【第四話】初めての異世界語
〈某異世界・礼拝堂〉
――八日間。
それが、純弥を元の世界へ帰すために与えられた猶予だった。
『では、試練について説明します』
女神が指を鳴らし、乾いた音が礼拝堂に響く。
すると。
二人の前に、淡い光で描かれた地図が浮かび上がった。
『試練の内容は単純です』
女神が地図の一点を指差す。
大陸の東。
山脈に囲まれた場所。
そこだけが、白く輝いている。
『ここへ向かってください』
「ここ?」
『転生契約の解除には、大量のエネルギーが必要です』
『ちょうどいいものが、ここにありますので』
女神が地図の一点を指差す。
「……ちょうどいいもの?」
女神が微笑む。
『魔王の一人が所有する宝玉です』
「……魔王?」
『はい』
『八日以内に彼から宝玉を拝借してください』
「こういう時は、王族とかじゃないのですか?」
「勇者は、王族から拝借するのがセオリーかと……」
『安心してください――王族ですから』
「魔族のな!」
女神様と純弥を無視して、唯依奈が地図を覗き込む。
「あー……」
「……知ってる相手なのか?」
「うん」
「何回も拝借させてもらってるね」
「……なら、交渉のハードルは低そうだな」
「遠いのか?」
「普通に行けば十日くらいかな」
「期限八日じゃなかったか?」
『八日です』
女神が微笑む。
「無理じゃん!」
『あなたなら間に合うでしょう』
「私一人ならね!」
唯依奈が純弥を指差す。
「四十歳いるんだよ!?」
「まだ三十八だ」
「体力落ちてるでしょ?」
「お前な」
「肩上がる?」
「腰とか大丈夫?」
「馬鹿にするなよ!」
女神は二人を無視して続ける。
『とりあえず』
『――八日以内に彼から宝玉を拝借してください』
『拝借後に、近くの教会で会いましょう』
「教会に行けば終わり?」
『いいえ』
女神の表情が僅かに変わった。
『最後に、二人で選択していただきます』
「選択?」
『転生契約は、魂に関わる契約です』
『私の一存だけで解除することはできません』
女神は純弥を見る。
『衛守純弥』
「はい」
『あなた自身が元の世界へ戻ることを望むこと』
そして。
唯依奈を見る。
『渡会唯依奈』
「……はい」
『あなた自身が、衛守純弥の魂を手放すこと』
唯依奈の表情が止まった。
『二人の意思が一致した時』
『初めて、契約は解除されます』
「……」
唯依奈は何も言わなかった。
八日以内に教会へ行く。
それだけなら簡単だった。
でも。
最後に。
――自分で純弥を手放さなければならない。
「できない場合は?」
純弥が尋ねた。
『転生契約が成立します』
「その場合、純弥は?」
『この世界の住人として転生します』
『その際は、唯依奈のように役職やスキルを与えますよ』
「与える?」
『よくあるじゃありませんか』
『転生者への特典です』
女神様と話し込む純弥の隣で、唯依奈は心が揺れていた。
(私の隣に純弥が……)
「唯依奈?」
「なんでもない!」
純弥の言葉に顔を上げる。
(結愛ちゃんのためにって言ったばかりなのにな……)
唯依奈は一つ息を吐いた。
ウエディングドレスから、冒険者の格好に換装する唯依奈。
「行こう!」
「着替えも切り替え早いな」
「八日しかないんだよ!」
「ご褒美シーンは終わってからだよ」
「……うるさいっ」
焦る純弥の腕を掴む唯依奈。
「善は急げ!」
「おい、引っ張るな!」
礼拝堂の扉を開く唯依奈。
二人に眩しい光が差し込んだ。
純弥は目を細める。
そして。
「――うわ」
初めて、異世界を見た。
石畳の街。
赤や青の屋根。
空には巨大な鳥のような生物。
道端には、いくつもの露店。
人間だけではない。
長い耳を持つ者。
角を生やした者。
自分の腰ほどしかない小柄な者。
見たこともない人々が行き交っている。
「……マジで異世界なんだな」
「今さら?」
「礼拝堂の中じゃ分からないだろ」
純弥が辺りを見渡す。
「すげえな……」
「でしょ?」
なぜか唯依奈が胸を張った。
「私の世界!」
「お前のじゃないだろ」
「二十年住んだら、もう私のものだよ」
