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【第二十二話】当たり前のこと

〈某異世界・聖都・某礼拝堂〉


――翌日。


借り受けた宝玉を使い、結愛の治療が始まろうとしていた。


祭壇の前。


柔らかな布の上に横たわる結愛。


その胸元では。


逢忠(ほうちゅう)の角から取り出した宝玉が、淡い光を放っている。


「……始めるね」


隣に座った唯依奈が、宝玉へ両手をかざした。


「うん」


「怖かったら言って」


「……ちょっと怖い」


「うん」


唯依奈が笑う。


「私も怖い」


「――おい」


少し離れた場所に座っていた純弥が、思わず声を上げた。


「そこでお前まで怖がるなよ」


「だって初めてだもん」


「初めて!?」


「人の身体に魔王の宝玉を定着させるのはね」


「先に言えよ!」


「言ったら純弥、もっと心配するでしょ?」


「当たり前だろ!」


「お父さん」


結愛が横になったまま顔だけを向ける。


「うるさい」


「……悪い」


唯依奈が吹き出した。


「笑うな」


「……だって」


小さく笑ってから、唯依奈は再び宝玉へ目を向けた。


一つ息を吐き、表情が変わる。


「――いくよ」


「うん」


白い光が灯った。


礼拝堂全体を包むほどの光となり、


ゆっくりと結愛の身体へ流れ込んでいく。


胸元に置かれた宝玉が。


一度。


強く脈打った。


「……っ!」


結愛の身体が跳ねる。


「結愛!」


純弥が立ち上がった。


「待って!」


唯依奈が叫ぶ。


「でも!」


「来ないで!」


宝玉から溢れた光が一瞬だけ強くなり、結愛が胸を押さえる。


「くっ……!」


「結愛!」


「大丈夫!」


唯依奈の額に汗が滲む。


両手から放たれる光が、宝玉を包み込んでいく。


「拒絶してるんじゃない」


「じゃあなんだよ!」


「急に入ってきたから、身体が驚いてるだけ!」


「それ大丈夫って言うのか!?」


「大丈夫にするの!」


「コーラの一気飲みぐらいの感覚にするから」


「それ普通に苦しいだろ!」


「今よりマシ!」


「基準がおかしいんだよ!」


「――黙ってて!」


「はい……」


結愛が苦しそうな顔のまま、僅かに笑った。


「……お父さん」


「大丈夫か!?」


「怒られてる」


「今それ言う!?」


「喋れるなら大丈夫!」


唯依奈が声を上げる。


「結愛ちゃん」


「うん」


「ゆっくり息して」


「……うん」


「身体の中に何か入ってくる感じがしても、押し返さないで」


「分かった」


結愛が目を閉じる。


呼吸を整える。


一度。


二度。


三度。


それに合わせるように。


宝玉の光も少しずつ穏やかになっていった。


やがて。


結愛の身体から力が抜ける。


「……」


「……結愛?」


純弥が呼ぶ。


「……大丈夫」


「痛くないか?」


「もう平気」


「苦しくない?」


「大丈夫」


「気持ち悪く――」


「お父さん」


「なんだ?」


「――過保護」


「……悪い」


今度こそ、唯依奈が吹き出した。


「笑うな」


「だって」


唯依奈は額の汗を拭いながら、嬉しそうに純弥を見る。


「お父さんだなって」


「父親だよ」


結愛も目を閉じたまま、少しだけ笑っていた。


「……唯依奈」


「うん」


「どうなんだ?」


唯依奈は胸元の宝玉へ視線を落とす。


先ほどまで激しく明滅していた光は、


今では結愛の鼓動に合わせるように、ゆっくりと脈打っていた。


「ちゃんと馴染み始めてる」


「……そうか」


「でも、急には無理」


唯依奈が結愛の手を握る。


「結愛ちゃんの身体は、ずっと魔素が足りない状態で生きてきたから」


「一気に満たしたら?」


「さっきみたいになる」


「……」


「だから少しずつ」


「身体に覚えさせるように、時間をかけて魔素を馴染ませていく」


純弥は黙って結愛を見る。


「……分かった」


待つしかない。


何もできないのは、相変わらずだった。


それでも。


現世の病室で、原因すら分からずに待っていた時とは違う。


今は。


娘の胸元で、確かに希望が脈打っていた。


――三日目。


「――お腹空いた」


純弥の足が止まった。


「……何?」


「お腹空いた」


隣を歩いていた結愛が、もう一度言う。


三人は聖都の通りを歩いていた。


治療は順調だった。


宝玉は少しずつ結愛の身体へ馴染んでいた。


初日のような苦しさも、あれ以降は起きていない。


『安静にしている必要もありません』


むしろ無理のない範囲で身体を動かした方が、魔素の循環にはいい。


そう女神から言われていた。


「……何食いたい?」


「なんでも」


「なんでもが一番困るんだよ」


「じゃあ……」


結愛が通りを見る。


屋台。


食堂。


見たことのない料理に、嗅いだことのない香辛料。


「――全部!」


「馬鹿」


「だって、お腹空いたんだもん」


「元気になった途端、食い倒れる気か」


「まだ完全には治ってないよ?」


「だったら尚更だ!」


結愛が笑う。


その笑顔を見て、純弥は少しだけ目を伏せた。


「……そっか」


「?」


「腹、減ったか」


「うん」


ほんの数日前まで、食事すら満足に取れなかった。


身体が生きるためのものを欲しがっている。


(当たり前のことが、こんなにも嬉しいなんてな……)


