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【第十五話】二十年以上好きなんだよ

〈現世・仁科総合病院・近郊の海岸〉


――波の音だけが、二人の間に響いていた。


「……病気?」


「……結愛ちゃんが?」


「ああ」


唯依奈の表情から、さっきまでの笑顔が消えていた。


「どんな病気?」


「分からない」


「分からない?」


「医者にも原因が分からない」


純弥は手の中のコーラを見る。


今は飲む気にもなれなかった。


「全身の細胞に異常が出てるらしい」


「細胞……」


「癌じゃない」


「移植して治るもんでもない」


「原因も分からない」


「治す薬もない」


一つずつ。


医師から聞いた言葉を、そのまま口にしていく。


「今は、進行を抑える薬を使ってる」


「……効いてるの?」


「熱は下がった」


「うん」


「でも」


純弥の手に力が入る。


アルミ缶が僅かに歪んだ。


「治ってるわけじゃない」


「……」


「時間を稼いでるだけだって」


唯依奈は何も言わなかった。


ただ。


隣に座って、純弥の話を聞いていた。


「数十万人に一人とも、それ以下とも言われてるらしい」


「……なんで」


小さな声。


「なんで結愛ちゃんが……」


「本人も同じこと言ってたよ」


「え?」


「そんな珍しいなら、宝くじがよかったって」


「……」


唯依奈が俯いた。


そして。


「結愛ちゃんらしいね」


「会ったことないだろ」


「写真で見たもん」


「ああ」


「純弥の娘だし」


「どういう意味だよ」


「強がるところ」


「……俺じゃねえよ」


「そう?」


純弥は答えなかった。


唯依奈が海を見る。


「今、どこにいるの?」


「病院」


「ここから見える?」


「あそこ」


純弥が指を差す。


海岸から少し離れたところ。


灯りの点いた建物。


「あの辺」


「……」


唯依奈が立ち上がった。


「行こう」


「は?」


「結愛ちゃんのところ」


「面会時間終わってるぞ」


「窓から入る?」


「お前は聖女だよな?」


「うん」


「泥棒じゃないよな?」


「必要ならどっちにもなれる」


「なるな」


唯依奈は病院を見つめる。


「明日じゃダメ?」


「……明日なら」


「じゃあ明日ね」


「お前」


純弥が唯依奈を見る。


「いつまでこっちにいられるんだ?」


「……」


唯依奈の目が泳いだ。


「おい」


「女神様と相談中」


「来てから相談すんな!」


「大丈夫!」


「何を根拠に!?」


「聖女だから!」


「その言葉、全然安心できねえんだよ!」


唯依奈が笑った。


ほんの少しだけ。


純弥もつられて口元が緩んだ。


けれど。


すぐに消える。


「……唯依奈」


「なに?」


「お前」


純弥は言葉を探した。


「治せないのか?」


唯依奈の顔を見る。


「聖女なんだろ」


「……」


「世界救ったんだろ?」


「……うん」


「だったら」


声が震える。


「結愛も……」


純弥はそこで言葉を止めた。


分かっている。


無茶を言っている。


現代医療でも分からない病気。


二十年以上、この世界から離れていた女性に。


娘を治せと言っている。


「……悪い」


純弥が俯く。


「今の忘れてくれ」


「嫌」


「え?」


「忘れない」


唯依奈が答えた。


「でも」


純弥を見る。


「今は、治せるとは言えない」


「……」


「嘘ついて期待させたくないから」


「……そうか」


「でも」


唯依奈が立ち上がる。


「見せて」


「結愛ちゃんを」


「……分かった」


「私にできることがあるなら」


唯依奈は笑った。


「全部やるから」


純弥は、少しだけ目を伏せた。


「ありがとう」


「うん」


唯依奈は隣に座り直す。


そして。


純弥の持っていたコーラを指差した。


「飲まないの?」


「ぬるいんだよ」


「思い出はプライスレスだよ?」


「温度は味に関係するんだよ!」


「飲んで」


「なんで」


「せっかく持ってきたから」


純弥はため息を吐く。


缶を開ける。


炭酸の音。


一口。


「……ぬるい」


「でしょ?」


「なんで嬉しそうなんだよ」


「私たちにとっての、思い出の味だもん」


二人で少しだけ笑っていた。


〈現世・仁科総合病院・病室〉


――翌日。


「お父さん」


「ん?」


「誰?」


結愛が、純弥の後ろから顔を出している女性を見つめていた。


「……」


純弥は困った。


説明を考えていなかった。


「なんて言えばいいのかな」


