【第三話】異世界転生のクーリングオフ
〈某異世界・礼拝堂〉
「……帰りたくない」
小さな呟きだった。
けれど。
唯依奈には、はっきりと聞こえた。
「なんで?」
意味が分からなかった。
――結愛を愛している。
――結愛を心配している。
写真を見ていれば分かる。
あの目は嘘じゃない。
なのに。
「帰りたくないって、どういうこと?」
「……」
純弥は何も答えない。
ただ、スマホの画面を見つめていた。
そこには、結愛の笑顔が映っている。
「だって結愛ちゃんがいるんだよ?」
「待ってるよ?」
「お父さんなんだから、帰らなきゃダメじゃん」
純弥から返事はない。
唯依奈の胸の奥に、苛立ちが込み上げる。
「――馬鹿じゃないのっ!」
純弥の肩が僅かに揺れた。
「私は純弥にまた会えて嬉しいよ!」
「二十年も待ったんだよ!?」
「ずっとずっと会いたかった!」
声が礼拝堂に響く。
「少しおじさんになってたし、結婚してたし、子供も二人いるし!」
「想像してた再会とは全然違ったけど!」
「……悪かったな」
「純弥は悪くない!」
「じゃあ、なんで怒られてるんだよ」
「今は黙って聞いて!」
「……はい」
昔と変わらない返事。
それが余計に胸を締めつけた。
変わっていない。
自分も。
純弥も。
話していれば、二十年前に戻ったような気さえする。
――でも。
二十年という時間は、確かに流れていた。
「……私ね」
唯依奈は俯いた。
「お父さんとお母さんに、何も返せなかった」
純弥の表情が変わる。
「高校の卒業式も見せられなかった」
「成人式の袴姿も」
「結婚式のウエディングドレス姿も」
自分のドレスを見下ろす。
今日。
純弥に見せるために選んだもの。
本当なら。
あの二人にも見せたかった。
「孫の顔だって……見せてあげられなかった」
「――何も」
礼拝堂に沈黙が落ちた。
「唯依奈……」
「十分すぎるくらい愛してもらったのに」
「何一つ返せないまま、私は死んじゃった」
それだけは。
聖女になっても。
世界を救っても。
奇跡を起こせるようになっても。
どうすることもできなかった。
「だから、この気持ちは誰にも味わってほしくない」
唯依奈は顔を上げる。
「純弥の娘なら、なおさら」
「……」
「結愛ちゃんには純弥がいるじゃん」
「まだ間に合うのに」
「だったら――」
胸が痛む。
言いたくない。
本当は言いたくなんてない。
――やっと会えた。
――もう離れたくない。
それでも。
「――帰りなよ」
純弥の瞳が揺れた。
「後悔するよ」
「……」
「お互いに」
声が震える。
「――私みたいに」
純弥はスマホを握り締めた。
強く。
壊れてしまいそうなほどに。
「……後悔ならしてる」
唯依奈は息を呑んだ。
「ずっとしてる」
「結愛が生まれた日に、絶対に守るって決めたんだけどな」
純弥が苦く笑う。
「守ろうとすればするほど……」
「あいつのためになってるのか分からなくなる」
「……どういう意味?」
「結愛は優しいんだよ」
スマホの画面を見つめる。
「優しすぎるくらい優しい」
「今日だって、川に落ちた子を見て自分から飛び込んだ」
「普通なら大人を呼ぶ」
「でも、あいつは自分で助けようとした」
「それは……」
「俺に似たんだと思う」
純弥が小さく笑った。
だが。
その笑顔はどこか寂しかった。
「昔からそうだっただろ、俺」
「困ってる奴を見ると放っておけなくて」
「……うん」
「結愛は俺を見て育った」
「だから俺みたいになった」
「それの何が悪いの?」
「悪いよ」
即答だった。
「今日、死にかけた」
唯依奈は何も言えなくなった。
「今回は助かった」
「でも次は?」
「俺はその度に守れるのか?」
「ずっと結愛の隣にいられるのか?」
「そんなの……」
分からない。
そんな未来のこと。
誰にも分からない。
「俺がいるから、結愛は俺を真似する」
「俺がいるから、無茶をする」
「だったら――」
「それは違う!」
唯依奈が遮った。
「お父さんがいなくなったら、悲しむに決まってる!」
スマホを指差す。
「この顔見れば分かるよ!」
「運動会も、誕生日も、遊園地も!」
「全部、純弥の隣で笑ってるじゃん!」
「こんな顔する子が――」
「お父さんなんていない方がいいなんて思うわけない!」
「……そうなんだろうな」
純弥は笑った。
寂しそうに。
「でも」
