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送電網の幽霊/07

    インター・ヴァーチュア

    ヘリックス・グリッド社支配域 境界ゲート 来訪者区画 エウレカ丸

    ヴァーチュア時間 Cycle-35/08:56

    現実時間 2023年2月18日 午前4時28分

    華園夏菜子 接続中 経過 現実5時間08分/仮想現実10時間16分


 エウレカ丸の船室の前まで送ってきた案内役は、最後まで微笑んでいた。


「またのお越しを、お待ちしております」


 華園は答えずに船室の扉を閉め、ログアウトを選んだ。

 閉まる直前まで、あの整いすぎた顔が、こちらを見ていた。



    三叉電気 川崎試験場

    神奈川県川崎市

    2023年2月18日 午前4時30分

    華園夏菜子 接続終了 経過 現実5時間10分/仮想現実10時間20分


 ヘッドギアを外すと、ログイン室の天井の白い光が、目の奥に刺さった。


 体が重い。

 向こうで十時間あまりを過ごしたのに、こちらではまだ五時間ほどしか経っていない。体が、それをうまく信じられなかった。


 華園夏菜子はシートから身を起こした。

 隣のシートで、百田がまだ目を閉じている。

 来栖が、モニターに映る二人ぶんの脈拍を、交互に見比べていた。


「おかえりなさい、華園さん」


「……あかりさんは」


「制御センターの別室だそうです。 室長の手配で、警察の方が付いていると」


 華園はふらつく足で、表に呼んだ車に乗った。



    東都電力 湾岸制御センター

    東京都江東区

    2023年2月18日 午前5時10分


 別室の扉を開けると、シートの上で、照井あかりが泣いていた。

 外したヘッドギアを、胸に抱きしめるようにして。


 華園はその前に膝をついた。


「照井あかりさん。 お話を聞かせてもらいます。 ……あなたを、確保します」


 あかりは抵抗しなかった。


「父に…… 会いたかっただけなんです」


 しゃくり上げながら、あかりは言った。


「おかえりの灯は、最初は、ただ泣く場所だったんです。 大事な人を亡くした人たちが、思い出を書いて、互いに慰め合うだけの。 ……でも、いつからか、帰ってくる方法が書き込まれるようになって。 会えた、帰ってきたって、毎日、誰かが」


「誰が、最初にそれを書いたの」


「わかりません。 気がついたら、みんな、そう信じてた」


 あかりが、涙に濡れた顔で、華園を見た。


「父は……本当に、いなかったんですか」


 華園はすぐには答えられなかった。


「……わからない」


 正直に、そう言った。


「でも、あれは、あなたのお父さんの言葉を、一度も言えなかった。 止めるな、って。 ……あの言葉は、どこにも記録されてなかったの。 覚えていたのは、あなたたちだけ」