「……じゃあ食え」


「やった!」


「ただし食いすぎるな」


「どっち!?」


「適量食え!」


「分かんないよ!」


「お父さんが見ててやる」


「料理人面倒くさい!」


「料理人だから言ってんだよ!」


後ろで唯依奈が楽しそうに笑っていた。


「――純弥」


「ん?」


「あれ食べよう」


純弥が、唯依奈が指さした屋台を見る。


串に刺された肉。


薄い生地。


野菜。


香辛料の効いた赤いソース。


「……ケバブ」


「け……?」


「いや」


買ったものを一口食べる。


「……違うな」


「何が?」


「肉は知らねえ。香辛料も違う」


もう一口。


「でも、作り方は近いな」


結愛が唯依奈を見る。


「料理人になった」


「ね」


「料理人だよ!」


三人で少しずつ食べながら歩く。


そして。


また別の屋台の前で、結愛が足を止めた。


「お父さん」


「ん?」


「あれ」


「……」


純弥も止まる。


鉄板。


麺。


野菜。


肉。


そして。


二本のへら。


「……」


純弥が唯依奈を見る。


唯依奈が目を逸らした。


「おい」


「……」


「唯依奈」


「……焼きそば?」


「なんで異世界に焼きそばがあるんだよ!」


「美味しいから!」


「お前か!!」


「文化交流だよ!」


「美味しいものは世界を越えるんだよ!」


「勝手に越えさせんな!」


結愛が笑いながら、焼きそばを見る。


「食べたい」


「さっき食っただろ」


「お腹空いてる」


「……」


純弥は少しだけ笑った。


「一個な」


「三人で?」


「ああ」


「足りない」


「調子乗るな!」


「成長期」


「便利な言葉使うな!」


「唯依奈さんに負けてられないから」


「子供が張り合うことじゃない!」


――四日目。


「お父さん!」


「ん?」


聖都を歩いていた結愛が、一軒の店の前で足を止めた。


「これ!」


「……」


店先には何本もの弦楽器が並んでいる。


「……普通に売ってんじゃねえか」


唯依奈が嬉しそうに笑う。


「人気出たんだよね」


「お前、どこまで広めたんだよ……」


純弥が一本を手に取る。


逢忠の持っていたものより、ずっと簡素。


装飾も少ない。


けれど。


形はどう見ても、アコースティックギターだった。


弦を軽く弾く。


「……こっちは普通だな」


店主が不思議そうに答える。


「天馬の尾毛ですから」


「天馬?」


結愛が反応する。


「ペガサス?」


「そう呼ぶ地方もありますね」


「ペガサス!」


目が輝く。


「お父さん!」


「買わねえぞ」


「まだ何も言ってない!」


「顔に書いてある」


「いいじゃん」


唯依奈まで一本を手に取る。


「買おうよ」


「なんでお前まで」


「純弥が弾けばいい」


「俺なのかよ」


「結愛ちゃん、また聞きたいよね?」


「うん!」


「ほら」


「ほらじゃねえ」


純弥は手に持った弦琴を見る。


そして。


小さく息を吐いた。


「……いくら?」


「買うんじゃん!」


結愛が嬉しそうに笑う。


「うるせえ」


少しだけ弦琴へ視線を落とす。


「記念だ」


その日。


一本の異世界製の弦琴が、三人の荷物に加わった。


――楽器屋を出たあとも探索は続いていた。


「結愛ちゃん、あっち見よう!」


「行く!」


二人が露店へ向かっていく。


純弥はその背中を見送り。


ふと、反対側の通りへ目を向けた。


「……確か」


逢華から聞いた話を思い出す。


「こっちだったよな」


「お父さーん!」


「……今行く!」


二人へ返事をして、純弥もその後を追いかける。


ただ。


その日の夕方。


純弥は一人で、もう一度その通りを訪れていた――。


――五日目。


「ここ」


