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【第二十四話】奇跡のプリン

〈現世・仁科総合病院・病室〉


――それから、数日後。


結愛は、ベッドの上で膝を抱えながら、窓の外を眺めていた。


「……暇」


「病人が言う台詞じゃねえな」


「もう病人じゃないもん」


「退院するまでは患者だ」


「元患者」


「まだ入院してんだろ」


「……細かい」


純弥が、ベッド脇の椅子に座ったままため息を吐く。


あれから、何度も検査が行われた。


血液。


画像。


組織。


ありとあらゆるものを。


何度も。


何度も。


調べた。


そして。


出た答えは――異常なし。


それだけだった。


一週間前まで、確かに存在していた“異常”。


それが跡形もなく、消えていた。


「先生……相当困ってたね」


結愛が笑う。


「そりゃそうだろ」


「治す薬も無いって言われてたんだから」


原因すら分からなかったものが。


突然、完全に消えた。


薬が効いたとも。


自然治癒とも。


説明できない。


医師からすれば、頭を抱えたくなる話だろう。


「でも」


結愛が自分の胸元へ手を当てる。


「治った」


「ああ」


純弥も笑う。


「それで十分だ」


胸の奥。


この世界には存在しない小さな宝玉。


今も確かに、娘の身体を支えている。


「……そういえば」


結愛が純弥を見る。


璃玖(りく)、今日も来る?」


「来るって言ってたぞ」


「何時?」


「知らん」


「聞いてないの?」


「俺はお前の秘書じゃねえ」


「お父さんなのに」


「父親にスケジュール管理まで求めんな」


その時、病室の扉が開いた。


「――姉ちゃん!」


「噂をすれば」


璃玖だった。


愛璃もその後ろから入ってくる。


璃玖は小さな保冷バッグを大事そうに抱えていた。


「……何それ?」


結愛が聞く。


璃玖が少しだけ得意そうな顔をした。


「差し入れ」


「中身は?」


「……プリン」


「プリン?」


結愛の目が少しだけ大きくなる。


純弥も璃玖を見る。


「買ってきたの?」


「……」


璃玖が目を逸らす。


「……作った」


「えっ?」


結愛が思わず身体を起こした。


「璃玖が?」


「悪い?」


「だって」


結愛が笑う。


「前に言ってたじゃん」


「プリンは買った方が美味しいって」


璃玖の顔が少しだけ赤くなる。


「……覚えてたの?」


「覚えてるよ」


「忘れてよ……」


愛璃が口元を押さえて笑う。


「朝から頑張ってたのよ」


「母さん!」


「いいじゃない」


「何回も温度見て」


「言わなくていい!」


「砂糖と塩も間違えるし……」


「母さん!」


「愛璃が手伝ったのか……」


純弥が遠い目を向ける。


「……何を言いたいの?」


「いや」


「お前は昔、砂糖と味の素を間違えたよなって」


「……昔の話を出さないで」


「塩じゃないところが凄いよな」


「黙って」


「……へえ」


結愛がにやにやしながら両親を見る。


「昔は一緒にご飯作っていたんだ」


「……昔の話を出すんじゃねぇ」


純弥と愛璃が顔を背ける。


だが。


顔には笑みが浮かんでいた。


璃玖が結愛に近づく。


「……食べないなら持って帰るよ?」


「待って、食べるから!」


満面の笑みを浮かべる璃玖。


保冷バッグから小さな容器を取り出す。


蓋を開けると、淡い黄色が輝いていた。


「……見た目は」


純弥が覗き込む。


「悪くねえな」


「父さんは黙ってて」


「料理人にその態度か」


「元だろ」


「お前な……」


結愛がスプーンを受け取る。


一口。


「……」


璃玖がじっと見ている。


「……どう?」


「……」


「……姉ちゃん?」


結愛が顔を上げる。


「――美味しい」


満面の笑みを浮かべていた。


「ほんと!?」


「うん」


璃玖の顔がぱっと明るくなる。


もう一口。


そして、三口目。


「……」


璃玖の表情が僅かに固まった。


「……どうしたの?」


