↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
3/22

送電網の幽霊/02

    電地現治安予備室

    東京都千代田区霞が関 合同庁舎 地下二階

    2023年2月15日 午前8時40分


 電現室の壁が、一枚の地図に占領されていた。


 都内のある区の地図だ。その一角が、赤いペンで乱暴に囲まれている。

 ゆうべ、停電した範囲だった。


 地図の前で、小柄な女が、コートも脱がずに腕を組んでいた。


 足元には、空になった缶コーヒーが三本転がっている。

 黒い髪をうしろでひとつに束ね、地味なパンツスーツ。そのくせ、組んだ腕の先で指に挟んだペンだけが、妙に凝った細工の金属の軸だった。


 女が振り向いた。


 童顔だった。目の下に、うっすらと隈がある。

 夜通し、どこかを歩き回ってきた顔だ。


「あなたが百田くん?」


 百田は一瞬、言葉に詰まった。くん、と呼ばれたのは、いつ以来だろう。


「陸上自衛隊、一等陸曹、百田多聞です」


「知ってる。 華園夏菜子。 公安部から来た警部補。 よろしくね、百田くん」


 どう見ても八つは年下の女に、くん付けで呼ばれ、敬語で返している。

 妙な構図だと思ったが、百田は顔に出さなかった。


「帯広の対戦車ヘリ。 部隊がなくなって、三叉電気のテスト要員。 ゆうべ、ファイルは読ませてもらった」


 見張れと言われた相手に、先に読まれている。


「停電は四時間。 その間に、お年寄りが二人、低体温で病院に運ばれた。 一人はまだ意識が戻ってない」


 華園は手のひらで地図を叩いた。


「そして同じ時刻、制御センターで保守員が一人死んだ。 三か月前に死んだ上司に、会ったって書き残して」


 一拍おいて、華園は言った。


「幽霊よ」


「……幽霊?」


 百田は思わず、鼻で笑った。


「向こう側に、幽霊ですか。 まるでSF漫画だ。 何か根拠でも?」


「まだない。 だから調べるの」


「幽霊に見えるなら、まず幽霊として調べる。 ありえないって切り捨てた瞬間に、見えるはずのものが見えなくなるから」


 それから、少しだけ口の端を上げた。


「十分に発達した技術は、魔法と見分けがつかない。 ――あの男がそう言って、世界をひとつ増やしたのよ。 幽霊のひとりやふたり、出てきたって驚かない」


 百田は返事をしなかった。


 宇垣の命令が、頭の隅をよぎる。


(……この女の、何を見張れってのさ)



    東都電力 湾岸制御センター

    東京都江東区

    2023年2月15日 午前11時00分


 制御センターは湾岸の埋め立て地に建つ、窓の少ない建物だった。


 夜勤の制御室には、リクライニング式のシートが十あまり並んでいる。

 そのうちのひとつだけが、黄色いテープで囲われていた。

 三好拓海が座っていたシートだ。遺体はもう運び出されている。床には、外れたヘッドギアの擦れた跡が残っていた。


 百田はシートの横にしゃがみ込んだ。

 肘掛けの革が、爪でえぐったように裂けている。


「死因は?」


 華園が尋ねると、東都電力の安全管理の担当者が、手元の資料をめくった。


「心不全です。 インターフェイスの安全機構が作動した際の、ショックによるものと思われます」


「安全機構?」


「向こう側で、死んだのと同じ状態だと判定されると、インターフェイスが接続を強制的に切って、意識をこちらへ引き戻します。 強制排出(イジェクト)と、私どもは呼んでいますが」


