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【第九話】父親として

〈現世・別所家本邸〉


――数日後。


純弥は、大きな門を見上げていた。


何度来ても、好きにはなれない場所だった。


愛璃と結婚して十年以上。


この家に逆らわないように生きてきた。


実家のため。


兄のため。


愛璃のため。


子供たちのため。


そうやって、何度も自分を納得させてきた。


でも。


今日は違う。


「……行くか」


純弥は門をくぐった。


――広い和室。


床の間には掛け軸と、焼き物の大皿が飾られている。


そこに、四人の大人が集まっていた。


正面に座るのは――別所慈臣(べっしょ しげおみ)


六十代半ばで現当主。


その隣には、愛璃の兄――別所慧司(べっしょ けいじ)


慧司の斜め後ろに――“別所”愛璃。


そして。


少し離れた位置に、一人の男性が座っていた。


スーツ姿に丸眼鏡。


テーブルの上には書類。


「顧問弁護士の八百板義信(やおいた よしのぶ)です」


「“衛守”純弥です」


「……存じています」


八百板は淡々と頭を下げた。


慈臣が口を開く。


「――体調はいいのか」


「おかげさまで」


「そうか」


それだけ。


義理の息子が死にかけた。


だが。


慈臣の顔に感情はほとんど見えない。


「その間、仕事に穴を空けてしまいご迷惑をおかけしました」


改めて頭を下げる純弥。


「気にするな」


「お主の行動は、誇りのあるものだったからな」


穏やかに答える慈臣。


「――そもそもな」


そんな二人に割って入る慧司。


「我がホテルは、スーシェフ一人いなくても影響は無い」


「優秀なスタッフが揃っているからな」


「まぁ……貴様もシェフとしては認めているつもりだがな」


「……ありがとうございます」


「――では」


前置きが済んだのを確認して、慧司が書類を開く。


「結愛の養子縁組についてだが」


「白紙にしてください」


純弥は即答した。


慧司の手が止まる。


「最後まで聞け」


「聞く必要あります?」


「ある」


「結論は変わらないと思いますが」


慧司の眉が僅かに動く。


慈臣は何も言わない。


慧司が咳ばらいをして、純弥を睨む。


「……続けるぞ」


「仁科家との縁組は、別所家にとって重要な話だ」


「仁科家にとっても、結愛にとっても悪い話ではない」


「悪いです」


「何がだ」


「本人が嫌なら」


「……本人?」


「結愛です」


純弥が慧司を見る。


「結愛に聞きましたか?」


「十歳の子供だぞ」


「将来の判断などできる年齢ではない」


「じゃあ大人が勝手に決めていいと?」


「親が決めることだ」


「私が父親です」


「だから困っている」


慧司が吐き捨てるように言った。


「お前だけが反対している」


「私は納得していません」


「反対し続けますよ」


「――純弥」


慈臣が初めて口を挟んだ。


「感情で話すな」


「無理ですよ」


「娘の人生の話なんです」


「感情が入らない方がおかしいでしょう」


慈臣の目が細くなる。


「家というものは、個人の感情だけでは続かない」


「そうですね」


純弥は頷いた。


「ならば私は」


「――この家から出ます」


愛璃が顔を上げる。


慧司も眉を寄せる。


「どういう意味だ」


「愛璃と離婚します」


沈黙が広がる。


最初に動いたのは、八百板だった。


「衛守さん」


「はい」


「それは今日、この場で初めて提示された意思ですか?」


「愛璃にはまだ言ってません」


愛璃が純弥を見る。


「……本気なの?」


「ああ」


「結愛は?」


「俺と暮らす」


「璃玖は?」


一瞬、純弥は黙ってしまう。


「璃玖は今、本家で過ごしている」


「なかなか会えてない」


「でも」


純弥は愛璃を見る。


「あいつも俺の息子だ」


「結愛と同じぐらい愛している」


「だが」


純弥は一度、言葉を切る。


「……愛璃と暮らせばいい」


「璃玖は本家が進学先まで決めている」


「別所が璃玖のために用意してきた将来を」


「今ここで俺がひっくり返すつもりはない」


愛璃の瞳が揺れる。


「なんで」


「結愛だけ連れていくの?」


純弥は、しばらく愛璃を見つめた。


「お前から……」


「璃玖まで取り上げるつもりはない」


「……」


「結愛は俺が守る」


「璃玖はお前が守れ」


「それが一番いいだろ」


慧司が低い声を出す。


「勝手なことを言うな」


「璃玖はいずれ別所を――」


「その話」


純弥が遮った。


「今しない方がいいですよ」


「何?」


「後悔するから」


部屋の空気が変わった。


愛璃が純弥を見る。


その顔から、僅かに血の気が引いていく。


「……愛璃」


「何?」


「お前、分かってるよな」


「……何のこと?」


「分かってる顔だよな」


慈臣が二人を見比べる。


「何の話だ」


「この場で……この私に隠し事をするつもりか?」


純弥は一度、目を閉じた。


本当は言うつもりはなかった。


八年間、黙ってきた。


これからも。


黙っているつもりだった。


璃玖には何も関係ない。


生まれた子供に。


“誰の血”が流れているかなんて。


何の罪もない。


でも。


結愛まで。


この家の都合に使わせるわけにはいかない。


純弥は愛璃を見る。


「……璃玖は」


愛璃の肩が揺れた。


そして。


「俺の子じゃないですよ」


八年間、誰にも明かさなかった事実を口にした――


【第十話へ続く】


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