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【エピローグ①】約束した明日

〈某異世界・礼拝堂〉


――白い光が、礼拝堂を包んでいた。


天井まで届く大きなステンドグラス。


純白の花々。


長く伸びる赤い絨毯。


「……またここかよ」


衛守純弥は、ゆっくりと身体を起こした。


痛くない。


苦しくない。


身体の重さも。


息苦しさも。


――何もない。


「……」


自分の手を見る。


皺もなく、血色もよくなっていた。


純弥は、ゆっくりと自分の頬へ触れた。


「……若返ってる?」


その声まで若い。


「――十八歳だもん」


「……」


声が聞こえた。


忘れるはずがない。


何度も。


夢に見た。


何十年経っても忘れなかった声。


純弥がゆっくりと顔を上げる。


祭壇の前には、一人の少女が立っていた。


六十二年前とも。


四十二年前とも。


何一つ変わらない。


――十八歳の時の姿。


そして。


四十二年前と同様に純白のドレス姿だった。


花嫁は、少しだけ頬を膨らませていた。


「……遅い」


「……」


純弥は何も言えなかった。


「遅いよ」


もう一度、少女が言う。


その声が僅かに震えていた。


「……唯依奈?」


「うん」


「……」


「なに?」


「いや」


純弥が小さく笑う。


「変わってねえなと思って」


「変わったよ!」


「どこが?」


「中身!」


「……」


「なんで黙るの!?」


「いや」


「実年齢を考えると、もう少し落ち着いたかと思ってた」


「失礼!」


唯依奈がずかずかと歩いてくる。


そして。


純弥の目の前で止まった。


「……」


「……」


二人で見つめ合う。


さっきまでの勢いが、嘘みたいに消えていた。


唯依奈の目が、少しずつ潤んでいく。


「……純弥」


「ああ」


「また会えたね」


「うん」


「……今回もクーリングオフできるみたいだよ?」


「……」


純弥が少しだけ目を伏せる。


家族の顔が浮かぶ。


“またね”