「……別に」


「?」


四口目。


璃玖の目がスプーンを追う。


五口目。


六口目。


「……璃玖?」


「何?」


「……ずっと見てるつもりなの?」


「見てない」


「見てるじゃん」


「……」


――あの日。


初めて璃玖が茶碗蒸しを作った日。


結愛は三口目で手を止めた。


今日。


結愛の手は――止まらなかった。


「……姉ちゃん」


「ん?」


「気持ち悪くない?」


「全然」


「苦しくない?」


「大丈夫」


「本当に?」


「……過保護」


結愛がまた一口食べる。


そして、小さく笑った。


「だって、お腹空いてるもん」


「……」


璃玖が黙る。


結愛は、最後の一口をすくう。


「ごちそうさま」


空になった容器を璃玖へ差し出した。


「……」


璃玖は、受け取らなかった。


「璃玖?」


「……全部」


「ん?」


「全部食べた」


「うん」


「……」


璃玖の目が少しだけ赤くなる。


「治ったんだ」


「うん」


「本当に?」


「うん」


結愛が笑う。


「治ったよ」


「……そっか」


璃玖が俯いた。


「……よかった」


小さな声だった。


結愛が何も言わず、璃玖の頭を撫でる。


「やめろよ」


「いいじゃん」


「子供扱いすんな」


「弟だもん」


「関係ないし」


「それに」


結愛が空になったプリンの容器を見る。


「前より美味しかった」


「……前?」


璃玖が顔を上げる。


「茶碗蒸しより」


「別の料理じゃん!」


「でも璃玖が作ったやつ」


「……」


純弥が容器を片付ける。


「……俺の分は?」


「ない」


「なんでだよ」


「姉ちゃんのだから」


「……」


純弥が愛璃を見る。


愛璃が少し得意そうに笑う。


「おいしかったわよ?」


「俺だけ蚊帳の外かよ」


結愛が声を上げて笑った。


病室に家族の笑い声が響いていた――


――その日の夕方。


「……異世界?」


璃玖が目を丸くしていた。


そこにいるのは。


純弥。


愛璃。


結愛。


璃玖。


四人だけ。


「――そう」


結愛があっさり答える。


「異世界」


「……」


璃玖が純弥を見る。


「父さん」


「なんだ」


「姉ちゃん、薬の副作用残ってない?」


「正常だ」


「じゃあ父さんが?」


「俺も正常だ!」


愛璃が額を押さえる。


「……私も」


「まだ信じてないから」


「まあ」


純弥が腕を組む。


「普通はそうだよな」


愛璃が純弥を睨む。


「普通とか言うなら、あなたも説明して」


「だから……ちょっと異世界を冒険してきた」


「雑!」


「大体合ってるよ」


結愛が頷く。


「魔王に会ったよ!」


「マジで!?」


璃玖が食いつく。


「ドラゴンもいた」


「ドラゴン!?」


「……見てないけど」


「見てないの!?」


「髭は見た」


「なんで髭!?」


「ギターの弦になってた」


「何の話!?」


璃玖の目がどんどん輝いていく。


「お父さんが演奏してくれた」


「ちょっ……それは内緒――」


「聞いたことない!」


「私も聞いたことないわね……」


純弥に視線が突き刺さる。


「……歌わないからな」


それでも璃玖の目は輝いたままだった。


「……もう無理ね」


「璃玖は止まらないわよ?」


「頑固なところは」


「勝手に異世界に行った、“父親”とそっくりね」


「……うるさい」


璃玖が結愛に視線を戻す。


「魔法は?」


「ある」


「エルフは!?」


「いるらしい」


「剣は!?」


「あるよ」


「僕も行きたかった!」


「治療しに行ったんだって!」


結愛が叫ぶ。


「観光じゃないから!」


「でも、食べ歩きとかしたんでしょ?」


「なんで分かったの!?」


「お父さんとお姉ちゃんが異世界行って」


「大人しく治療だけして帰ってくるわけないじゃん」


「お前」


純弥が璃玖を見る。


「お父さんを何だと思ってる」


「トラブルメーカー」


「違う」


結愛と愛璃が同時に目を逸らした。


「おい」