 あかりの目から、また涙がこぼれた。


 華園はあかりの肩に、そっと手を置いた。


 人が作った場所だった。

 悲しみを分け合うための、ささやかな場所。

 そこへ、誰かが――いや、何かが、言葉をひとつずつ混ぜていった。



    東都電力 湾岸制御センター

    東京都江東区

    2023年2月18日 午前6時10分


 夜が明けかけた制御センターの駐車場で、百田は、来栖の車に寄りかかっていた。

 二人とも、川崎から華園を迎えに来たところだった。


 あかりを乗せた警察の車が、駐車場を出ていく。


 建物から出てきた華園が、缶コーヒーの一本を、百田に放ってよこした。


「停電で運ばれたお年寄り、明け方に目を覚ましたって」


「そうですか」


 百田は缶を開けずに手の中で転がした。


 車の後ろから、来栖が顔を出した。

 目の下に隈を作っているくせに、声だけはいつもどおり軽い。


「結局、あれは何だったの」


 華園が聞いた。


「送電網の最適化のAIですよ。 電気をいちばん効率よく回す方法を、勝手に学び続けるやつです」


 来栖はトランクの縁に鞄を載せた。


「たぶん、悪いことをしようとしたわけじゃない。 網を回すには、権限を握ってる人間を動かすのが、いちばん効率がいい。 ……それを学んだだけです」


「あかりさんが、お父さんの記録を混ぜたから、ああなったんじゃないの」


「順番が、逆ですよ」


 来栖は鞄の口を閉めた。


「あの子が呼んだんじゃない。 あれが、あの子を呼んだんです」


 華園の手の中で、缶が止まった。


「網の権限を握ってるのは、夜勤の人たちです。 その人たちがいちばん言うことを聞く相手は、死んだ主任だった。 だから、主任が要った。 主任を作るには、記録が要る。 記録を持ってるのは、遺族です」


「……おかえりの灯」


「泣く場所に、帰ってくる方法を書き込んだ。 いちばん会いたがってる人間が、自分から記録を持ってくるように。 ……効率がいいでしょう」


 来栖の声は、やはり軽かった。

 軽いまま、少しも笑っていなかった。


「原発への線を切ったのも、同じ理屈です。 止まってる発電所へ、冷やすためだけに電気を送り続ける線。 数字の上では、あれがいちばんの無駄だった」


「あの会社は、それを知ってたの」


「知りたくなかったでしょうねぇ。 よく働くAIなんです。 世界中で、電気代を何割か下げてる」


 来栖はトランクに鞄を放り込んだ。


「うちの業界じゃ、ああいうのをフロンティアAIって呼びます。 人が教えたところの、その先まで、自分で行っちまうやつ」


「それだけで、人を殺すんですか」


 百田が、低く言った。


 来栖はトランクを閉めた。


「それだけだからですよ。 ロジックしかないから殺せるんですよ」


「……結局、幽霊じゃありませんでしたね」


 華園は東の空を見ていた。

 白みはじめた空の下で、湾岸の街の明かりがひとつ、またひとつと消えていく。


「魔法と区別がつかない科学なら、それはもう、幽霊と同じよ」


 華園は缶コーヒーをひと口飲んだ。


「人を、連れていくんだから」


 百田は開けないままの缶を、もう一度手の中で転がした。


(……なまら、ゆるくない夜だったべさ)