そう言って送り出されていた。


だから。


「帰らねえよ」


「……」


「もう」


「あっちに帰る理由はない」


唯依奈の顔が歪む。


「……遅い」


「さっきも聞いたぞ?」


「何回でも言う!」


「しょうがねえだろ」


「あれから四十二年だよ!」


「私は待ってたの!」


「俺は子供育ててたの!」


「知ってる!」


「じゃあ文句言うな!」


「文句くらい言わせてよ!」


言い合って、笑い合っていた。


そして。


「……おかえり」


純弥は、一瞬だけ目を伏せる。


それから。


「ああ」


微笑みながら頷いた。


「――ただいま」


その瞬間。


唯依奈が純弥の胸へ飛び込んだ。


「ぐっ」


「純弥っ!」


「お前!」


「十八の身体に戻ったばっかなんだから加減しろ!」


「知らない!」


「なんでだよ!」


「四十二年分!」


「重い!」


「乙女に重いって言った!」


「時間の話だ!」


「もう一回言って!」


「……重い?」


「それじゃない!!」


「――ただいまって!!」


「……」


純弥がため息を吐く。


それでも、唯依奈の背中へ腕を回した。


「……ただいま」


「うん」


唯依奈も、強く抱き締めた。


強く――


「ちょっとは加減しろ!」


――しばらくして。


「……なあ」


「ん?」


純弥は唯依奈の左手を見ていた。


「指輪」


「……」


唯依奈が自分の左手を見る。


薬指。


そこには一つの指輪があった。


豪華なものではない。


宝石もそれほど大きくない。


それでも純弥には見覚えがあった。


「見つけたのか」


「……うん」


「いつ?」


「純弥が帰ったあと」


「すぐ?」


「ううん」


唯依奈が少しだけ頬を膨らませる。


「しばらく気づかなかった」


「……ギター放置してたんだな?」


「……」


目を背ける唯依奈。


「……練習すらしてないな?」


「そもそもさ!」


「――なんで隠していたの!?」


「……話逸らすな」


「……なんで隠していたの?」


首を傾げながら尋ねる唯依奈。


「……可愛く言っても許してやらんからな」


「……細かい」


「結愛いたし、目の前で渡すわけにはいかないだろうが!」


「別にいいじゃん」


「娘の目の前で」


「――昔の女に指輪を渡す父親を見せられるか!」


「昔の女じゃないもん!」


「そこじゃねえ!」


「それに」


「離婚したくせにそんなこと気にしていたの?」


「もっと違うことに気を使いなよ」


「うるせぇ!」


唯依奈が笑う。


「サプライズ方法とかも気を使った方がいいよ?」


「ギターの中はどうかと思う」


「……うるさい」


「練習しようと思って、持ちあげたら……」


「カラカラって」


「……」


「カラカラ」


「二回言うな」


「最初、壊れたのかと思ったもん」


純弥が頭を抱える。


「もう少し」


「なんかこう……格好いい見つけ方なかったのかよ」


「隠した本人が言う?」


「……」


「振ったら出てきた」


「最悪だ」


「床を転がってった」


「やめろ」


「椅子の下まで」


「もういい!」


唯依奈が楽しそうに笑う。


「でも」


「?」


左手を胸の前へ持っていく。


「嬉しかったよ」


「……」


「すごく」


「……そっか」


「うん」


「サイズは?」


「合ってた」


「ならよし」


「そこ気にするんだ?」


「大事だろ」


「もっと他にあるでしょ」


「なんだよ」


「例えば」


唯依奈が指輪へ触れる。


「どういう意味だったのかとか」


「……」


純弥が黙った。


「純弥」


「……予約」


「え?」


「だから」


純弥が頭を掻く。


「予約だよ」


「何の?」


「……」


「何の予約?」


「分かってて聞いてるだろ」


「聞きたい」


「面倒くせえ」


「四十二年――」


「いや……もっと待っていたんだけど?」


「それ言えば何でも通ると思うなよ」


「通らないの?」


「……」


「純弥?」


「……次に」


純弥がゆっくりと口を開く。


「次に会えた時」


「……」


「お前がまだ俺を好きだったら」


「……」


「今度こそ」


純弥が唯依奈を見る。


「ちゃんと一緒にいようと思ってた」


「……」


唯依奈は何も言わなかった。


ただ。


純弥を見ていた。


「……なんだよ」


「別に」


「じゃあ何で泣いてんだよ」


「泣いてない」


「泣いてるだろ」


「これは」


唯依奈が目元を拭う。


「四十二年分」


「便利だな、その言葉」


「何にでも使えるよ」


「使うな」


「……純弥」


「ん?」


「好きだよ」


「……」


「まだ」


「ずっと」


「――好き」


「……そっか」


「純弥は?」


「言わねえ」


「なんで!?」


「分かってるだろ」


「聞きたい!」


「面倒くせえ!」


「四十二年――」


「それ禁止!」


「ケチ!」


純弥が笑う。


唯依奈も泣きながら笑っていた。


そして。


唯依奈が自分の左手へ触れる。


指輪をゆっくりと外した。


「……おい」


困惑している純弥の前へ差し出す。


「……何してんだ?」


「返す」


「なんでだよ」


「だって」


唯依奈が笑う。


「私――ちゃんともらってないもん」


「……」


「勝手に見つけて、勝手につけただけ」


「……」


「だから」


純弥の手へ指輪を置く。


「今度は――ちゃんと渡して」


「……面倒くせえな」


「大事なところだよ!」


「分かったよ」


純弥が指輪を見る。


小さな輪。


ずっと渡せなかった。


あの時、渡すこともできた。


でも。


これを渡せば、本当に帰れなくなりそうだったから。


だから。


ギターの中へ、こっそりと忍ばせた。


でも。


もう帰る必要はない。


「唯依奈」


「うん」


純弥が左手を差し出す。


唯依奈が、その上へ自分の手を重ねた。


「……約束」


「?」


「遅くなったな」


唯依奈の目が、少しだけ開かれる。


「……うん」


「大学はとっくに出た」


「うん」


「唯依奈は中卒だけど」


「それは言わなくていい!」


「俺も一回結婚したし」


「それも言わなくていい!」


「子供も二人育てた」


「それは……許してあげよう」


「お互いに八十にもなった」


「今は十八歳です」


「そうだけどよ」


純弥が笑う。


そして。


唯依奈の薬指へ指輪を通した。


「結婚するか」


「……」


唯依奈が俯く。


肩が小さく震えていた。


「……唯依奈?」


「遅い」


「今日三回目だぞ」


「遅いよ……」


ぽたり。


涙が落ちた。


「高校卒業したら、いっぱい遊ぶって言った」


「ああ」


「大学行って一緒に暮らすって」


「ああ」


「大学出たら結婚するって」


「ああ」


「約束した」


「ああ」


「なのに……」


「悪かったよ」


「純弥が悪いわけじゃない」


「じゃあどうしろってんだ」


「知らない!」


「理不尽!」


唯依奈が涙を拭う。


そして。


指輪を見る。


「……絶対だからね」


「……」


かつて返すことのできなかった言葉。


雨の中。


何度更新しても、変わることのなかった最後のメール。


“絶対だからね!”


あの日、守ることができなかった約束。


「純弥」


「ん?」


「絶対だからね」


今度は目の前にいる。


ちゃんと声が届く。


だから。


純弥は笑った。


「ああ」


唯依奈の手を強く握る。


「約束する」


――それから。


二人は結婚した。


今度は本当に。


礼拝堂には純白の花々が並び、長く伸びる赤い絨毯。


ステンドグラスからは白い光が差し込む。


そして。


純白のドレスが輝いていた。


「どう?」


「何が?」


「綺麗?」


「……まあ」


「まあ!?」


「綺麗だよ!」


「最初から言って!」


「うるせえ!」


「新婦にうるさいって言った!」


「お前は新婦になると無敵なのか!?」


「今日だけは!」


「普段からだろ!」


女神が頭を抱えていた。


『……始めてもよろしいですか?』


「お願いします!」


「すみません」


『なぜ純弥が謝るのですか』


「なんとなく」


「なんで!?」


『お気持ちは分かります』


「女神様!?」


礼拝堂に笑い声が響いた。


あの日。


唯依奈が一人で用意した、結婚式場みたいな礼拝堂。


六十二年前に交わして。


一度は、叶わないはずだった約束。


ずいぶん遠回りをした。


それでも。


今度は、本当に――二人の結婚式場になった。


純弥は、隣に立つ花嫁を見る。


「なに?」


「いや」


小さく笑って、その手を握った。


今度は。


もう、離す必要はなかった――


【エピローグ②に続く】


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