【第六話】カンフー聖女
――そんなわけがない。
そう思っていた純弥だったが。
その疑惑は、最悪の形で確信へ変わる。
〈某異世界・某魔王城〉
――六日目。
二人は魔王城へ辿り着いた。
城内を進んでいく二人。
目の前には巨大な扉が待ち構えていた。
「なんでこうなった」
純弥が呟く。
「言ったでしょ?」
「“拝借”しないといけないって」
「この魔王、最近また悪さしてるらしいから」
「宝玉を借りるついでに、お仕置きしないとね」
「……平和的に行きたいのに」
純弥の想いを無視して、巨大な扉が開いた。
玉座。
そこには、巨大な角を持つ男が座っていた。
「――!」
低い声が響くが、純弥には分からない。
「なんて?」
「『よく来たな、聖女』」
「へえ」
魔王が続ける。
「――!」
「『今度こそ貴様を葬る』」
「知り合い?」
「三回目」
「多くない?」
「反省しないんだよね、この人」
「お前が何回も“拝借”してるせいじゃないのか?」
「……最初に強奪したのはあっちだから大丈夫」
(……略奪品以上に拝借してるけど)
「……何を隠してる」
「……何も」
唯依奈を問い詰めようとするが、魔王の唸り声が響く。
視線は純弥へ向いていた。
何かを問いかける。
「俺?」
「『その男は何者だ』って」
「なんて答えた?」
「私の大切な人」
「……」
純弥が黙った。
「なに?」
「いや」
視線を逸らす。
そして、数日前の出来事を思い出す。
「唯依奈、いったん待て」
「俺は戦う術がないし、いったん“平和的”に行こう」
「平和的?」
「せっかく覚えたしな」
「…………」
唯依奈の目が泳いだ。
「……いいんじゃない?」
「なんだよ、その間」
「向こうが話し合いに応じるといいね」
「安心しろ」
「平和とは、お互いが譲り合うことから始まるんだ」
純弥は一歩前へ出た。
その後ろで笑いを堪えている唯依奈。
そんな唯依奈の様子に気づかずに胸を張る。
(発音は褒められたんだ)
(角があっても話し合う余地はあるだろ?)
(最近流行りの魔王は、好戦的な奴ばかりじゃなかったぞ?)
異世界に来て、初めて覚えた言葉。
純弥は満面の笑みを浮かべ、大声で呼びかける。
(“平和に話し合いましょう”)
「――ラ・グダ・マル・ゴブリナ!」
「…………」
魔王が固まった。
「…………」
周囲の魔族も固まった。
純弥は満足そうに頷いた。
「どう?」
「…………っ」
唯依奈が口元を押さえている。
「完璧……」
「だろ?」
次の瞬間。
魔王から凄まじい魔力が噴き上がった。
「――――!!」
城全体が震える。
「……唯依奈」
「なに?」
「怒ってない?」
「怒ってるね」
「俺、発音間違えた?」
「完璧だったよ」
「意味以外は」
「……嫌な予感しかしないんだけど」
「おい……正直に教えろ」
唯依奈が笑う。
「『お前の母ちゃんゴブリン』」
「…………」
「発音は完璧だったよ」
「お前ぇぇぇぇぇ!!」
魔王が吠える。
巨大な火球が生まれた。
「何て言ってる!?」
「『我が母上を愚弄した罪、その命で償え』」
「謝って!」
「通じないよ?」
「通訳しろよ!」
「どのみち戦う予定だったし」
「じゃあ俺に言わせる必要なかっただろ!」
「純弥が勝手に言い出したじゃん」
魔王が腕を振り下ろした。
巨大な火球が飛んでくる。
「唯依奈!」
「大丈夫!」
「聖女に任せて!」
唯依奈が一歩前へ出る。
上着を脱いだ。
「……ずっと思ってたんだが」
「杖は?」
「持ってないよ?」
「詠唱は?」
「しないよ?」
「じゃあどうやって戦うんだよ!」
唯依奈が腰を落とす。
片手を前へ。
もう片方を引く。
見覚えのある構えに、純弥の目が細くなった。
「…………おい」
「なに?」
「その構え、どこで覚えた?」
「師匠から」