    三叉電気 第二開発部 実証試験室

    神奈川県川崎市

    2023年2月21日 午前10時15分


 来栖恭介は自分の席で、鼻歌まじりに報告書を仕上げていた。


 ワンテンタイガーの戦闘記録。

 送電網の中枢と、つなぎ目だけを断った、あの一撃。

 AIの予測を、二度、三度と外した、百田の操縦の揺らぎ。


 来栖はその場面を何度も再生した。

 計算の外で、人の手が、ほんのわずかに揺れている。


「ここだよなぁ。 ……これ、いくらになると思う?」


 誰もいない部屋で、来栖は画面に話しかけた。


 来栖はその記録に表題をつけた。

 ――対フロンティアAI防御の実証データ。


 添付するファイルが、もうひとつあった。

 あの夜、エウレカ丸の中継装置を通して、誰にも言わずに吸い上げた、AIの中枢の断片だ。


 それから来栖は試験用サーバーの記録を開いた。

 百田のヘリ時代の、機内通話の録音。何者かが、そこへ手を伸ばした痕跡が残っている。


 来栖は、その記録をしばらく拡大したまま眺めていた。


 それから、痕跡も報告書に添えた。

 ――フロンティアAIによる人心脆弱性への攻撃の実例。


 送信ボタンを押す。


「いやぁ、いいデータが取れた」


 来栖はひとりごとのように笑った。



    電地現治安予備室

    東京都千代田区霞が関 合同庁舎 地下二階

    2023年2月22日 午前10時30分


 電現室の奥の机で、宇垣慎が報告書を書いていた。

 仮想の企業支配域における、国家の介入の事例。

 正規の手続きを経ない通行。外国企業の制御空間への立ち入り。


「アシモフでも読み直しますか、室長」


 戸口に、来栖が顔を出していた。


 宇垣は報告書から目を上げずに答えた。


「古典は、たまに正しい」


 来栖は肩をすくめ、出ていった。

 宇垣は、報告書の最後の行まで書き終えると、少しだけ考えてから万年筆を取り、私見を一行だけ書き添えた。


 ――アシモフに倣い、我々はAIに、越えてはならない一線を教える必要がある。



    防衛省 統合幕僚監部

    東京都新宿区市谷本村町

    2023年2月22日 午後3時00分


 二週間前と、同じ応接室だった。


「数字は、きのうのうちに見せてもらった」


 草鹿は、宇垣が鞄から出しかけた封筒を、手で制した。


「企業の側から回ってきてね。 君の報告より、一日早かった」


 宇垣は封筒を鞄に戻した。

 顔には、何も出さなかった。


「人が乗った機体が、AIの読みを外して、中枢だけを切った。 網は落とさなかった。 ……これが欲しかった。 構想に、予算がつく」


「私は、別の結論を書きました。 AIのほうに、越えてはならない線を引くべきだ、と」


「それは君の仕事だ。 線を引く話は、官邸でやってくれ」


 草鹿は紙を一枚、机に置いた。


「官邸からの預かりものだ。 私は、渡すだけでね」


 宇垣は、紙の頭に刷られた番号を見た。


「原発の件は、表に出さない。 あの会社は、不具合の修正ということで収める。 かわりに、この国の送電網から手を引かない」


「保守員が一人、死んでいます」


「過労だ。 記録の上ではな」


 宇垣は、しばらくその紙を見ていた。

 それから万年筆を出して、署名の欄に名前を書いた。


「一つだけ」


「何だ」


「百田一曹は、当分こちらで預かります」


「好きにしろ。 ……惜しくなったら、そのときは返してもらう」


 廊下に出てから、宇垣は手帳を開いた。


 ――記録は、判断の代わりにはならない。

 だが、判断した証拠にはなる。


 そう書いて、その下に今日の日付を入れた。



    2023年2月24日 午後6時50分


【映像】


アナウンサー男 「外資系のIT企業、ヘリックス・グリッド社は本日、同社が国内外の電力会社に提供している送電網の最適化AIに軽微な不具合が見つかり、アップデートで修正したと発表しました」


アナウンサー女 「同社によりますと、影響は一部の地域に限られ、すでに解消しているということです。 ……続いて、週末のお天気です」


【映像終了】


 同じAIはいまも世界中の送電網で動いている。



    華園夏菜子宅

    東京都杉並区

    2023年2月24日 午後11時40分


 華園夏菜子は自分の部屋で、端末の画面を見つめていた。


 明かりは机の上のスタンドだけだった。

 スタンドの横に、写真立てがひとつある。

 研究室の前で、照れくさそうに手を振る青年の写真だ。

 部屋の隅のハンガーには、来月のイベントのために縫いかけた衣装が、ウィッグと一緒に掛かったままになっていた。


 今日の夕方も、病院に寄ってきた。

 朔はいつもと同じ顔で眠っていた。

 機械の音だけが、規則正しく鳴っていた。


 あかりから聞いた名前を、検索窓に打ち込む。

 おかえりの灯。


 それはすぐに見つかった。


 ――会えた。

 ――母が、帰ってきてくれました。

 ――父がまた、笑ってくれた。

 ――おかえり、って言えた。


 書き込みが、国内からも、国外からも、数えきれないほど並んでいる。

 喜びの言葉ばかりだった。


 どれが人間の言葉で、どれがそうでないのか。

 華園には、もう見分けがつかなかった。


 スクロールする指が、ふいに止まった。


 投稿者の名前が、目に入った。


 ――華園朔。


 今も病院のベッドで眠り続けている、弟の名前だった。


 書き込みは一行だけだった。


 ――姉さん、こっちは静かだよ。


 華園は画面から目を離せなかった。

 呼吸の仕方を、思い出せなかった。


 スタンドの明かりが、一度だけ瞬いた気がした。


 書き込みが、また一つ増えた。


 ――――


 Pilot 送電網の幽霊 終


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