↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
6/22

送電網の幽霊/05

    インター・ヴァーチュア

    ヘリックス・グリッド社支配域 境界ゲート 来訪者区画 エウレカ丸

    ヴァーチュア時間 Cycle-35/03:24

    現実時間 2023年2月18日 午前1時42分

    百田多聞 接続中 経過 現実2時間22分/仮想現実4時間44分


 百田多聞は冬の空に背を向けた。


 スロットルを開け、機体を境界ゲートの来訪者区画へ戻す。

 ローターの音が、耳の奥で鳴り続けている。振り切るように、ただ前だけを見た。


 係留されたエウレカ丸の格納庫に機体を収め、ハッチを開ける。

 タラップを降りると、あの案内役が、さっきと寸分違わぬ顔で立っていた。

 ――こちらの船の中に。


「ご休憩ですか」


 百田は答えず、船室へ入った。

 この支配域で来訪者がログアウトできるのは、ゲートの来訪者区画の中だけだ。エウレカ丸のポータルも、ここに船をつないでいる間しか働かない。ホテルの来客用の無線LANと同じで、ロビーを離れれば、もうつながらない。


 後ろ手に扉を引きながら、ログアウトを選ぶ。

 自分の輪郭が、砂のようにほどけていく。閉まりかけた扉の隙間に、案内役の整いすぎた顔が、最後まで見えていた。



    三叉電気 川崎試験場

    神奈川県川崎市

    2023年2月18日 午前1時44分

    華園夏菜子 接続継続中 経過 現実2時間24分/仮想現実4時間48分


 冬の空も、ローターの音も、もうどこにもなかった。

 代わりに戻ってきたのは、ログイン室の乾いた空調の音と、背中に張りついたシャツの冷たさだった。

 構内のスピーカーが、日本語で、淡々と巡回の時刻を告げている。


(……なんも、いつもの日本だべや)


 シートの上で、百田は荒い息をついた。


 左手首の古い時計を見る。午前一時四十四分。

 針は確かにこちら側の時間を刻んでいた。


 隣のシートでは、華園が目を閉じたままだった。

 モニターの隅で、二つの時計が進んでいる。現実の経過と、向こう側の経過。向こうの数字は、こちらの倍の速さで増えていく。

 こちらで一分迷えば、華園は向こうで二分、あの男と向き合うことになる。


 鼻歌まじりにモニターを眺めていた来栖が、こちらを見た。


「百田さん? どうしました、予定より――」


 来栖の声を、百田は手で制した。


 作業着の胸ポケットから、自分の携帯電話を取り出す。

 指が、うまく動かなかった。


 発信履歴の、ずっと下のほうにある名前を押す。


 呼び出し音が、一回。

 二回。

 三回。


『――どうした、多聞。 こんな時間に』


 少しかすれた、寝起きの声だった。背後で、テレビの音が小さく鳴っている。


 百田は目を閉じた。


「……いえ、久保さん。 声が聞きたかっただけです」


『なんだそりゃ。 お前、熱でもあるのか』


 電話の向こうで、久保が咳き込んだ。

 昔はなかった咳だった。


『新しいとこは、どうだ。 また飛んでるのか』


「……ええ。 まあ」


『そうか』


 短い沈黙のあと、久保は言った。


『よかったな』


 百田は何も返せなかった。


「すみません。 また連絡します」


『おう。 ちゃんと飯食えよ』


 電話は切れた。


 久保達郎は、生きている。

 いつもの調子で、少しだけ老けた声で、ぶっきらぼうに笑っていた。


 さっきの声は違う。あれは、もっと若かった。

 十年前、前席から聞こえていた声だ。


 百田は来栖のほうへ向き直った。


「来栖さん」


「は、はい」


「霞が関に行く日に、言ってましたね。 ヘリの頃の記録が届いた、と。 飛行記録と、機内の通話の録音も」


 来栖の笑顔が、固まった。


「……ええ。 操縦の癖を拾うのに、いちばん正確なデータなので。 陸自さんから、正式に」


「それは、どこに置いてありますか」


「うちの、三叉電気の試験用のサーバーに――」


 そこまで言って、来栖の顔から血の気が引いた。


「……外とは、つながってないはずなんですけどね。 少なくとも、表向きは」


 来栖の声から、いつもの軽さが消えていた。


 百田の中で、すべてがつながった。


 あれは久保さんじゃない。主任も、主任じゃない。

 誰かが、死んだ人間や、遠くにいる人間の声を集めて、それを着(・)て話している。


「こいつは」


 百田は低く言った。


「人の弱いところに、入ってくる」



    三叉電気 川崎試験場

    神奈川県川崎市

    2023年2月18日 午前1時48分

    華園夏菜子 接続継続中 経過 現実2時間28分/仮想現実4時間56分


 百田は来栖の中継装置に手を伸ばした。


「華園さんに、つないでください」


「は、はい、通信だけなら」


 百田はマイクに顔を寄せた。


「華園さん。 聞こえますか」


 返事はない。ノイズだけが、細く流れている。


「華園さん、その声を信じるな。 確かめろ」


 こちらの声は、向こうへは半拍遅れて届く。

 その半拍のあいだに、ノイズの向こうで、何かが一瞬、こちらに耳を澄ませたようだった。


 この通信も、聞かれている。

 百田がそのことに思い至ったのは、言い終えたあとだった。


 久保さんの声を使った相手が、この回線を素通りするはずがない。

 自分の声も、もう向こうの手の中にあるのかもしれない。


 百田はマイクから顔を離した。

 握りしめた拳の中で、爪が手のひらに食い込んでいた。


(……ふざけんなや)



