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送電網の幽霊/01

    東都電力 湾岸制御センター

    東京都江東区

    2023年2月14日 午前2時10分

    三好拓海 接続中 経過 現実1時間40分/仮想現実3時間20分


 指先が冷えていた。


 夜の制御室は空調を最低限まで落としている。

 リクライニング式のシートに体を預けたまま、三好拓海は、その冷たさを、どこか遠くで感じていた。


 意識の大半はここにはない。

 首筋に通した極細のカテーテル、両手首と両足首のバンド、ゴーグル型のヘッドギア。

 体をこの椅子に残したまま、意識だけを向こう側へ映している。

 送電網の制御は、もう何年も前から、インター・ヴァーチュアの中の制御空間で行われていた。

 こちら側の制御盤は、ほとんど飾りに近い。


 向こう側の時計はこちらの倍の速さで進む。

 現実ではまだ二時間足らずの夜勤が、三好の中では、もう三時間を超えていた。


 視界いっぱいに、光の配管が走っていた。

 都内の送電網を写し取った巨大な構造物だ。

 太い幹線から細い支線へ、無数の光が枝分かれしながら、闇の奥へと延びている。

 その一本一本の先に、誰かの家があり、誰かの暮らしがある。


 そのうちの一本が、赤く脈打っていた。


 異常の出ている系統だ。

 放っておけば、朝までに何万軒かの電気が止まる。

 二月の夜に暖房が止まれば、年寄りから先に参っていく。


 三好は一人で、その配管に手を伸ばしていた。

 夜勤は二人のはずだった。

 だが相方は体調を崩して帰り、代わりはいない。


 この三か月、ずっとそうだ。

 人が足りない。手が足りない。

 足りない分を埋めていた人が、いなくなったからだ。


 葬式の日も、三好は夜勤だった。

 焼香の列に並ぶ代わりに、この配管の前に座っていた。

 主任なら、それでいいと言うだろうと思った。

 言うに決まっていると、自分に言い聞かせた。


「――三好」


 背後で、声がした。


 三好の手が止まる。

 振り返らなくても、わかった。

 その声を、聞き間違えるはずがない。


 入社した最初の夜勤で、震える手で配管に触れた三好の背中を、この声が支えた。

 焦るな。段取りが八分だ。

 そう言って笑った声だ。


 それでも、振り返ってしまう。


 使い込まれた作業着。

 胸ポケットには、いつものボールペンが二本。

 少し丸まった背中。

 白髪まじりの短い髪。


 照井恒夫。

 三か月前に死んだはずの、主任(おやじさん)だった。


「おやじさん……」


 主任は少し困ったように笑った。

 生きていた頃と同じ顔で。


「今夜は帰れ、三好」


 喉の奥が熱くなった。

 泣きそうになるのを、三好は奥歯で噛み殺した。


 帰(・)れ(・)。

 主任はいつもそう言った。

 若い連中を先に帰して、自分だけが朝まで残った。

 そして、ある朝、帰ってこなくなった。


「……帰れませんよ」


 声が震えた。


「これ、止まっちゃうじゃないですか」


 主任は答えなかった。

 同じ顔のまま、笑っていた。


 三好は赤く脈打つ配管に向き直った。


(……止めるなって言ったの、おやじさんでしょう)