「死人、泥棒、浦島太郎――痛っ」


唯依奈が遮るように純弥の足を踏む。


唯依奈が一歩前へ出る。


「初めまして」


満面の笑顔。


「渡会唯依奈です」


「……」


結愛が固まる。


そして、純弥を見る。


「お父さん」


「なんだ」


「……この人――写真の人だよね?」


「……」


「あ」


唯依奈が声を上げる。


「写真残してるの!?」


「今そこ食いつくな」


「どんな写真?」


「食いつくなって言ってるだろ!」


結愛の目が細くなる。


二人を何度も見比べる。


「……唯依奈さん?」


「はい」


「お父さんの初恋の人?」


「結愛」


「はい!」


唯依奈が嬉しそうに手を挙げた。


「お前も答えるな!」


「だって本当だもん」


「……」


結愛がじっと唯依奈を見る。


「死んだって聞いたけど」


「死んだよ?」


「……」


「今は生きてるけど」


「…………」


結愛は純弥を見る。


「お父さん」


「なんだ」


「私、薬増えた?」


「幻覚じゃねえよ」


「じゃあ説明して」


「……長いんだよ」


「入院中だから暇だよ?」


「そういう問題じゃない」


唯依奈が笑いを堪えている。


「……何笑ってんだよ」


「だって」


唯依奈が結愛を見る。


「純弥のお父さん感すごいなって」


「父親なんだから当たり前だろ」


「二十年前には想像できなかった」


「そりゃ十八だったからな」


「お父さん」


「ん?」


「イチャイチャするなら外でやって」


「してねえよ!」


「えぇ~」


唯依奈が頬を膨らませる。


「お前も残念そうにすんな!」


久しぶりに。


病室に、大きな笑い声が響いていた。


そして。


「結愛ちゃん」


「はい?」


「ちょっと身体、見てもいい?」


「……身体?」


純弥の表情が変わる。


結愛も察した。


「病気?」


「うん」


唯依奈は椅子へ座る。


「お父さんから聞いた」


「……そっか」


「怖い?」


「……ちょっと」


結愛は笑った。


「でも、治療してるから」


「うん」


「お医者さんも頑張ってくれてるし」


「うん」


「お父さんもいるし」


「……うん」


唯依奈は静かに頷いた。


「手、貸して」


「はい」


結愛が右手を差し出す。


唯依奈がその手を包んだ。


「……」


目を閉じる。


純弥には何も起きていないように見えた。


唯依奈が異世界で戦った時のような光もない。


ただ。


手を握っているだけ。


「……唯依奈?」


返事がない。


僅かに眉が寄っていく。


「おい……」


「……」


そして。


唯依奈が目を開いた。


「……弱い」


「え?」


自分の手を見る。


「全然、届かない」


「何が?」


「私の力」


唯依奈はもう一度、結愛の手へ意識を集中する。


今度は。


ほんの僅かに白い光が灯った。


それだけで、すぐに消える。


「……」


唯依奈の顔が険しくなる。


「こっちだと」


「私、ほとんど普通の人なんだ」


「……どうやって異世界から来たんだよ」


「それは女神様のおかげ」


「じゃあ女神様呼べ」


「呼んでみる」


「呼べるの!?」


「女神様ー!」


「声で!?」


当然、何も起きない。


「……」


「……」


「留守かな」


「そんなわけあるか!」


結愛が笑う。


「唯依奈さん面白いね」


「でしょ?」


「褒められてねえぞ」


その時。


唯依奈がもう一度、真剣な目で結愛を見る。


「結愛ちゃん」


「はい」


「ごめん」


「……?」


「もう少しだけ待ってて」


「……」


「ちゃんと調べるから」


「うん」


結愛は頷いた。


そして。


「唯依奈さん」


「なに?」


「お父さんのこと、好き?」


「結愛!」


「好きだよ」


即答だった。


「お前ぇ……!」


「二十年以上好きなんだよ」


「……すご」


結愛が素直に呟く。


「お父さん」


「なんだよ」


「負けてるよ」


「何にだよ!」


「愛」


「採点すんな!」


結愛が笑い、純弥は頭を抱えていた。


そんな二人を見ながら。


唯依奈は、先ほど、結愛の手から感じたものを思い返していた。


現世では、自分の力は、ほとんど使えない。


だから。


まだ、分からない。


それでも。


「……絶対、調べるからね」


「ん?」


「なんでもない♪」


唯依奈は笑いかける。


結愛を諦めるという選択肢だけは、とっくになくなっていた――


【第十六話へ続く】


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