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【第十八話】残された一本

〈某異世界・礼拝堂〉


「……私が?」


結愛が自分自身を指差す。


「聖女?」


「候補だけどね」


「……」


結愛が、もう一度ステンドグラスを見上げる。


『――衛守結愛』


『あなたには、聖女としての適性があります』


「……」


純弥が女神を見る。


「――だから」


「資格があるって言ったのか?」


『はい』


『本来こちらの世界に生まれ得る資質を持つ魂です』


『だからこそ』


『生者ですが、異世界転生契約を締結する特例が認められました』


「先に言えよ」


『聞かれませんでしたので』


「役所だ……」


「女神様だよ」


「似たようなもんだろ」


『違います』


結愛は、まだステンドグラスを見ていた。


「……私」


「ん?」


「唯依奈さんみたいになるの?」


「可能性はあるよ」


「……」


沈黙する結愛と嫌そうな顔をする純弥。


「……拳で戦うのか?」


「なんでそこ!?」


唯依奈が声を上げる。


「……聖女って拳で戦うの?」


首を傾げて、唯依奈を見つめる結愛。


「聖女は拳で戦わないからね!?」


「じゃあ唯依奈さんは?」


「……私は好きでやってるだけだから」


「……こうはなってほしくないな」


「純弥は黙ってて!」


結愛が小さく笑った。


だが。


唯依奈はすぐに表情を戻した。


「……それで」


「うん」


「結愛ちゃんの身体なんだけど」


純弥が息を呑む。


「原因が分かったのか?」


「――うん」


唯依奈が結愛の手を握ったまま静かに告げる。


「結愛ちゃん」


「はい」


「病気じゃないよ」


「……え?」


純弥も目を見開く。


「どういうことだ?」


「身体を壊してる何かがあるんじゃない」


「逆なの」


「逆?」


「足りてないの」


「何が?」


唯依奈が答える。


「――魔素」


「……魔素?」


結愛が首を傾げる。


「魔法を使うための力」


唯依奈の指先に小さな光が灯る。


「この世界には、空気みたいにどこにでもある」


「じゃあ」


純弥が聞く。


「現世には?」


「ほとんどない」


女神も頷く。


『正確には、皆無ではありません』


『ですが』


『この世界とは比較にならないほど希薄です』


唯依奈が結愛を見る。


「普通の人なら」


「魔素なんてなくても、問題なんてなかったと思う」


「でも」


「結愛ちゃんは聖女候補だから」


自分の胸へ手を当てる。


「普通の人より、ずっと大きな器を持ってる」


「器?」


「魔素を受け入れる器」


「本当なら」


唯依奈が周囲を見渡す。


「この世界で生まれて」


「成長しながら、少しずつ魔素を取り込んで」


「身体も魂も、その器に合わせて育っていく」


「……」


「でも」


結愛を見る。


「結愛ちゃんは」


「魔素がほとんどない世界で育った」


純弥の表情が変わる。


「それで……?」


「うん」


「身体は成長した」


「器も大きくなった」


「なのに」


「中に入るはずの魔素だけが、ずっと足りなかった」


結愛が自分の胸へ手を置く。


「それが……病気?」


「現世ではそう見えてたんだと思う」


「足りない状態が限界を超えて」


「身体を維持できなくなった」


「だから」


「色んなところに異常が出てた」


「……」


純弥がゆっくりと息を吐いた。


「じゃあ」


周囲を見る。


「ここにはあるんだよな?」


「あるよ」


「だったら」


純弥の顔に、初めて明るさが戻る。


「ここにいれば治るんじゃないのか?」


「……」


唯依奈は答えなかった。


「唯依奈?」


「……普通なら」


「え?」


「ここにいるだけでいい」


「じゃあ――」


「でも」


首を横へ振る。


「遅すぎる」


「……何が?」


「結愛ちゃんは」


「本当なら十年以上かけて取り込んでたはずなの」


「それを今から」


「普通に取り込んでたら」


結愛の手を強く握る。


「――間に合わない」


「……」


純弥の顔から。


笑みが消える。


「何に」


「間に合わない?」


「身体が……」


「完全に壊れちゃう方が先」


静寂が広がる。


「……」


結愛が俯く。


「……結愛」


純弥が声を掛ける。


「――大丈夫!」


唯依奈が右手でVサインを作り、純弥と結愛に見せる。


「方法はあるから」


「……本当?」


「うん」


「どうするんだ?」


「簡単な話だよ♪」


「間に合わないなら……」


「間に合うように一気に入れる」


「結愛ちゃんが今まで足りなかった分」


「必要な量を短期間で全部ね♪」


「……力技過ぎないか?」


「……風船みたいに内側から割れそうなんだが」


今度は左手でもVサインを作る。


「私なら――できる!」


純弥の肩から力が抜けた。


「じゃあ――」


「でも」


「……まだあるのかよ」


「魔素がない」


「……はぁ?」


純弥が周囲を指差す。


「今ここにあるって言っただろ!」


「あるよ!」


「じゃあ使えよ!」


「量が足りないの!」


「世界中にあるんだろ!?」


「集めるのに時間がかかるの!」


「……」


「大量の魔素の塊が必要なの」


「……」


純弥が黙る。


(……大量の魔素の塊?)


