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【第二話】子持ちなんて聞いてません

〈某異世界・礼拝堂〉


「…………え?」


唯依奈の思考が止まった。


純弥の左手の薬指。


そこにある銀色の輪。


何度見ても消えない。


「……なに、それ」


「指輪だな」


「見ればわかるよ!」


思わず叫んでいた。


礼拝堂に声が響く。


「なんで指輪してるの!?」


「結婚してるから」


「結婚!?」


唯依奈は一歩後退した。


頭が真っ白になる。


結婚。


結婚?


「……事件現場にあるやつ?」


「それは血痕だな」


「……エンジントラブル?」


「それは欠航だな」


「……小学生の運動会?」


「それはかけっこだな」


「……さすがに苦しくないか?」


純弥が苦笑する。


――やっぱり楽しい。


二十年経っても、会話のテンポは変わらない。


自然と頬が緩んだ。


だが、すぐに唯依奈の目が丸くなる。


――違う違う。


結婚ってあの結婚?


自分が今やろうとしていたやつ?


「いやいやいやいや!」


両手をぶんぶん振る。


「おかしいでしょ!」


「何がだ」


「何がって!」


全部だ。


全部おかしい。


二十年ぶりに再会した初恋の相手が。


結婚式場を用意して。


ウエディングドレスまで着て。


いざプロポーズしようとしたら。


既婚者だった。


そんなの聞いていない。


本当に聞いていない。


「だって約束したじゃん!」


「高校卒業したらいっぱい遊んで!」


「大学出たら結婚するって!」


「したな」


「したよね!?」


「したな」


純弥はあっさり頷いた。


認めるのか。


そこは認めるのか。


「じゃあなんで!?」


「二十年経ったからだろ」


「……ぐぅ」


「ぐうの音が出てるぞ」


正論だった。


正論すぎた。


唯依奈は膝から崩れ落ちた。


「女神様ぁ……」


『だから言ったでしょう』


頭の中に呆れた声が響く。


聞こえなかったことにした。


「相手は誰……?」


別所愛璃(べっしょ あいり)


知らない名前だった。


当然だ。


二十年間会っていないのだから。


「別所って、あの別所?」


「隣町で老舗ホテルとか経営してた」


「――そう」


「そこの社長の長女」


「好きなの?」


「……」


純弥は少しだけ黙った。


その沈黙だけで、何となく分かってしまった。


唯依奈は顔を上げる。


「好きだったの?」


「……沈黙は肯定じゃなかったのか」


「沈黙は、必ずしも肯定を意味しないんだよ」


「……で?」


「今は好きなの?」


「聞くな」


純弥が目を逸らした。


何かある。


それだけは分かった。


だが今はそこではない。


もっと重要な問題がある。


「子供は?」


純弥が固まった。


唯依奈も固まった。


数秒。


礼拝堂に沈黙が落ちる。


「……いる」


終わった。


本当に終わった。


「いるの?」


「いる」


「何人?」


「二人」


「二人ぃ!?」


唯依奈は頭を抱えた。


結婚していた。


子供もいた。


しかも二人。


情報量が多すぎる。


「子持ちだなんて聞いてない」


「ししゃもみたいに言うな」


「――名前は?」


「長女が結愛(ゆあ)


「長男が璃玖(りく)