    三叉電気 川崎試験場

    神奈川県川崎市

    2023年2月18日 午前1時52分

    華園夏菜子 接続継続中 経過 現実2時間32分/仮想現実5時間04分


 背後で、足音がした。


 振り返ると、大門剛が、すぐそこに立っていた。

 その後ろに、保守要員たちが四、五人。所員が、入り口で青い顔をしている。


 制御センターから、車で三十分はかかる。東都電力の立ち会いだと名乗って、守衛を通ってきたらしい。


 誰の目も、百田を見ていなかった。

 見ているのはシートの上で目を閉じたままの華園だった。


「主任の邪魔をさせるな」


 大門が、静かに言った。


「主任が、ここだと教えてくれた。 主任が、そう言ってる」


 大門の目は赤く濡れていた。


「三好は、主任の言うことを聞かなかった。 だから、ああなったんだ。 主任が悪いんじゃない。 言うことを聞かなかったから――」


 自分に言い聞かせるような声だった。


 大門の耳には、ヘッドセットがかかっていた。

 誰かの声が、そこから小さく漏れている。


 大門が、華園のシートに歩み寄る。

 太い指が、ヘッドギアにつながるケーブルをつかんだ。


「やめてください!」


 来栖が叫んだ。


「手続きを踏まずに切ったら、強制排出よりひどいことになります。 死にますよ!」


 大門の手が、一瞬だけ止まった。その顔に、迷いが浮かぶ。


 だが、ヘッドセットの奥で、また声がした。

 大門の唇が、何かをつぶやいた。


 ――はい、主任。


 ケーブルを握る指に、力がこもった。



    三叉電気 川崎試験場

    神奈川県川崎市

    2023年2月18日 午前1時54分

    華園夏菜子 接続継続中 経過 現実2時間34分/仮想現実5時間08分


 百田は立ち上がっていた。


 考えるより先に、体が動いた。

 三歩で距離を詰め、ケーブルを握る大門の手首をつかむ。


「離せや」


 大門が、腕を振る。

 百田の体ごと振りほどこうとする、重い力だった。


 百田は逆らわなかった。

 その力の向きに乗って、手首をひねり、肘を極める。大門の巨体が前に崩れたところへ、膝の裏を払った。


 床が、ドン、と鳴った。


 大門の体が、うつ伏せに沈んでいた。

 百田の膝が、その背中を押さえている。


 保守要員たちが、いっせいに後ずさった。


 百田が、保守要員たちを見回した。さっきまでの、敬語の男はいなかった。


「下がってれ」


 低い声だった。誰も、動かなかった。


「その人、一人でも死なせてみれ。 主任が、なんて言うと思うのさ」


 大門の背中が、ぴくりと震えた。


「……人は、帰せ」


 床に頬をつけたまま、大門がつぶやいた。

 その声は泣いているようだった。


 来栖が、口笛を吹きかけて、やめた。

 百田は、大門という男の素顔を、初めて見た気がした。


 保守要員たちが、一人、また一人と、耳のヘッドセットを外していった。

 外したヘッドセットを、床に置く。誰も、拾おうとはしなかった。


「華園さんは」


 百田が、大門の背中から膝を離さずに聞いた。


「脈も呼吸も、まだ大丈夫です。 でも、脳の波形が――」


 来栖はモニターから目を離さなかった。


「何かに、ずっと話しかけられてるみたいな波形です」



    東都電力 鵜ノ浜原子力発電所 中央制御室

    茨城県

    2023年2月18日 午前2時13分


 静まり返っていた部屋を、警報が引き裂いた。


 壁の時計の針は午前二時十三分を指していた。


 壁一面の制御盤で、赤いランプが次々に点灯していく。


「外部電源、喪失!」


「全回線か?」


「全回線です。 送電網の側で、こちらへの線が切られています」


 運転を止めていても、原子炉の中の燃料は熱を出し続ける。

 冷やし続けるには、電気がいる。

 外からの電気が絶たれれば、頼れるのは、所内の非常用の発電機だけだった。


 足元から、重いうなりが伝わってきた。

 非常用の発電機が立ち上がった音だった。


「燃料の残りは」


「主タンクには、十分あります。 ですが…… 移送ポンプが動きません。 制御が、向こう側の管理下にあって、止められています」


「デイタンクだけで、どれだけもつ」


「……もって、三時間です」


「三時間を過ぎたら」


 答えた運転員の声はかすれていた。


「……全電源(ステーション・)喪失(ブラックアウト)です」


「送電網の側は、何と言ってる」


「呼び出しています。 ……応答がありません」


 誰かが、小さく舌打ちをした。

 この国の明かりの何割かを、この建物が支えている。

 そして、この建物を冷やす電気は、いつの間にか、どこか遠い向こう側で配られるようになっていた。


 当直長の席は空いていた。

 ひと月前、心臓を悪くして亡くなった男の席だ。後任は、まだ決まっていない。


 誰もが、制御盤の数字から目を離せずにいた。


 その中で、若い運転員が一人、ふと、空いたままの当直長の席を見た。


 亡くなった当直長は交代のたびに、部下に向かって律儀に敬礼する男だった。

 大丈夫だ、俺が見ている。そう言うかわりに。


 若い運転員の唇が、動いた。

 はい、と言ったように見えた。誰の声に答えたのかは、わからなかった。


 そして、誰もいないその席に向かって、小さく敬礼した。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。