自分自身が経験した八日間を思い出す。


「……なあ」


「なに?」


「“あれ”」


「どれ?」


「魔王の角」


「……」


唯依奈の動きが止まった。


「あの中にあった――“宝玉”」


純弥が唯依奈を見る。


「使えないのか?」


「……」


唯依奈の目が大きく見開かれた。


「……純弥」


「使える?」


「……うん」


「足りる?」


唯依奈は少しだけ考える。


そして、大きく頷いた。


「足りる」


純弥の顔が上がる。


「あれなら」


「十分すぎるくらい」


「じゃあ――」


「……でも、無理だと思う」


「は?」


立ち上がりかけた純弥の動きが止まった。


「なんで?」


「前に使った宝玉」


唯依奈が自分の頭を指差す。


「もう魔王に返してるの」


「……そりゃ返すだろ」


「うん」


「借りただけなんだから」


「うん」


「また借りればいいだろ」


「……それが無理なの」


「なんで?」


「宝玉を戻して」


「今、角を修復してる途中だから」


「……」


純弥が止まる。


「……治すものなの?」


「……一気に生えないの?」


「……角だもん」


「急には生えないよ」


「……」


「……」


沈黙が広がる。


純弥は腕を組み、魔王の姿を思い出す。


巨大な身体。


圧倒的な威圧感。


そして。


その頭部。


「……待てよ」


「ん?」


純弥が、自分の頭の横に人差し指を二本立てた。


「あいつ」


「うん」


「角」


二本の指を動かす。


「二本あったよな?」


「……」


唯依奈の目が泳いだ。


「あったよな?」


「……あるね」


純弥が、一本だけ指を折る。


「じゃあ」


残った一本を左右に振る。


「こっちは?」


「……」


「こっちの角の分じゃ、足りないのか?」


「……足りると思う」


「なら決まりだな」


「でも……絶対嫌がると思う」


「なんで?」


「一本目がまだ治ってないから」


「……」


「二本ともなくなっちゃう」


「なくなるわけじゃねえだろ」


「魔王にとっては同じだよ」


「……」


「前の時も」


唯依奈が苦笑する。


「すっごく怒ってたから」


純弥は少しだけ黙った。


そして、結愛を見る。


「でも」


「……」


「行くしかねえだろ」


唯依奈も結愛を見る。


「……うん」


「怒らせるの?」


結愛が不安そうに聞く。


「できれば怒らせたくないけどね」


「……でも怒られそうだね」


「お父さんだけが」


「……なんで俺限定なんだよ」


「だって」


結愛が唯依奈を見る。


「唯依奈さん、怒られても気にしなさそう」


「正解!」


「正解じゃねえよ」


純弥がため息を吐く。


「ちゃんと頼む」


「頭も下げる」


「必要なら土下座だってする」


「純弥が?」


「お前もだよ!」


「えぇ~」


「結愛の命かかってんだぞ!」


「分かってるよ」


唯依奈が笑う。


けれど。


すぐにその表情を引き締めた。


「絶対、借りよう」


「ああ」


その時。


『もう一つ』


女神の声が礼拝堂に響いた。


「……まだあるのか?」


純弥が嫌そうに振り返る。


『重要なことです』


女神は結愛を見る。


『衛守結愛』


「はい」


『あなたがこの世界にいられる時間についてです』


「……時間?」


『正確には』


『異世界転生契約を解除できる期限』


純弥の眉が動く。


