っ叩いても戻してたよ」


「……今の唯依奈に叩かれると骨が折れそうだな」


「……聖女をなんだと思っているの?」


笑みを浮かべる二人。


「……さてと」


「そろそろ行かないとな」


立ち上がる二人。


教会を見つめる純弥。


だが、唯依奈の視線は純弥に向いていた。


「……どうしたの?」


「えっと……」


「眉の下に、ゴミがついてるからじっとして」


少しずつ顔に近づく唯依奈。


――そのままキスをする。


目を開く純弥。


「へへ……」


「二十年越しだし許してね?」


「浮気は許さないって、二十年前は言っていたよな?」


唯依奈が得意げに笑う。


「純弥、知らないの?」


「――死人に口なし」


「死人とのキスは不可能なんだよ」


「だから、浮気にならないの!」


涙ぐみながら笑顔を向ける唯依奈。


「……相変わらず暴論だな」


「純弥にだけだよ?」


「それだけ、私にとっては特別な存在なんだもん」


純弥は唯依奈の腕を掴み、そのまま抱き寄せた。


「……また会えるかな?」


「会えるよ」


「根拠は?」


「私が聖女だから!」


「……俺だけじゃなくて、女神様にも無茶言ってるな?」


目を背ける唯依奈。


純弥が唯依奈の顎を掴み、こちらを向かせる。


「……?」


唯依奈が何か言おうとした、その瞬間。


今度は、純弥が唇を重ねた。


「……純弥?」


「これは誓いのキスだから」


「死人に口なしなんだけど?」


「……なかったことにしていいの?」


「……ずるいな」


「待ってるからね」


「十年でも二十年でも」


二人は手を繋いだまま、教会へ歩いていく。


祭壇へ近づき、二人で手を置く。


光が灯り、女神が降臨する。


『お疲れ様でした』


『無事に試練を終えましたね』


『では――確認します』


女神の声が教会に響く。


『衛守純弥』


『あなたは、元の世界へ戻ることを望みますか』


純弥は黙った。


長い。


長い沈黙。


「……俺は」


唯依奈は横を向かない。


「今でも向こうに戻るのが怖い」


「……うん」


「今、結愛を守るべきなのは俺だ」


「だが」


「俺がいることが、本当にあいつのためになるのか」


「まだ分からない」


唯依奈は聞いていた。


「でも」


純弥がスマホを取り出す。


画面の中では結愛が笑っていた。


「それでも」


純弥は笑った。


「父親が先に逃げちゃダメだよな」


唯依奈の目から。


涙が落ちた。


「……うん」


「結愛に言わなきゃならないこともある」


「うん」


「別所家からも逃げちゃだめなんだ」


「……うん」


「だから」


純弥が顔を上げる。


「俺は帰る」


祭壇が輝いた。


『意思を確認しました』


そして。


『渡会唯依奈』


「……はい」


『あなたは、衛守純弥の魂を手放しますか』


答えなければいけない。


純弥は残る。


あと少し。


ほんの少しだけ待てば、八日目が終わる。


契約が成立する。


二十年前、叶わなかった約束。


一緒にいる。


結婚する。


今度こそ叶えられる。


「唯依奈」


純弥の声に顔を上げる。


そこに。


二十年間ずっと会いたかった人がいる。


「私はやっぱり嫌だよ」


言葉が漏れた。


純弥は何も言わない。


「嫌だよ」


「うん」


「二十年待ったんだよ」


「うん」


「やっと会えたのに」


「うん」


「まだ八日しか一緒にいない」


「うん」


「もっと話したい」


「俺も」


「もっと一緒にいたい」


「俺もだよ」


純弥を見つめる。


「……」


それ以上は言えなかった。


純弥が言った言葉を思い出す。


――愛が未来を壊す。


そんなことはしたくない。


「……ずるいなぁ」


「何が?」


「純弥が言った言葉なのに」


涙を拭う。


「私に返ってきた」


「……?」


「なんでもない」


唯依奈は笑った。


泣きながら――笑った。


「女神様」


『はい』


「解除してください」


『よろしいのですね』


「うん」


純弥を見る。


「純弥を」


「――結愛ちゃんのところに帰してあげて」


祭壇から白い光が溢れた。


『双方の意思を確認しました』


『転生契約を解除します』


純弥の身体が透け始める。


「……本当に消えるんだな」


「うん」


「唯依奈」


「なに?」


「ありがとう」


「最後じゃないから!」


唯依奈が叫ぶ。


「絶対!」


純弥が目を見開く。


「また会うから!」


「待ってるから!」


純弥を包む光が強くなっていく。


「純弥!」


「唯依奈!」


手を伸ばす。


だが、触れることはできない。


指先が光へ溶けていく。


「――またね!」


最後に笑みを浮かべる二人。


「またな」


そして――消えていた。


「……」


静寂が広がる。


教会には、唯依奈だけが残されていた。


二十年間待った。


八日間だけ一緒にいた。


そして。


自分の手でもう一度、送り出した。


「……ばか」


涙が落ちる。


「本当に帰っちゃった」


『あなたが帰したのでしょう』


「うるさい」


『褒めたつもりなのですが』


「今は褒めないで」


『では、後ほど』


「それも嫌」


『難しいですね、人間は』


「私は聖女でしょ」


『人間なのは変わりません』


「……」


唯依奈は空を見上げた。


青い空。


その向こうに別の世界がある。


純弥がいる。


結愛がいる。


「ちゃんと帰ってよ」


小さく呟く。


「結愛ちゃんのところに」


〈現世・某病院〉


――音が聞こえた。


一定の間隔の電子音。


鼻を刺す消毒液の匂い。


「……」


重い。


身体がとても重い。


指先を動かす。


動いた。


瞼を開く。


白い天井が見えていた。


「……ここは?」


掠れた声に、何かが動く。


「――お父さん?」


純弥の目が見開かれた。


ベッドの傍らに少女が立っている。


目を真っ赤にして泣いていた。


「……結愛」


「お父さん!」


小さな身体が飛び込んでくる。


「うっ」


痛い。


身体中が痛い。


でも。


抱きしめた。


強く。


「お父さん……!」


「……ただいま」


その瞬間、純弥は気づいた。


帰ってきた。


――元の世界へ。


――結愛のところへ。


「ごめんな」


「なんで謝るの……?」


「……分かんない」


笑った。


涙が出た。


その時、病室の扉が開いた。


「純弥……?」


女性の声に純弥の表情が止まる。


入口に立っていた。


妻。


別所愛璃。


その隣には。


璃玖。


「……」


八日間。


忘れていたわけではない。


むしろ。


ずっと頭の片隅にあった。


帰れば、向き合わなければならない。


愛璃と。


璃玖と。


別所家と。


そして。


結愛の未来と。


「あなた……」


愛璃が一歩、病室へ入る。


純弥は結愛を抱いたまま、妻を見た。


「……愛璃」


ここからだ。


帰ってきて、全部解決。


――そんなわけがない。


異世界で過ごした八日間は終わった。


しかし、唯依奈はまだ知らなかった。


純弥の物語は。


ここから、もう一度始まることを――。


【第八話へ続く】


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