「それで人が死ぬの?」


「……まれに。 深く潜っていたダイバーを、急に水面へ引き上げるようなものですから。 持病のある方などは」


 担当者の声が、わずかに小さくなった。


「その危険は、どこかに書いてありますか」


 百田が口を挟んだ。


「機器の取扱説明書の、末尾のほうに。 ……メーカーの言い方では、仕(・)様(・)だそうです」


 仕(・)様(・)。百田はその言葉を胸の内で繰り返した。

 ヘリなら、そんな危険には赤い字で注意書きがつく。誰も読まない末尾ではなく、操縦席の、いちばん目につく場所に。


「三好さんは、向こうで、死ぬような目に遭ったってこと?」


 華園が聞いた。

 担当者はしばらく資料をめくってから、首を振った。


「記録上は、そう判定されています。 ですが…… ログには、何も残っていないんです。 襲われた形跡も、事故の形跡も」


 華園は三好の最後の作業ログを端末に呼び出していた。


『おやじさん、ごめん』


 それが、最後の一行だった。記録された時刻は午前二時十二分五十八秒。


 制御室に残っていた保守要員たちに話を聞くと、誰もが同じことを言った。

 少し怯えながら、それでいて誇らしげに。


「主任が、まだ仕切ってくれてるんです」


「三か月前に亡くなった、照井主任のことですか」


「向こう側に、いるんですよ。 みんな見てます。 声だって」


 若い女の保守員が、目を伏せて付け加えた。


「主任、夜勤のたびに、おにぎり握ってきてくれたんです。 自分の分はいつも忘れて。 ……あの人、自分が帰らないくせに、私たちには帰れって」


 そのときだった。


 天井のスピーカーが、低くノイズを吐いた。

 誰も、放送の操作盤には触れていない。


『――人は、帰せ』


 年配の男の、かすれた声だった。


 保守要員たちが、いっせいに背筋を伸ばした。

 何人かは目を赤くしている。


 百田はスピーカーを見上げたまま動けなかった。

 確かに、この耳で聞いた。

 録音を流したにしては、息継ぎの間が、生(・)き(・)て(・)い(・)る(・)人間のものだった。


「照井さんの口癖よ」


 華園が、低く言った。


「構内放送も、向こう側から動かしてるってことね。 ……こっちの世界に、手を伸ばしてきてる」


 奥の扉が開き、大柄な男が入ってきた。


 百田よりも頭ひとつ高い。作業着の袖から出た腕は、丸太のように太かった。胸の名札に、班長、大門剛とある。


「主任の邪魔をするな」


 大門は華園の前に立ちはだかった。百田が、半歩だけ前に出る。


 二人の視線が、正面からぶつかった。

 大門の目は、何かを必死に守ろうとする者の目だった。


「あの人は、まだ俺たちを守ってくれてる。 帰ってくれ」



    電地現治安予備室

    東京都千代田区霞が関 合同庁舎 地下二階

    2023年2月15日 午後11時30分


 華園は地図の上にかがみ込んでいた。


 停電の夜、明かりが消えなかった場所を、住民の証言や交番の記録、近所の防犯カメラの画像からひとつずつ拾い出し、確かめるたびに、地図に小さな点を打っていく。


「停電の範囲の誤差(ノイズ)でしょう」


 背後で、百田が言った。


「ノイズなら、ばらばらに散るはずよ」


 華園はペンを止めなかった。


「えーと、つまりね。 この幽霊は、一か所に縛られてるタイプじゃないの。 歩いてるのよ。 ……幽霊ならね、帰りたい場所に灯りをともすはずなの」


 点が増えていく。十、二十。


 百田は、いつの間にか、隣で防犯カメラの画像を時刻順に並べていた。

 華園は画像の束をひったくるように受け取った。


 やがて華園は定規を当てて、点と点を結びはじめた。


 一本の線が、地図の上に浮かび上がった。


 古い一軒家。

 変電所。

 総合病院。


 百田が、資料の束をめくった。


「一軒家は、照井主任の自宅です。 変電所は、主任が二十年以上担当していた。 病院は――」


「主任が、亡くなった場所」


 華園が引き取った。


 その指先が、病院の点の上で、少しだけ長く止まった。

 百田はそれに気づいたが、何も聞かなかった。


 百田はもう一枚の資料に目を走らせた。

 停電が始まった時刻。午前二時十三分。

 死亡診断書の時刻。午前二時十三分。


 百田はその二枚を華園の前に並べた。


 華園はしばらくそれを見つめ……それから、ふう、と肩の力を抜いた。


「ね。 帰りたかったのよ、この人」


「幽霊が、時刻まで守るんですか」


「律儀な人だったんでしょ。 おにぎりを握ってくるような」


 華園は冗談めかして言ったが、目は笑っていなかった。


 百田は地図を見下ろした。律儀なのは本当に死んだ男なのか。

 それとも、死んだ男の律儀さを、誰かがなぞっているのか。


 停電の範囲を決めているのは向こう側の制御空間だ。

 構内放送を鳴らしたのも、向こう側からだ。

 どちらも、幽霊でなくても、手の届く誰かがいればできる。


「内部の人間の仕業だとすれば、主任の習慣を知っている者です」


「そうね。 家族か、同僚か」


 華園は地図の上の一軒家を、ペンの先で軽く叩いた。


「明日、ここへ行くわ。 照井さんには、娘さんが一人いるの」


 百田は左手首の古い時計を見た。日付が変わろうとしている。


 今夜も、あの時刻は来る。


 壁の地図の上で、一本の線だけが、赤くも黒くもなく、ただ静かにそこにあった。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。