「……映画だろ?」
「そうともいうね」
「やっぱりかよ!」
火球が迫る。
唯依奈の身体が白く輝いた。
次の瞬間。
消えた。
「え?」
否。
速すぎただけだった。
床を蹴り。
柱を蹴り。
壁を蹴る。
火球を躱す。
魔王の懐へ。
拳を繰り出し、魔王の身体が吹き飛んでいく。
「…………」
純弥の口が開いた。
「カンフーじゃねえか!」
「ロマンだよね!」
魔族たちが一斉に襲いかかる。
唯依奈が上着を投げる。
一人の顔を覆う。
蹴る。
受け取る。
着る。
別の剣。
脱ぐ。
絡める。
引く。
投げる。
また着る。
「着るのか脱ぐのかどっちかにしろ!」
「忙しいの!」
椅子を蹴る。
滑る。
その上に乗る。
「お前、それ絶対――!」
「違うよ!」
「まだ何も言ってねえよ!」
唯依奈が、巨大な斧を避ける。
斧が卓を砕いた。
「純弥!」
「なんだ!?」
「それ!」
「どれだよ!」
「右!」
純弥が見る。
壁に飾られていた、長い棒を拾う。
「これ!?」
「投げて!」
「無茶言うな!」
それでも投げる。
唯依奈が受け取る。
棒を床につく。
身体が宙へ。
「…………」
一回転。
踵が魔族の頭へ落ちる。
「やっぱりじゃねえか!」
「何が!?」
「お前、映画で見たやつ全部やってるだろ!」
「参考にしただけ!」
「誰かに習ったのか!?」
「独学!!」
魔王が起き上がる。
怒り狂い、巨大な魔法陣を展開する。
一つ。
二つ。
三つ。
純弥は戦えない。
魔法も使えない。
ただ、見ていた。
魔王。
魔法陣。
唯依奈。
そして。
天井や壁を。
「……唯依奈!」
「なに!?」
「そのまま気を引いてろ!」
「……え?」
壁に飾られていた装飾品の剣を手に、二階の回廊に向かう純弥。
回廊にたどり着くと、お目当てのものはすぐそこにあった。
シャンデリアを支えている鎖を一本ずつ切り落としていく。
鎖はどんどん切り落とされて、残り二本となる。
「唯依奈!!」
「右に飛べ!!」
「分かった!」
残った鎖の一つを切り落とす。
シャンデリアが弧を描きながら落ちていく。
その先には、魔法を詠唱中の魔王がいた。
詠唱を止めて、慌てて避ける魔王。
「今!」
「分かってる!」
唯依奈が走る。
さらに跳ぶ。
魔王の頭上で拳が白く輝く。
「――反省しなさいっ!」
轟音が響き、床が揺れた。
「…………くっ」
かろうじて立ち上がる魔王。
唯依奈を睨んでいた。
だが。
「「あっ……」」
二人の声が重なる。
一本だけ残った鎖を軸に、シャンデリアが振り子のように戻ってきた。
そのまま。
――魔王の後頭部に直撃する。
「…………」
静寂が広がり、広間では魔王が倒れていた。
「……終わった?」
「うん!」
笑顔。
「お仕置き完了!」
「……で?」
「ん?」
「宝玉」
「あ」
「お前、忘れてただろ」
「忘れてないよ?」
「こっち見ろ」
唯依奈が魔王の角を折り、宝玉を回収する。
「あった!」
「それなの!?」
「大事なものは、肌身離さずに持ってるのが間違いないからね」
「それ、返すんだよな?」
「もちろん」
「本当に?」
「……」
「なんで黙る」
「前に借りたのもちゃんと返したよ」
「ほら、角が揃ってたでしょ」
「“前に”って何回借りてんだよ」
軽快な足取りで、純弥のもとに戻ってくる唯依奈。
「それにしてもさ」
「純弥の発想は、なかなか酷だよね」
「…………」
そんな唯依奈を尻目に、純弥は頭を抱えていた。
「お前……ごまかすなよ?」
目線を逸らす唯依奈。
「なにを?」
「本当に何になったんだよ」
「聖女」
「俺の知ってる聖女と違う」
「ちゃんと神聖魔法使ってたじゃん」
「拳に乗せてただろ!」
「効率いいよ?」
「そういう問題じゃない!」
唯依奈が上着の埃を払う。
「それ、誰かに教わったんじゃないんだな?」