視線を落とす。
「俺は結愛の未来を壊したくない」
「愛してるからこそ」
「俺が結愛の可能性を奪うようなことはしたくない」
そして。
ぽつりと呟いた。
「愛が未来を壊す――そんなことはしたくない」
「……」
その言葉に、唯依奈は引っかかった。
――何かがおかしい。
「……純弥」
「なんだ」
「帰りたくない理由」
純弥を見る。
「――本当は別にあるんでしょ?」
「……」
純弥は答えなかった。
長い沈黙。
それだけで十分だった。
やっぱり、何かある。
愛璃。
結愛。
璃玖。
別所家。
さっき見た集合写真。
中央にいた愛璃と璃玖。
端にいた純弥と結愛。
「純弥――」
問いかけようとした。
その時だった。
『――そこまでです』
「…………げ」
唯依奈の顔が引きつった。
純弥が眉をひそめる。
「なんだ?」
「……なんでもない」
『聞こえているでしょう』
「聞こえてない」
『返事をしています』
「気のせいです」
「おい」
純弥が呆れた顔をする。
「誰と喋ってる?」
「誰とも喋ってないよ?」
『渡会唯依奈』
「はいっ!」
反射的に返事をしてしまった。
しまった。
唯依奈は口を押さえる。
純弥の目が細くなる。
「誰だ?」
「……女神様」
「は?」
「だから、女神様」
「……お前、死んでから女神様と知り合いになったのか?」
「知り合いというか……」
何と言えばいいのだろう。
聖女になった。
世界を救った。
奇跡を授かった。
そういう意味では。
「……上司?」
『違います』
「守護神?」
『もっと違います』
「じゃあ友達?」
『……一度、しっかり話し合う必要がありそうですね』
「……ごめんなさい」
怖い。
声だけなのに、とても怖い。
すると。
祭壇の上に光が集まり始めた。
白い光。
それは徐々に人の形を作っていく。
「え?」
純弥が目を見開く。
唯依奈は一歩後ずさった。
「……怒ってる?」
『怒っていません』
「絶対怒ってるじゃん……」
やがて。
光の中から、一人の女性が姿を現した。
純白の長い髪。
淡い金色の瞳。
白を基調とした衣。
そして。
見るだけで息を呑むような神々しさ。
女性は静かに地面へ降り立った。
『初めまして、衛守純弥』
純弥は呆然としている。
「……本当に女神様?」
『はい』
女性は微笑んだ。
『人の生死と転生を管理する者の一人です』
『世界ごとに担当が分かれているのですが――』
『こちらと、あなたが生まれた世界』
『どちらも私が受け持っています』
「…………」
純弥が唯依奈を見る。
「本物?」
「本物」
「お前、本当にとんでもないところにいるんだな」
「世界も救ったよ!」
「それはさっき聞いた」
「もっと驚いてよ!」
「十分驚いてる」
女神が小さく息を吐いた。
『再会を喜ぶのは結構ですが……』
その視線が唯依奈へ向く。
『渡会唯依奈』
「はい」
『私は反対しましたね?』
「……何のことでしょう」
『衛守純弥の魂を召喚することです』
「…………」
『何度も』
「……はい」
『何度も』
「二回言わなくてもいいじゃん……」
『それでも、あなたは禁術を使用しました』
「だって!」
唯依奈は純弥を見る。
「今日だったから!」
「……今日?」
純弥が首を傾げる。
「純弥が死に近づく日」
唯依奈は顔を背けながら答えた。
「……」
「二十年前から、ずっと待ってた」
女神が目を閉じる。
『その言い方も正確ではありませんが……今はいいでしょう』
『衛守純弥』
「はい」
突然名前を呼ばれ、純弥が姿勢を正した。
『先ほど唯依奈から聞いた通り、あなたはまだ死亡していません』
『肉体と魂の繋がりも残っています』
「じゃあ、戻れるんですか?」
『……本来であれば』
『すぐにでも』
「じゃあ!」
唯依奈が身を乗り出す。
だが。
『――本来であれば、です』
嫌な予感がした。
女神の視線がこちらへ向く。
『渡会唯依奈』
「……はい」
『あなたが使用した術式は、単なる魂の召喚ではありません』
「……え?」
『異なる世界から魂を呼び寄せ、こちらの世界へ転生させるためのもの』
「……うん」
『つまり』
女神は淡々と言った。
『現在、衛守純弥の魂はこの世界と契約を結びかけています』
「…………え?」
唯依奈の顔から血の気が引いた。
「ちょっと待って」
『待ちません』
「まだ何もしてないよ!?」
『しました』
「何を!?」
