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電界特捜 電現室-DENGENSHITSU- ―喪失戦線―  作者: 不治痛
case3 フーディーニ
19/22

フーディーニ/04

    ワンルームマンション

    東京都中野区

    2023年7月28日 午後5時10分


 ヘッドギアを外すと、六畳の部屋の天井が目に入った。


 若者は、首筋のカテーテルを抜いて、しばらく天井を見ていた。

 向こう側の倉庫で、八時間、箱を仕分けた。

 こっちの時計で八時間だ。

 向こうの時計では、その倍になる。


 体は、一歩も動いていない。それなのに、腕が重い。


 枕元のスマートフォンが、短く震えた。

 通知だった。いつの間にか、あの白い手袋の動画に、通知をつけていた。

 つけた覚えは、ない気がした。


 真っ白な画面。白い手袋。

 手袋が、指を鳴らした。


 ――次の演目。

 ――水槽からの脱出。


 画面の真ん中に、水を張ったガラスの箱が現れた。

 手品師が鎖で縛られて、逆さまに沈められる、あの箱だ。


『みなさん、こんばんは。 今度の演目は、ちょっと大きいです』


 手袋が、水槽のガラスを指でつついた。

 水面が揺れて、光が細かく砕けた。


『この街の水は、毎晩、だれかが見張ってます。 ――見張ってることに、なってます』


 手袋が、紙をめくっていく。


 水道の見張りの仕事を任された会社の、契約書。

 請負の大手の、子会社の名前。


 夜の当直表。

 二つ並んだ名前の一つに、去年の春から線が引かれている。

 それなのに、毎晩の報告書には「二名にて監視」と書かれていた。

 年ごとに増えていく、委託の費用の振り込み。


『見張りの人を半分にして、お金は、前よりたくさんもらいました。 えらいね』


 手袋が、ぱちぱちと拍手した。


『今度のお客さまは、だれでしょう。 ――あしたの夜、わかります。 いちばん人がたくさんいる夜に、やります』


 手袋が、小さく手を振った。


『またね』


 若者は、もう一度最初から再生した。

 紙は、前と同じように並んでいた。会社の名前も、金の流れもある。

 だが、今度は、誰の顔写真も出てこなかった。


 コメント欄が、見たことのない速さで流れていた。


「誰だ」

「次は誰」

「客いなくね?」

「会社が客?」

「あしたの夜って花火じゃん」

「会場で何かやる気か」

「通報しろよ」

「通報して止まるならとっくに止まってる」

「楽しみ」


 再生数の数字が、見ている間にも、桁を一つ増やした。


 あしたは、花火大会だった。

 友達に、川べりの場所取りを頼まれている。


 若者は、画面の中の水槽を見た。

 花火と、どっちを見ようか、と思った。


 思ってから、少しだけ、自分が嫌になった。

 嫌になったまま、動画を最初から再生した。



    三叉電気 川崎試験場

    神奈川県川崎市

    2023年7月28日 午後9時00分


「一晩もたずに、百万回」


 来栖恭介が、画面の数字を読み上げた。


「前の二本より、ずっと速いですねぇ。 標的の名前を出さないのが、かえって効いてる。 みんな、自分の知ってる誰かを当てはめて見てるんです」


 作業台のまわりに、華園と百田と、それに椿がいた。


 椿は、受付で渡された三叉の入館証を、裏返しにして首から下げていた。

 それでも、来栖の機材の山は、さっきから目を輝かせて眺めていた。

 来栖は来栖で、椿がトートバッグから出した自作のログイン機器を、手に取って離さなかった。基板がむき出しで、ところどころ絶縁のテープで留めてある。


「これ、全部自分で?」


「部品は、そこらの電気屋……。 設計は、グレート・オズのを、ちょっといじって……ウヘヘ……」


「ちょっと、ねぇ。 ……いやぁ、ここの配線、うちの若いのに見せたいですよ」


「仕事の話」


 華園が言うと、二人は同時に画面の方を向いた。


 来栖は動画を、水槽が大写しになるところで止めた。


「この水面。 揺れて、光が砕けるところ。 ふつうに見ると、ただの演出です」


 椿が、画面に顔を近づけた。


「……光の粒の並び方が、変……」


「でしょう」


 来栖は一コマずつ送った。

 砕けた光が、ほんの数コマだけ、規則正しく並ぶ。数字の列だった。


「わざと、見つけられるように置いてあるんです」


 椿の語尾から、ウヘヘが消えた。


「あたしたちのやり方……。 見つけられるやつにだけ、わかるように置くの……。 挑戦状だよ、これ……」


 来栖が、数字の列を地図に重ねた。


 向こう側の、都の水道の制御空間。

 その中の、一つの浄水場の座標だった。


「浄水場」


 華園の声が、少しかすれた。


「いちばん人がたくさんいる夜。 ――あしたの、花火大会ね」


 何十万の人が、川べりに集まる夜。

 屋台が水を使い、家々の蛇口が開き、救急の病院が水を使う夜。


 百田が、短く言った。


「狙いは、水の制御ですか」


「消毒の薬の量も、配水の圧も、全部、向こう側から管理してますからねぇ」


 来栖は、それ以上は言わなかった。


 華園は、動画の告発の部分を巻き戻した。

 契約書。当直表。線を引かれた名前。


「……一件目は、役員。 二件目は、局長」


 華園は、自分に言い聞かせるように言った。


「どっちも、告発して、名前と顔を出して、その人だけを狙った。 ――でも、今度は、告発の相手が会社なのに、誰の顔も出してない」