「うん」
「本当に独学?」
「映画の真似してたら、いつの間にかできるようになった」
「普通はならねえよ」
「でも」
唯依奈が胸を張る。
「二十歳になるまで、お酒は飲んでないよ?」
「当たり前だ」
「……時計台からは落ちたことはないんだな?」
「……あれよりは低いから」
「……否定してくれよ」
純弥は天を仰いだ。
「お前、この二十年何してたんだよ……」
――魔王城を出た後。
二人は近くの村へ寄った。
そこで、純弥は初めて知った。
魔王の軍勢によって傷ついた人々。
焼けた家。
荒れた畑。
泣いている子供。
唯依奈は何も言わず、その中心へ歩いていった。
両手を合わせる。
祈る。
今までとは違った。
拳も。
蹴りも。
冗談もない。
柔らかな光が広がっていく。
負傷者の傷が塞がる。
濁っていた水が澄んでいく。
黒く焼けた大地から、小さな芽が顔を出す。
「……」
純弥は何も言えなかった。
人々が集まってくる。
一人。
また一人。
唯依奈へ頭を下げる。
涙を流す者もいた。
子供が唯依奈に抱きついた。
唯依奈は笑って、その子を抱きしめる。
純弥はただ見ていた。
やがて。
戻ってきた唯依奈へ言う。
「……すごいな」
「え?」
「唯依奈」
「な、なに急に」
「本当に聖女なんだな」
「だから何回言わせるの!」
「そうじゃなくて」
純弥が笑った。
「俺の知らないところで」
一度、言葉を切る。
「ちゃんと生きてたんだな」
唯依奈の表情が止まった。
「……」
「二十年」
「……うん」
「長かったな」
「うん」
「頑張ったんだな」
唯依奈は俯いた。
「……うん」
小さな声だった。
それ以上。
何も言えなかった。
――七日目。
二人は山を越えた。
その夜。
焚き火を挟んで座っていた。
教会までは、もう半日。
「ねえ」
「ん?」
「愛璃さんって、どんな人?」
純弥の表情が僅かに変わった。
「……急だな」
「聞いちゃダメ?」
「いや」
火を見る。
「難しいな」
「好き?」
「それ、二回目だぞ」
「答えてないもん」
「……」
純弥は黙った。
「結婚した時は」
「――好きであろうとしたよ」
唯依奈は続きを待った。
でも。
純弥は何も言わない。
「別所家で、何があったの?」
「……」
「結愛ちゃんと純弥だけ、扱いが違うのも」
「璃玖くんだけ愛璃さんの隣にいたのも」
「帰りたくないって言った理由も」
「全部繋がってるんでしょ?」
「唯依奈」
「なに?」
「今は聞かないでくれ」
「……」
「帰ったら」
純弥は自嘲するように笑った。
「嫌でも向き合わなきゃならないから」
唯依奈はしばらく純弥を見つめた。
そして。
「分かった」
それ以上は聞かなかった。
代わりに。
「ねえ」
「ん?」
「純弥は?」
「何が?」
「私のこと、聞かないの?」
「聞いてるだろ」
「全然!」
「世界救った」
「うん」
「魔王倒した」
「うん」
「時計台から落ちた」
「そこは重要じゃないよ!」
純弥が笑う。
「じゃあ、一つだけ」
「なに?」
「――幸せだった?」
唯依奈の笑顔が止まった。
「……」
答えようとした。
でも。
言葉が出なかった。
楽しかった。
嬉しかった。
苦しかった。
悲しかった。
たくさんの人に出会った。
たくさんの人を救った。
たくさんの人に愛された。
それでも。
ずっと、心のどこかに純弥がいた。
「……幸せだったよ」
唯依奈は答えた。
「そっか」
「うん」
「ならよかった」
「……」
唯依奈は膝を抱える。
「幸せであろうとしたんだよ」
「純弥がいなかったから」
「一言余計だ」
「ふふ」
笑った。
でも。
少しだけ泣きそうだった。
明日には終わる。
二十年間待った再会が。
残された時間はあと半日だった――
【第七話へ続く】