唯依奈も何かに気づいた。


『その期限は――八日間です』


「……」


「……」


純弥と唯依奈が同時に固まった。


結愛だけが二人を見る。


「八日?」


「……また?」


純弥が呟く。


『またです』


「また八日かよ……」


純弥が額を押さえる。


「お父さん?」


「いや」


「こっちの話だ」


そして。


何かを思い出したように純弥の顔が引きつった。


「……待て」


「どうしたの?」


「俺」


「愛璃に一週間で戻るって約束した」


「……」


唯依奈が指を折る。


「つまり……七日?」


『こちらの期限は八日ですが』


「分かってるよ」


純弥が女神を見る。


「でも八日目に帰ったら」


一拍。


「殴られる」


「……誰に?」


結愛が首を傾げる。


「お前のお母さん」


「……」


結愛が少し考える。


「じゃあ七日だね」


「お前まで!?」


「だってお母さん、本当に殴りそう」


「そこは否定してくれよ!」


唯依奈が笑う。


「じゃあ決まりだね」


「何が?」


「八日あるけど」


人差し指を一本折る。


「七日で帰る」


「……そうだな」


純弥も小さく笑った。


「八日目は予備だ」


『異世界転生契約の期限を、家庭の事情で一日短縮しないでください』


「女神様より愛璃の方が、実害があるんだよ」


『女神に対して実害とは……不敬ですよ』


「今のはお前に対してじゃねえよ!」


『なんにせよ……』


『八日を過ぎれば』


『異世界転生契約は正式に成立します』


『あなたの魂はこちらの世界へ完全に所属する』


「それって……」


結愛が不安そうに聞く。


「どうなるんですか?」


『現世へは戻れません』


「……」


結愛の顔から笑みが消えた。


『あなたの肉体は現世に残ったままです』


『ですが』


『そこへ戻ることはできなくなる』


「……」


純弥が結愛の肩へ手を置いた。


「大丈夫」


「お父さん……」


「七日ある」


「……」


「その間に」


純弥が、指を一本立てる。


「魔王から宝玉を借りる」


二本目。


「唯依奈が結愛を治す」


三本目。


「それで現世に帰る」


結愛が三本の指を見る。


「……できる?」


「やるんだよ」


純弥は即答した。


結愛の頭へ手を置く。


「帰るんだ」


「……うん」


唯依奈も結愛の隣へ立つ。


「絶対治すから」


「……うん」


結愛は二人を見る。


そして。


小さく頷いた。


「分かった」


「……ねぇ?」


「ん?」


「その魔王って」


結愛の目に少しだけ、いつもの光が戻る。


「どんな人?」


「……」


純弥と唯依奈が。


顔を見合わせた。


「「面倒くさい」」


声が重なる。


「……悪い人?」


「いや」


純弥が答える。


「悪いやつじゃない」


「じゃあ大丈夫じゃない?」


「それとこれとは別なんだよ」


「?」


唯依奈が苦笑する。


「前にね」


自分の頭を指差す。


「角を一本、借りたの」


「角って借りるものなの?」


「ちゃんと返したよ?」


「そこじゃねえよ」


「?」


結愛はまだ知らない。


自分の命を救う、残された一本の角を巡って。


三十八歳の父親が。


魔王から説教を受ける羽目になることを――


【第十九話へ続く】


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