唯依奈が足を止める。


目の前には広い湖。


穏やかな水面を風が渡り、湖畔の草を静かに揺らしていた。


「……」


純弥は何も言わなかった。


結愛が湖を見つめる。


「綺麗……」


「でしょ?」


唯依奈が笑う。


「私のお気に入り」


「お父さんも来たことある?」


結愛に聞かれ。


純弥は少しだけ間を置いた。


「……あるよ」


「唯依奈さんと?」


「ああ」


「ふーん」


湖畔の教会を指さす純弥。


「……あそこの教会に祭壇があるんだよ」


「前は、そこから元の世界に帰った」


「……ふーん」


それ以上、結愛は聞かなかった。


湖畔へ歩いていく。


そして。


少しずつその足が速くなる。


「結愛」


純弥が呼ぶ。


「走るなよ!」


「大丈夫!」


「まだ治療中だぞ!」


「大丈夫だって!」


「転ぶなよ!」


「お父さんうるさい!」


結愛が走る。


笑いながら。


自分の足で湖畔を走っていく。


「……」


純弥は、その背中を見ていた。


数日前。


病院のベッドで、身体を起こすだけでも辛そうだった娘。


食事もまともに取れず、歩くことすら苦しかった。


その娘が、今。


――自分の足で走っている。


「……純弥」


「ん?」


「泣いてる?」


「泣いてねえ」


「目、赤いよ?」


「風だ」


唯依奈が辺りを見る。


湖面は穏やかだった。


「そんな吹いてないけど」


「うるせえ」


唯依奈が小さく笑う。


二人でしばらく湖を見る。


「……また来たね」


「ああ」


「覚えてた?」


「忘れるかよ」


「二十年前のことだって覚えてんだぞ?」


純弥が湖を見る。


「ましてや、ここに来たのは数か月前だ」


「……そっか」


唯依奈が嬉しそうに笑った。


「本当に、また会えた」


「……ああ」


数か月前。


この場所で二人は別れた。


もう会えない。


そう言った純弥に。


また会えると言った。


そして今、二人は同じ場所にいる。


「……三人で来るとは思わなかったな」


「私も」


「ああ」


「人生、分かんないね」


「お前が言うと説得力ありすぎるんだよ」


「なんで?」


「死んで異世界行って聖女やってる奴だからだよ」


「それもそうだね」


二人が笑う。


少し離れたところでは。


結愛が湖の近くにしゃがみ込み、水面を覗き込んでいた。


「……なあ」


純弥がぽつりと言う。


「ん?」


「前に、ここで」


少しだけ言葉を探す。


「また会えるって言ったよな」


「うん」


「……外れなかったな」


「うん」


唯依奈が胸を張る。


「私が正しかった」


「そこは胸張るんだな」


「だって」


唯依奈が純弥を見る。


「会えたもん」


「……そうだな」


純弥も少しだけ笑った。


その時。


「お父さーん!」


結愛の声が飛んでくる。


「ギター!」


「……今?」


「持ってきたでしょ!」


「お前が持たせていたんだろ!」


「弾いて!」


「魔王城でも弾いただろ!」


「湖でも聞きたい!」


「湖でギターなんて、ロマンだよ!」


「……ロマンね」


唯依奈を見つめる純弥。


「……どこぞの聖女と同じこと言いやがって」


「私教えてないよ?」


唯依奈が隣で笑っていた。


純弥は置いてあった弦琴を手に取る。


「しょうがねえな」


湖畔に三人並んで座る。


純弥が弦を鳴らす。


音が、湖の上をゆっくりと流れていく。


数か月前、純弥と唯依奈が別れた場所。


今は、三人の笑い声と穏やかな旋律が響いていた。


食べて。


歩いて。


走って。


笑って。


そんな、当たり前のことを。


結愛は一つずつ取り戻していた――


【第二十三話へ続く】


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