↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
電界特捜 電現室-DENGENSHITSU- ―喪失戦線―  作者: 不治痛
case3 フーディーニ
20/22

フーディーニ/05

    インター・ヴァーチュア

    都水道 浄水場制御空間

    ヴァーチュア時間 Cycle-58/16:30

    現実時間 2023年7月29日 午後8時15分

    百田多聞 接続中 経過 現実30分/仮想現実1時間00分


 ポータルを抜けると、水の音がした。


 都の水道の制御空間は、委託先の会社ごと、コトブキの中にある。

 ここなら、通行証も、案内役もいらない。


 巨大な空間だった。

 見上げても天井が見えない。


 その高みから足もとの闇の底まで、透明な管が、何百本、何千本と渡されている。


 管の中を、水が走っていた。

 澄んだ流れが、光を含んで、ゆるやかに曲がり、分かれ、また合わさっていく。


 どの流れも、どこかの街の蛇口につながっているのだ。


 二月に見た送電網の制御空間は、光の管の森だった。

 ここは、水の森だった。


 その森に、黒いものがたかっていた。


 百田はワンテンタイガーの速度を落とした。

 半円球のモニタに、管の一本が大写しになる。


 アリだった。


 金属でできたアリ。

 一匹が、親指ほどの大きさ。


 それが、管の表面を、びっしりと埋めている。

 銀色の脚が、透明な管を這い回る。

 黒鉄色の顎が、ガラスのような管の壁を噛んでいた。


 カチ。カチ。カチ。


 無数の顎の音が重なって、雨の音のように空間を満たしている。


 噛まれた管に、白い傷が走った。

 傷が広がり、ひびになり、管が裂けた。

 中の水が、霧になって噴き出す。


 水の流れが、乱れた。


 百田は右腕を伸ばした。

 照準を、管の上の群れに合わせる。


 撃つ。


 虹色の干渉光が、管の表面で弾けた。

 アリの群れが、ばらばらに吹き飛ぶ。


 銀色の粒が、闇の底へ散っていく。


 管の表面が、一瞬だけ見えた。


 散った粒が、空中で向きを変えた。

 また、管に戻ってくる。

 群れの穴が、あっという間に埋まった。


(……効いてねぇ)


 撃つ。撃つ。撃つ。


 そのたびに群れは散り、そのたびに集まる。

 一匹残らず潰したはずの場所に、隣の管から、次の群れが流れ込んでくる。


 数が、減らない。


 管が、また一本、裂けた。

 霧が、モニタの視界を白くかすめた。


 百田は機体を引いて、群れのいちばん厚い場所を探した。

 狙うのは一点。


 いちばん大事な一点だけ。

 ヘリで戦車と向き合っていたときから、そうしてきた。


 だが、この群れには、その一点がなかった。

 どこを撃っても、同じだった。


 カチ、という音が、すぐ近くでした。


 百田はモニタの下の端を見た。


 ワンテンタイガーの脚に、アリが這い上がってきていた。


 一匹。

 三匹。

 十匹。


 銀色の脚が、装甲の継ぎ目を探って動き回る。


 顎が、装甲を噛んだ。


 カチ。


 機体の脚に、白い傷が走った。


(……こいつら、俺も食う気だべや)