「なんで誰も否定しねえんだ」


愛璃が一度、大きく息を吐いた。


「……つまり」


「ちゃんと結愛は治ったの?」


「うん」


結愛が自分の胸元へ手を当てる。


「もう大丈夫」


「……」


愛璃は何も言わなかった。


しばらく娘を見つめる。


そして。


「……そう」


「……よかった」


結愛を抱きしめる愛璃。


その眼には涙が溢れていた。


「……信じるのか?」


「……空気読んで」


愛璃が呆れたように笑う。


「これ以上考えても仕方ないもの」


「……」


「原因不明だった病気が原因不明のまま治った」


「結愛が元気になった」


「あなたも戻ってきた」


「それでいいんでしょう?」


「……」


純弥が少しだけ笑う。


「ああ」


「全部に、理由なんてつけなくていいもんな」


「あなたに言われると腹立つけど」


「なんでだよ」


「今まで理由のない行動ばっかりしてるから」


「してねえよ!」


「してるよ」


結愛が笑う。


璃玖だけが、どこか納得していなかった。


「……ずるい」


「まだ言う?」


結愛が苦笑いを浮かべていた。


「僕も異世界行きたい」


「無理だって」


「姉ちゃんだけ」


「だから治療!」


「魔王にも会ったんだろ?」


「会った」


「ずるい」


結愛が璃玖を見る。


「……」


そして、にやりと笑った。


「――大丈夫」


「何が?」


「任せておいて」


「……何を?」


「内緒」


「何それ」


「いつか分かるよ」


「いつ?」


「さあ?」


「姉ちゃん!」


「璃玖が、この話を内緒にしてくれるならね」


結愛はそれ以上答えなかった。


ただ。


少しだけ意味ありげに笑っていた。


――結愛の回復は。


当然ながら、病院内だけでは収まらなかった。


原因不明。


治療法不明。


極めて稀な症例。


それが突然。


全ての異常が消えた。


医師も研究者も、説明できない。


純弥たちも、治療内容について話せるわけがない。


異世界。


魔素。


宝玉。


そんなものを、真面目な顔で説明したところで。


信用されるはずもない。


だから、何も言わなかった。


ただ。


璃玖が持ってきた手作りのプリン。


それを、食欲を失っていた結愛が全部食べた。


その話だけが、どこからか少しずつ広まった。


姉のために、料理を始めた弟。


食べられなくなった姉。


弟が作ったプリン。


そして。


奇跡的な回復。


話というものは人から人へ渡るたび。


少しずつ形を変えていく。


いつしか。


――弟の愛が姉に奇跡を起こした。


そんな。


少し綺麗すぎる話になっていた。


「……僕」


「奇跡起こしたことになってるんだけど」


「すごいじゃん」


結愛が笑う。


「すごくない!」


「料理人になる前に伝説作ったな」


純弥も笑う。


「父さん!」


「いい宣伝になるぞ」


「何の!?」


「将来の店」


「まだ店出さないから!」


「じゃあ修業しろ」


「……」


「するよ」


「ん?」


「料理」


「ちゃんとやってみたい」


純弥が璃玖を見る。


「……そうか」


「あのプリンもまだ全然だったし」


「自覚あるんだな」


「うるさい」


「でも」


璃玖が結愛を見る。


「全部食べてくれたから」


「……うん」


「もうちょっと……上手くなってみたい」


純弥はしばらく息子を見ていた。


血は繋がっていない。


だが。


そんなことは、今更どうでもよかった。


「……料理人に、合格なんてねえぞ」


「え?」


「今日美味いもの作れても」


「明日はもっと美味いもの作れるかもしれない」


「……」


「一生を懸けて上手くなるんだよ」


璃玖が少し考える。


そして。


「じゃあ」


「付き合ってよ」


純弥が笑う。


「……しょうがねえな」


姉のために始めた料理。


それが。


この日から、父と息子を繋ぐものになった――。


【第二十五話へ続く】


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