「魔王みたいに言うな」
「私の知識も市場に広がってるんだよ?」
「水洗トイレとか、猫脚お風呂とか、天蓋付きベッドとか」
「料理やドレス、せっけんや化粧品とかもね」
「……猫脚と天蓋付きは使ったことないだろ」
「わかってないね」
「――女の子のロマンを」
その時。
「あっ!」
誰かが声を上げた。
純弥には意味が分からない。
だが。
周囲の人々が一斉にこちらを見た。
「……何?」
「え?」
「なんか見られてるけど」
「気のせいじゃない?」
「いや」
一人の少女が走ってきた。
「――!」
何かを叫びながら。
唯依奈へ飛びつく。
「わっ!」
唯依奈が少女を受け止めた。
少女は嬉しそうだった。
唯依奈も笑っている。
純弥には分からない言葉で、二人は楽しそうに話している。
やがて母親らしき女性が追いつき、唯依奈へ深々と頭を下げた。
さらに。
一人。
二人。
三人。
人が集まってくる。
「……」
純弥は黙って見ていた。
唯依奈が老婆の手を握る。
子供の頭を撫でる。
兵士らしき男が胸に手を当て、頭を下げる。
その度に。
皆が同じ言葉を口にしていた。
「何て言ってるんだ?」
「ん?」
「みんな」
「ああ」
「まだ転生が決まってないから、言葉が伝わらないのか」
唯依奈は少し照れくさそうに笑った。
「聖女様、いつもありがとうって」
「……」
「だから言ったじゃん」
胸を張る。
「私、聖女なんだよ」
「……本当だったんだな」
「信じてなかったの!?」
「世界救ったとか言われて、すぐ信じられるか」
「ひどい!」
純弥は笑った。
でも。
その目は、唯依奈を見ていた。
自分の知らない唯依奈。
十八歳で止まっていたはずの少女が。
自分の知らない世界で。
自分の知らない人たちに囲まれている。
「……二十年か」
「え?」
「いや」
純弥は首を振った。
「行こうぜ」
「うん!」
〈某異世界・某所〉
――目的地までの旅は順調……とはいかなかった。
「おい」
「なに?」
「囲まれてない?」
「囲まれてるね」
「知り合い?」
「知らない」
街道沿い。
見るからに柄の悪い男たちが、二人を囲んでいた。
武器。
革鎧。
傷だらけの顔。
純弥でも分かる。
まともな連中ではない。
「何て言ってる?」
「えっとね」
男たちの一人が唯依奈を指差し、何かを言った。
周囲が笑う。
唯依奈も笑顔になる。
「私たちに興味があるみたい」
「……その笑顔、怒ってる時のやつじゃなかった?」
「よく覚えてるね」
「何年一緒にいたと思ってんだ」
「十八年」
「二十年ぶりでも変わらない部分があって安心したよ」
唯依奈が男たちへ向き直る。
そして。
満面の笑顔で。
「――ラ・グダ・マル・ゴブリナ」
「…………」
男たちの笑顔が消えた。
「……?」
一人のこめかみに青筋が浮かぶ。
何かを怒鳴り返した。
唯依奈が笑顔のまま一歩前へ出る。
すると。
男たちは何かを思い出して、顔を引きつらせていく。
そして。
何かを吐き捨てながら去っていった。
「……すげえ」
純弥が感心する。
「今の何て言ったの?」
「ん?」
「最後の」
「ああ」
唯依奈の目が僅かに泳ぐ。
「こっちでよく使う言葉だよ」
「へえ」
「あんな人に会った時とか」
「“平和に話し合いましょう”、みたいな?」
「んー」
少し考える。
「まあ、あってるね」
「なるほど」
純弥が口の中で繰り返す。
「ラ・グダ……」
「ラ・グダ・マル・ゴブリナ」
「ラ・グダ・マル・ゴブリナ」
「おお!」
「どう?」
「発音上手!」
「マジ?」
「うん!」
「現地人みたい?」
「通じると思う!」
「あっ……」
「ああいう時だけ使うんだよ?」
「“こんにちは”とか“ありがとう”はまた教えてあげるから」
「よし」
純弥は少し嬉しそうだった。
唯依奈は顔を背ける。
肩が震えていた。
「……なんで笑ってんの?」
「笑ってないよ?」
「こっち見ろ」
「早く行こ!」
「おい!」
純弥はまだ知らなかった。
異世界で初めて覚えたその言葉を。
数日後。
よりにもよって、最悪の相手に使うことになるとは――
【第五話へ続く】