 百田は機体を振った。

 何匹かが振り落とされ、闇の底へ落ちていく。


 残りは、しがみついたまま離れない。


 別の管から、群れが一筋、こちらへ伸びてきた。

 銀色の川のように、空中を渡って。


 百田は高さを捨て、管と管のあいだへ機体を滑り込ませた。

 ぴたりと止める。

 群れの川が、頭上を流れ過ぎていく。


 脚の上で、まだ顎の音がしていた。


 通信に、声が入った。


『――百田さん』


 来栖の声だった。

 現実の側からの声は、半拍遅れて届く。


『群れの出どころ、わかりました。 三つあります』



    インター・ヴァーチュア

    都水道 浄水場制御空間

    ヴァーチュア時間 Cycle-58/16:50

    現実時間 2023年7月29日 午後8時25分

    百田多聞 接続中 経過 現実40分/仮想現実1時間20分


『三つ。 空間の奥の、三か所から、群れが湧いてます』


 来栖の声はいつもより早口だった。


『アリの一匹一匹に、頭はありません。 三つの出どころから、まとめて動かされてる。 ……三人で組んでるのか、一人が三つ動かしてるのか。 ここからじゃ、まだ』


 椿は、何人かが組んでいる、と言っていた。

 一人で三つまでが限界……。


 三つの出どころなら、三人でも、一人でも、勘定は合う。


 モニタの端に、来栖が送ってきた三つの印が灯った。


 そのとき、別の声が通信に割り込んできた。


『運転手さん……生きてる?』


 椿だった。


『あたしたちも入った……。 ここから先は、こっちの仕事』


 百田の目の前の管で、異変が起きた。


 管にたかっていたアリの群れが、ぴたりと動きを止めた。

 一匹残らず。


 次の瞬間、アリの形が崩れた。

 脚が溶け、顎が溶け、ただの銀色の粒になって、管の表面からさらさらと落ちていく。


 隣の管でも。その隣の管でも。


 空間のあちこちに、人影が立っていた。


 蝶の仮面。

 鹿の角をつけた仮面。

 のっぺりとした銀の仮面。


 あの倉庫に残った、半分の者たちだった。


 機体にも乗らず、誰もが、管に手のひらを当てていた。

 手のひらの触れたところから、群れが崩れていく。


 データの中に潜り、思い描いたとおりに書き換える。

 これが、コードキャスターだった。


『全部は無理……。 あいつの書いた群れ、硬いの。 ……止められるのは、近いところだけ』


 椿の声に、荒い息が混じっていた。


『マグパイは』


 百田が聞いた。


 椿は、すぐには答えなかった。


『――来ない……』


 短い声だった。


 すぐ横の管で、蝶の仮面が手のひらを当てたまま、動けずにいた。

 群れが厚すぎる。書き換えが、表面で弾かれている。


 百田は照準を合わせ、その管の群れを撃った。


 干渉光が弾け、アリが散る。

 散った粒が、宙で形を失っている。


 その数秒のあいだに、蝶の仮面の手のひらから、崩れが一気に広がった。

 管一本ぶんの群れが、さらさらと落ちていく。


『……今の……』


 椿が、息をのんだ。


『運転手さん……散らして……。 ほどけてるあいだなら、書ける……』


 百田は、次の管を撃った。

 散る。崩れる。

 次の管。散る。崩れる。


 撃って、ほどき、書き換える。

 三本目の管で、拍子が合った。


 百田は機体を上げた。

 脚にしがみついていたアリが、粒になって剥がれ落ちていく。


 来栖の三つの印のうち、いちばん近い一つへ向かった。


 管の森の奥。

 水の流れが渦を巻いている、ひらけた場所。


 そこに、小さな人影が立っていた。


 百田は、機体を止めた。


 シルクハット。

 燕尾服。

 白い手袋。


 手品師の格好をした、子どもの背丈の影だった。


 影の足もとから、銀色のアリが、泉のように湧き出していた。


 モニタの別の窓に、残りの二つの印の映像が入った。

 来栖がつないだのだ。


 どちらにも、同じ影が立っていた。

 シルクハット。

 燕尾服。白い手袋。子どもの背丈。


 三つの影。


 二つは、まったく同じ動きをしていた。


 右手を上げる。

 指を鳴らす。


 左手で、何かを撒くように払う。

 また右手を上げる。


 指を鳴らす。

 左手で払う。


 同じ間隔で、寸分違わず繰り返している。


 百田の目の前の、三つ目の影だけが違った。


 その影は、じっとしていなかった。


 つま先で、体を揺らしている。

 右手を上げかけて、やめて、帽子のつばをいじる。


 足もとの粒を、靴の先でつつく。

 指を鳴らす。


 鳴らしたかと思えば、もう次の動きに移っている。

 一つの動きが終わる前に、次の動きが始まっている。


 間がない。

 待てない。


 跳ねて、止まって、また跳ねる。


(……あの線だ)


 来栖の画面の、落ち着きのない線。

 遊んでいる線。


『百田さん。 二つは、同じ命令の繰り返しです。 中身がない。 ――組んでるんじゃない。 一人です。 本体は、そこです』


 来栖の声が、半拍遅れて届いた。


 通信の向こうで、椿が息をのむのがわかった。


『……うそ。 一人で、これ……?』


 百田は照準を合わせた。


 影が、こちらを向いた。


 シルクハットの陰から、顔がのぞいた。

 向こう側では、顔は変えられない。


 ログインしたときの、本物の顔のままだ。


 子どもの顔だった。


 十歳か、十一歳か。

 頬のまだ丸い、どこにでもいる子どもの顔。


 その顔が、百田の照準の中で、笑った。


 怯えていなかった。

 楽しんでいた。


 赤い土の道で見た目と、同じだった。


 百田の指が、一拍、止まった。


 一拍。


 それだけで、十分だった。


 子どもの影は、帽子を軽く持ち上げて、一礼した。

 舞台の上の手品師が、観客にするように。


 そして、足もとの群れの中へ、沈んだ。


 百田は撃った。


 虹色の干渉光が、子どもの立っていた場所で弾けた。

 銀色の粒が、四方に散った。


 そこには、もう誰もいなかった。


 残りの二つの影も、同時に消えた。

 電源を落としたように、ぱたりと。


 空間じゅうのアリが、一斉に動きを止めた。


 脚が溶け、顎が溶けて、ただの銀色の粒になる。

 粒は管の表面から剥がれ、雨のように、闇の底へ落ちていった。


 カチ、という音が、どこからも聞こえなくなった。


 かわりに、水の音が戻ってきた。


 裂けた管の霧が、細くなっていく。

 乱れていた流れが、少しずつ元の筋を取り戻し、ゆるやかに曲がり、分かれ、合わさっていく。


『……数字、戻りました』


 通信の向こうで、浄水場の職員の震える声がした。

 華園の声が、それに重なった。


『百田くん。 ――止まった。 水は、無事よ』


 百田は照準の中の、何もない場所を見ていた。


(……撃てたべや)


 あの一拍がなければ。

 撃てていた。


(なして、止まった)


 答えは、わかっていた。

 照準の中にあったのが、子どもの顔だったからだ。


 あのときも、そうだった。


 ハンドルを握る手のひらが、汗で濡れていた。


『――逃げられた』


 短い報告だった。


 通信が、少しのあいだ途切れた。


 やがて、椿の声が入った。

 息が、まだ荒かった。だが、笑っていた。


『……ウヘヘ。 逃げられてないよ』


『え?』


『あいつ、群れの中に沈んで、抜け道から出てった……。 脱出王だもんね……どこからでも抜ける。 ……でも、抜け道ってね、どこかには必ずつながってるの……』


 椿の声から、息の荒さが引いた。


『あいつが群れに紛れたとき……あたし、群れの一匹に、自分を書き込んどいた……。 あいつの抜け道を、一緒に通ってった……。 ――仮想(こっち)の、どの出口から、現実(むこう)の、どの機械に帰ってったか』


 百田はハンドルを握り直した。


『つかまえた』


 椿は、言った。


『――本当の場所』


 モニタの隅に、一行の文字が浮かんだ。


 都内の、集合住宅の住所だった。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。