 作業ログの入力欄に、指を走らせる。


『おやじさん、ごめん』


 背後の気配が、ふっと消えた。


 次の瞬間、足元の光の配管が、音もなくほどけた。

 赤い光が、三好の体を呑み込んでいく。

 痛みはなかった。

 ただ、視界のすべてが、白く――。


 午前二時十三分。


 現実の制御センターで、三好の体が、椅子ごと床に崩れ落ちた。


 外れたヘッドギアが、乾いた音を立てて転がる。

 モニターが一斉に警報を鳴らし、仮眠室から同僚が飛び出してきた。


「三好! おい、三好っ!」


 揺さぶられても、三好は目を開けなかった。

 冷えきった指先だけが、まだ何かを打ち込もうとするように、わずかに曲がっていた。



    東京都大田区

    2023年2月14日 午前2時13分


 区の一角が、音もなく暗くなった。


 マンションの窓が消え、街灯が消え、交差点の信号が消えた。

 深夜のタクシーが、黒い交差点の手前で戸惑うように止まる。

 エアコンの室外機が止まり、二月の夜気が、じわりと家の中へ染み込みはじめる。


 だが、闇は一色じゃない。

 点々と、明かりが残っている。


 古い一軒家の窓。

 カーテンの向こうで、眠れずにいる誰かの影が、じっと動かずにいる。

 変電所の常夜灯。

 病院の非常灯。


 まるで、そこだけは消してはならないと、誰かが決めたかのように。


 上空から見下ろせば、それは、誰かが歩いた跡のようだった。


 暗い街の上に、細く、一本の線を描いて。


 どこかで、誰かが白い息を吐いた。



電界特捜

電現室-DENGENSHITSU-

―喪失戦線―


Pilot 送電網の幽霊



    インター・ヴァーチュア

    コトブキ 三叉電気 第三試験空域

    ヴァーチュア時間 Cycle-28/06:40

    現実時間 2023年2月14日 午後3時20分

    百田多聞 接続中 経過 現実45分/仮想現実1時間30分


 空はどこまでも澄んでいた。


 雲ひとつない仮想の空域を、濃緑の人型の機体が駆け抜けていく。


 トラ・1(ヒト)1(ヒト)0(マル)式。

 通称、ワンテンタイガー。


 三叉電気が開発中のコード・フレームワークだ。

 向こう側で、人が乗り込んで動かす機体。

 ワンテンタイガーの操縦席で、百田多聞は、指定された機動を寸分の狂いもなくこなしていた。


 操縦席はオートバイそのものだった。

 跨る形のシートに腰を落とし、膝でタンクを挟むように機体を抱え込む。

 絞られたセパレートハンドルを握れば、体は自然と前傾になる。


 右のグリップがスロットル。

 開ければ出力が上がり、戻せば落ちる。左のグリップには、兵装のセレクター。

 曲がるときは体を倒す。

 荷重のかけ方ひとつで、機体の向きが決まる。


 目の前には、半円球の投影モニタ。

 ヘリで叩き込まれた感覚が、そのまま生きている。


 急旋回。

 急降下。

 目標の手前で、ぴたりと静止。


 無駄はない。

 だが、ここは百田の知っている空とは違う。


 ローターの振動も、オイルと排気の匂いもない。

 そして、前席(ガナー)から聞こえてくるはずの声も……ない。


 ――多聞、肩に力が入ってるぞ。


 何千回と聞いた、久保さんの声。

 その声が、ここにはない。


 帯広の部隊が無人機に置き換えられ、解隊されてから、半年が経つ。

 飛ぶ場所を失った男に用意されたのが、この空だった。


(……ここでしか、飛べない)