 百田が、華園を見た。


「お客さまは、だれでしょう、って言ってる。 ……顔を出す必要がないのよ。 お客さまは、一人じゃないから」


 華園は、画面の水槽を指でなぞった。


「その水を使う人、全員。 ――今まで、あの動画を観客席で見てた人たちが、今度は舞台の上にいる」


 椿が、小さく息をのんだ。


「……見てる人まで、水槽に入れる気……?」


「無差別テロよ」


 口にすると、作業台のまわりの空気が変わった。


 華園は電話を取り出し、宇垣を呼んだ。


 短い報告のあと、受話器の向こうで、宇垣は少しだけ間を置いた。


『水道局にも、警察にも話す。 あしたの夜の当直の顔ぶれも、すぐに洗わせよう』


 宇垣の声はいつものように穏やかだった。


『……ただ、向こう側の守りは、君たちしかいない』


 電話が切れた。


 華園は画面の水槽を見た。

 光の粒は、もう、ただの光に戻っていた。



    浄水場

    東京都内

    2023年7月29日 午後7時30分


 制御室の窓の向こうで、空が紫に暮れかけていた。


 浄水場の制御室は、思ったより小さかった。

 壁一面の画面に、水槽と、管と、ポンプの図が並んでいる。数字が、静かに変わり続けている。


 部屋の奥に、リクライニング式のシートが一つあった。


 そこに、男が一人、横たわっていた。

 首筋に極細のカテーテル。手首と足首のバンド。ゴーグル型のヘッドギア。


 当直の技師、桐生透矢。

 四十を少し過ぎた、痩せた男だった。今夜、向こう側の制御空間で、この浄水場の水を見張る役だった。


 華園が着いたときには、桐生がログインしてから、もう一時間がたっていた。


 当直は、桐生一人だった。告発の動画のとおりだ。

 交代を立てようにも、夜の制御空間に入れる技師は、ほかにいなかった。

 誰が声を聞かされているのかも、外から見分ける手立てはない。

 外せば、今夜の水を見張る者がいなくなる。


「出してください。 今すぐ」


 華園が言うと、浄水場の職員が首を横に振った。


「無理に外したら、どうなるか。 ……向こうでの時間が倍で流れてるんです。 途中で引きはがしたら、本人の頭に何が残るか、わかりません」


 強制排出よりひどいことになる。

 来栖にも、同じことを言われていた。

 ログアウトの時刻まで、あと三十分。


 華園はシートのそばに膝をついた。


 桐生の顔から、表情が抜け落ちていた。

 誰かの話を、じっと聞いている顔だった。


 職員が、壁の画面を指さした。


「……桐生さんの操作です。 手順にない画面を、開いてる」


 画面の隅で、見たことのない窓が一つ開いていた。

 制御の権限を、外に向けて明け渡すための窓だった。


 シートの上で、桐生の右手の指が動いた。

 何かを押そうとするように、人差し指がわずかに持ち上がる。


 華園の耳に、二月の夜の声がよみがえった。


 ――その声を信じるな。 確かめろ。


 向こう側で、聞こえるはずのない声に呼ばれたとき。

 こちら側から、百田が届けてくれた言葉だった。


 現実の側の声は、向こう側に、半拍遅れて届く。

 届くのだ。


 華園は制御卓から、桐生の回線につながる小さなマイクを引き寄せた。

 それを口元に当てたまま、桐生の耳元に顔を寄せた。


「桐生さん」


 自分の声で、はっきりと言った。


「聞こえますか。 わたしは、こっち側にいます。 あなたの体のすぐ横に」


 桐生の指が、止まった。


「その声を、信じないで。 ――確かめて。 その声は、あなたの声じゃない」


 数秒が、過ぎた。


 桐生の指が、震えた。

 持ち上がっていた人差し指が、ほんの少しだけ、下がった。


「あなたが守ってるのは、水です。 今夜、何十万の人が使う水。 ……桐生さん、手を、止めて」


 桐生の唇が、動いた。

 声にはならなかった。


 壁の画面の隅で、開いていた窓が、閉じた。


 職員が、息をのんだ。


 その直後だった。


 壁一面の数字が、一斉に跳ねた。


 配水の圧。消毒の薬の量。ポンプの回転。

 ばらばらに、でたらめに、跳ね上がり、落ち、また跳ねる。


「なんだ、これ……」


 職員の声が、裏返った。


 画面の図の上で、管の線が一本、また一本と、赤く変わっていく。

 内側から、何かに食い破られていくように。


(……扉を開けてもらえなかったから、壊して入る気だ)


 華園は電話をつかんだ。


「百田くん。 ――始まった」



    2023年7月29日 午後8時00分


 夜空に、最初の一発が上がった。


 腹の底に響く音が、川面を渡っていく。

 遅れて、何十万の歓声が、街の底から湧き上がった。


 川べりの土手を、人が埋めていた。

 浴衣の帯。うちわ。

 肩車された子ども。


 誰かが掲げたスマートフォンの画面が、無数の小さな窓になって光っている。


 その窓の何割かには、花火ではなく、白い手袋が映っていた。


 屋台の鉄板に、水が打たれる。

 かき氷の機械が、氷を削る。

 土手沿いの家々で、蛇口がひねられる。風呂が沸かされる。

 救急の病院で、看護師が手を洗う。


 どの水も、同じ管から来ていた。


 夜空に、二発目が開いた。


 誰も、足もとを流れる水のことを考えてはいなかった。

 その水の制御が、向こう側で、静かに食われはじめていることも。


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