『召喚を』
「……した」
『そして成功しました』
「……したね」
『結果として、転生契約が開始されています』
「…………」
唯依奈は恐る恐る純弥を見る。
純弥もこちらを見ていた。
「お前……」
「わざとじゃないよ!?」
「俺、まだ何も言ってないぞ」
「顔が言ってる!」
女神は構わず続ける。
『このまま契約が完了すれば』
『――衛守純弥の魂はこちらの世界へ定着します』
『そうなれば、元の肉体へ戻ることはできません』
純弥の表情が変わった。
「……それは」
スマホを見る。
「結愛のところに、帰れないってことですか」
『はい』
沈黙が広がる。
唯依奈は唇を噛む。
そんなつもりじゃなかった。
この世界で、もう一度純弥と一緒に生きるために。
そのために二十年間待った。
なのに。
――まだ、死なせてはいけなかった。
「……解除できないの?」
唯依奈が聞く。
『原則として、できません』
「……」
頬を膨らませる唯依奈。
『そんな顔で見ても答えは変わりませんよ』
「……」
両手で祈る仕草を取り、上目遣いで見つめる。
『……その顔もダメです』
「純弥も同じことやって」
「……おじさんがやっても気持ち悪いだろ」
「大丈夫」
「この女神様、承認欲求強いタイプだから」
「拝まれるのに弱いの」
「……本人の前で言うことじゃないぞ」
「私は陰口は嫌いなの」
「……正当化はされないからな」
「いいからやって」
「……やけだな」
純弥も渋々と唯依奈の隣で両手を合わせる。
「お願い!女神様にしか頼れないの!」
「僕らには女神様しかいないんです」
『……』
女神は黙っている。
だが。
ほんの少しだけ口元が緩んだ。
唯依奈は見逃さなかった。
――効いてる!
純弥を見る。
目が合い、二人が頷く。
「「純情可憐!」」
女神の眉が僅かに動く。
「「容姿端麗!」」
髪を耳に掛けた。
「「才色兼備!」」
完全に効いている。
「八方美人!」
「……おい、それは違うだろ」
『――二人がそこまで言うのなら、仕方ありませんね』
「ほんと!?」
唯依奈が顔を上げる。
女神は小さく咳払いをした。
『あなたたちの故郷にある制度を、特例として適用させましょう』
『異世界転生における消費者救済制度、とでもしておきます』
「ありがとう!」
唯依奈が飛び上がって喜ぶ。
『――ただし、条件があります』
「……え? 条件?」
動きが止まった。
『特例ですから、無条件というわけにはいきません』
『私の立場も汲んでください』
「……何をすればいいの?」
『転生契約を解除するための試練を受けてください』
「試練……」
『あなたたち二人で』
女神は二人を見つめる。
『それを達成すれば、契約を解除します』
「純弥の魂を、元の世界へ戻せるの?」
『はい』
「じゃあやる!」
即答だった。
純弥と目が合う。
「唯依奈」
「やるよ」
迷う必要なんてない。
本当は一緒にいたい。
ずっと。
今度こそ。
それでも。
「結愛ちゃんのところに帰す」
唯依奈は言った。
「絶対に」
女神は静かに頷いた。
『承知しました』
『では、期限をお伝えします』
「期限?」
女神が指を立てた。
『八日間です』
「……八日?」
『召喚が成立した時点から八日以内』
『その間に試練を達成してください』
「八日を過ぎた場合は?」
『転生契約が成立します』
「……」
『以降の解除は認められません』
「ちょっと待って!」
唯依奈は手を挙げた。
「なんで八日なの!?」
『あなたたちの故郷の制度を参考にしたからですよ』
「八日……」
純弥が何かに気づいたような顔をする。
「つまり……」
『はい』
「八日以内なら、契約をなかったことにできる?」
『概ね、その認識で問題ありません』
「……なるほど」
純弥が頷く。
唯依奈も頷く。
「…………」
「…………」
何か、聞いたことがある。
契約しても、一定期間なら解除できる。
八日間。
唯依奈は恐る恐る女神を見る。
「……それって」
『はい』
女神は何でもないことのように微笑んだ。
『クーリングオフです』
「異世界にもあるの!?」
唯依奈の叫びが礼拝堂に響き渡った。
――こうして。
二十年越しの再会は。
八日間のクーリングオフ期間へと突入した――
【第四話へ続く】
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