「十歳と八歳だ」


「私より年下じゃん……」


「当たり前だろ」


「はは……足したら十八歳」


「……足すなよ」


そうだった。


何を言っているんだ自分は。


だがショックだった。


本当にショックだった。


二十年待った結果がこれである。


女神様が反対していた理由が少し分かった気がした。


少しだけ。


「写真ある?」


「は?」


「写真」


純弥は不思議そうな顔をした。


それから胸ポケットを探る。


「ああ」


取り出したのは見たことのない薄い板だった。


「なにそれ」


「スマホ」


「知ってる」


「知らない顔してるぞ」


「携帯ショップでは見たことあるから!」


「……選ばなかったけど」


純弥が呆れた顔をする。


失礼な。


二十年前の知識しかないだけだ。


純弥は慣れた手つきで画面を操作した。


色鮮やかな写真が映る。


唯依奈は目を見開いた。


「……わ」


思わず声が漏れる。


女の子だった。


黒髪に大きな瞳で笑顔が弾けていた。


どこか純弥に似ている。


「結愛」


純弥が言った。


写真の中の少女を見つめる目が優しい。


二十年前。


自分を見ていた時と同じ目だった。


「可愛い……」


「だろ」


「可愛い」


「だろ」


「すごく可愛い」


「だろ」


少し嬉しそうな顔をする純弥。


親馬鹿だった。


昔から面倒見は良かった。


迷子を見つけたら放っておけない。


怪我した子がいたら助ける。


そんな人だった。


だから……きっと……


――良い父親なのだろう。


「璃玖くんは?」


その瞬間。


純弥の笑顔が固まる。


「……あまり写真無くてな」


“璃玖”と書かれたフォルダを見せる純弥。


何枚か画面を動かして。


一枚の写真を表示する。


大勢の人が並んだ集合写真。


「……どの子?」


「このワインレッドのドレスの女性が愛璃」


「その隣が璃玖」


「俺の妻と長男」


「へぇ……」


綺麗な女性だった。


その隣に立つ少年も、よく似ている。


けれど。


唯依奈は写真を見つめたまま首を傾げた。


「……純弥と結愛ちゃんは?」


「写真の端」


「端?」


指で画面を動かす。


ようやく見つけた。


一番後ろ。


それも、列の端。


純弥と結愛が並んで立っていた。


「……なんで?」


「何が?」


「旦那と長女は最上段の端にいるの?」


もう一度、写真全体を見る。


愛璃と璃玖は中央近く。


純弥と結愛は端。


四人で撮った写真ですらない。


「これ……家族写真じゃないの?」


「別所家の親族が集まった時の写真だな」


「じゃあ、なんで純弥と結愛ちゃんだけ離れてるの?」


「……」


「璃玖くんは愛璃さんの隣にいるのに」


純弥は少しだけ黙った。


「別所家じゃ、そういう扱いなんだよ」


「……何、それ」


純弥は答えない。


唯依奈は写真を見る。


愛璃。


璃玖。


そして。


離れた場所にいる純弥と結愛。


――何かがおかしい。


夫婦。


家族。


そのはずなのに。


写真からは、そう見えなかった。


「璃玖は、放っておいても周りが面倒見る」


「……」


「でも、結愛は違う」


純弥が画面を切り替える。


再び映ったのは、結愛の笑顔。


「結愛のことは俺がちゃんとしないといけないんだ」


「今日も一緒に川に行ってて……」


そこで、純弥の顔から血の気が引いた。


「――そうだった」


「え?」


「結愛は!?」


急に肩を掴まれ、唯依奈は息を呑む。


「結愛が無事なのか分かんないのか!?」


「何があったの?」


「……分からない」


純弥の声が震える。


「川に落ちた子がいた」


「その子を助けに行った結愛を追いかけて、俺も飛び込んだ」


「子供たちは助けた」


「陸までは運んだ」


「――そこから先の記憶がない」


静かな声だった。


だが。


震えていた。


「俺がここにいるってことは」


「向こうじゃ、既に死んじまったんだろ」


純弥は写真を見つめる。


結愛の笑顔を。


何よりも大切なものを見るように。


唯依奈は理解した。


この人は、娘を愛している。


自分が思っている以上に。


「ううん」


「……え?」


「まだ死んでない」


純弥が顔を上げた。


「分かるのか?」


「うん」


唯依奈は頷く。


「純弥をこっちに呼んだ時に分かった」


「魂と向こうの身体が、まだ完全には離れてない」


「正確には、死にかけてるだけ」


「だから――」


唯依奈は力強く言った。


「まだ間に合うよ!」


「……」


「帰らなきゃダメじゃん」


純弥が目を見開く。


唯依奈はスマホを指差した。


「結愛ちゃんいるじゃん」


「こんなに可愛いじゃん」


「父親なんだから、ちゃんとそばにいてあげなきゃダメでしょ」


純弥は何も言わなかった。


ただ。


苦しそうに目を伏せる。


そして。


「……帰りたくない」


小さく呟いた。


唯依奈は眉をひそめた。


意味が分からなかった。


こんなに愛しているのに。


こんなに心配しているのに。


どうして?


どうして、娘の元へ帰りたくないのだろう――


【第三話へ続く】


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