 そう思った瞬間、試験終了の合図が鳴った。


 百田は機体を格納庫へ戻した。

 コトブキの外れにある、三叉電気の格納庫だ。


 操縦席が回転して元の位置に戻り、ハッチが開く。

 タラップを降り、格納庫の隅の詰所に入る。

 コトブキは、テリトリーのほとんどがポータルの圏内だ。

 どこからでも戻れるが、人の目のある場所で消えるのは、どうにも落ち着かない。


 扉を閉めて、ログアウトを選ぶ。

 指先から、自分がほどけていくのがわかった。砂がこぼれるように。



    三叉電気 川崎試験場

    神奈川県川崎市

    2023年2月14日 午後3時24分


 ヘッドギアを外すと、現実(リアル)の試験場の白い照明が目を刺した。

 額に汗が滲み、肩がこわばっている。

 体は確かにここにあった。


 百田は左の手首を返した。

 古いアナログの腕時計が、午後三時二十四分を指している。

 ヘリを降りるとき、久保さんが「もう俺には要らん」と押しつけていったものだ。


 向こうで一時間半あまりを過ごして、こちらでは五十分足らずしか経っていない。

 体の疲れはいつも時計と合わなかった。

 だから戻るたびに、まずこの針を見る。


 こちら側の時間は、これしか信じない。


「いやぁ、百田さん、最高です!」


 端末を抱えた細身の男が、ゆるめたネクタイを揺らしながら駆け寄ってきた。

 ワイシャツの袖をまくった腕の先で、指に小さな火傷の痕がいくつも光っている。

 ハンダごての痕だ。


 来栖恭介。三叉電気、第二開発部、実証試験室の室長。

 肩書きのわりに、昼行灯めいた男だ。


「ワンテンはあなたが乗ると別物になる。 旋回の入りなんか、もう、ほとんど芸術ですよ」


「機体の性能です」


「またまた。 謙遜は美徳ですけどね、データは嘘をつかないんですよ」


 来栖は端末の画面を、いとおしそうに撫でた。


「陸自さんから、ヘリ時代の記録もやっと届きましてね。 飛行記録に、機内の通話の録音まで。 操縦の癖を取り込むには、あれがいちばんなんです」


 百田は、端末の画面に目をやった。

 前席の声まで、この会社のどこかに運ばれてきたのか、と思った。


「このデータがあれば、立派な商品に――」


 来栖はそこで「おっと」と口をつぐんだ。

 そして、何事もなかったように笑った。


「いや、なんでもないです。 それより百田さん、今日の夕方、霞が関でしたっけ。 新しい職場、楽しみですねぇ」


 百田はその笑顔の奥を、しばらく測っていた。



    電地現治安予備室

    東京都千代田区霞が関 合同庁舎 地下二階

    2023年2月14日 午後5時30分


 古い合同庁舎の階段を、地下二階まで降りきった突き当たりに、その扉はあった。

 剥がれかけた金属のプレートに、かすれた文字が残っている。


 ――電源室。


 壁際には、とうに使われなくなった配電盤が塗りつぶされもせずに並び、天井を這う太いケーブルの束の下に、事務机が四つ置かれていた。


「ここは昔、この庁舎の電源室だった。 だから皆、電現室(でんげんしつ)と呼ぶ」


 一番奥の机で、初老の男が穏やかに言った。


 宇垣慎。

 内閣情報調査室から来た、この部屋の主だ。


 白髪まじりの髪をきちんと撫でつけ、灰色の背広に、几帳面に結ばれたネクタイ。

 机の上には、使い込まれた革の手帳が一冊と、万年筆が一本、置いてあった。


「正式には、電地現(でんちげん)治安(ちあん)予備室(よびしつ)。 電地というのは電脳地域、つまり、インター(向こ)・ヴァーチュア(う側)のことだ。 電池と同じ音になるのは偶然だそうだ。 役所は、こういうのが好きでね」


 笑いもせずに、宇垣は続けた。


「公安と内調が合同で、内密に置いた部屋だよ。 予備室、という名前のとおり、正式な組織じゃない。 扱うのは、仮想と現実の境目で起きる事件だ。 どちらの役所も、手を出したがらない種類のね」


 宇垣はようやく百田の方を見た。


「足りなかったのは、向こう側で体を張れる人間だ。 調べる者はいても、守る者がいなかった」


 宇垣は机の上で、両手の指を組んだ。


「警察は、向こう側に機体を持っていない。 持っていたとしても、あそこでは警察手帳は通らない。 ……通る言葉は、ひとつだけだ。 自衛、という申告だよ」


「自衛、ですか」


「あそこでは、その一言で、たいていの扉が開く。 そして、この国でその言葉を職務として口にできるのは、君たちだけだ」


 宇垣の声には、皮肉も熱もなかった。


「だから、君を呼んだ。 身分は、陸上自衛隊からの出向のままだ。 市ヶ谷とは、話がついている」


 宇垣は空いている机のひとつを顎で示した。


「機体の運用は、君と三叉電気の来栖君に任せる。 まあ、これまで通りということだ。 彼には、専門官としてこちらにも籍を置いてもらっている」


 それから、手元の書類を一枚めくった。


「経歴は読んだ。 空を取り上げられたそうだね」


 百田の膝の上で、指が握られた。


「――ここなら飛べる。 ただし、飛ぶ先を決めるのは君じゃない」


 宇垣は書類を閉じ、万年筆で手帳に短く何かを書きつけた。

 端末ではなく、紙に。


「相棒は、明日紹介する。 今夜は、例の停電の現場に出ていてね」


 それから、声を落とした。


「もう一つ。 華園警部補を、見(・)張(・)ってほしい」


 理由は言わなかった。


 百田も、聞かなかった。

 体に叩き込まれたことが、ひとつある――上司の命令は絶対だ。


「了解しました」


 熱のない声で答え、百田は体に染みついた所作で、宇垣に十度の敬礼をした。


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