第10話:悪意の看破と王子の覚悟
王宮の厨房。
そこには、晩餐会の喧騒とは切り離された、凛とした静寂があった。
レオン様は、白いコックコートに身を包み、一心不乱にフライパンを振るっている。
作っているのは、厳選された子羊のロースト。
じゅわっ、と小気味よい音が響き、上質な脂の焼ける香ばしい匂いが厨房を満たす。
レオン様の動きには一切の無駄がない。
肉の表面に絶妙な焼き色をつけ、肉汁を閉じ込めるために休ませ、再び火を通す。
その横顔は驚くほど真剣で、瞳には料理への情熱と、私への信頼だけが宿っていた。
「……こんなゴミみたいな肉、誰が食うか! さっさと豚にでも投げてこい!」
差し出された皿。
彩り鮮やかな初夏の野菜に囲まれた、黄金色のソースが輝く一品。
彼の心の中には、依然として「不自然なほど温かな静寂」が広がっている。
毒を盛ろうとする者の殺気も、自らが王位を狙う野心も、そこには微塵も存在しない。
私は彼の「静寂」を背に受け、皿を運ぶ列に加わった。
標的は、レオン様の皿を運ぶ担当――侍女の誰か。
私は怪しい動きを見逃さないよう、あえて列の一番後ろではなく、斜め後ろに位置取った。
◇ ◇ ◇
厨房から大広間へと続く、長い回廊。
銀のトレイを掲げた侍従たちが、しずしずと行進する。
(憎い、なんで私だけこんなに大変なのよ。カスラッテ様の報酬じゃ割に合わない!)
前の侍女から、悪意の悲鳴が聞こえる。
回廊の角、燭台の影で一瞬だけ列が乱れた。
その刹那。
内通者の侍女の手が、わずかにトレイの上の皿に触れる。
カチッ、という小さな、しかし決定的な音。
彼女が指輪に仕込んだ、無色透明の猛毒を料理に振りかけた。
(まさか、あんな小さな指輪に毒を隠しているなんて……!)
私は奥歯を噛み締め、すぐ斜め後ろからその瞬間を凝視した。
その決定的な証拠を、私はこの目でしかと見届けた。
◇ ◇ ◇
やがて列は回廊を抜け、晩餐会の会場へと足を踏み入れた。
煌びやかなシャンデリアの下、着飾った貴族たちが談笑する大広間は、私にとって「地獄」そのものだった。
あちこちから突き刺さる、嫉妬、軽蔑、野心――。
どす黒い悪意の澱みが怒涛のように耳を打ち据え、意識を保つだけで精一杯になる。
私は吐き気を堪え、神経を研ぎ澄ませた。
視線の先には、最上席に座る国王陛下。
そしてその隣で、虚ろな目で宙を見つめている「沈黙の王子」ダストン。
さらにその隣には、勝利を確信したような歪んだ歓喜の波動を放っているカスラッテの姿があった。
大広間に料理が運び込まれ、国王陛下の前にレオン様の皿が置かれた。
配膳を終えた侍女たちが壁際へと下がる中、犯人の侍女だけが給仕のために陛下のすぐ後ろに控える。
「ほう……これは見事な。第二王子自らが腕を振るったのだろう。毒見などせずとも良い」
国王陛下が満足げに頷き、ナイフとフォークを手に取る。
厨房での仕上げを終え、裏通路を伝って密かに広間の隅に控えていたレオン様は、苦々しい表情でそれを見守っている。
カスラッテが、扇の陰で口角を吊り上げた。
国王が肉を切り分け、ゆっくりと口元へ運ぶ。
あと僅か数寸。
その唇に「死」が触れようとしたその瞬間。
「陛下、お待ちください!!」
私の叫びが、広間の喧騒を切り裂いた。
私は壁際に下がりかけていた列から飛び出すと、そのまま陛下の御前へと進み出て、床に額を擦りつけた。
静まり返る会場。
すべての視線が、平伏する私に注がれる。
「……何事だ、エリス・ミレーヌ。晩餐を邪魔するとは、不敬であるぞ」
「恐れながら陛下! その料理には、毒が盛られております!」
貴族たちが騒然とする中、私は震える指で、陛下の後ろに控えていた侍女を指し示した。
「犯人は、そこの侍女です! 彼女の左手の指輪を調べてください! 毒を隠す細工と、使用した痕跡が残っているはずです!」
指さされた侍女が顔を蒼白にし、後ずさる。
それと同時に、私は最上席の隣でポカンと口を開けている「沈黙の王子」を見据えた。
「そして――彼女に命じた黒幕は、第一王子ダストン殿下。及び、その婚約者カスラッテ様です!」
私の「悪意の看破」によって、王宮を包んでいた偽りの静寂が、一気に崩れ去った。




