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電界特捜 電現室-DENGENSHITSU- ―喪失戦線―  作者: 不治痛
case3 フーディーニ
18/22

フーディーニ/03

    警察署

    東京都内

    2023年7月24日 午後4時00分


 取調室の隣の小部屋に、モニターが一台置いてあった。


 画面の中で、三上沙織が机の上の自分の手を見ていた。

 三十を少し過ぎた、細い女だった。


 髪はきちんとまとめてある。

 局長の日程を何年も管理してきた人間の、几帳面なまとめ方だった。


 華園夏菜子は腕を組んで画面を見ていた。


『あの日のことを、もう一度、最初から』


 取調官の声に、三上は小さくうなずいた。


『夕方……向こう側で、来週の日程を組み直していました。 局長の会議と、会食と、視察と。 いつもの仕事です。 そのとき、声がしたんです』


『どんな声ですか』


『子どものような……でも、大人のような。 とても、楽しそうな声でした』


 三上の指が、机の上で、何かを握る形に曲がった。

 本人は、気づいていないようだった。


『帰っちゃだめだよ、って。 今夜は演目があるんだから、って。 ……ログアウトしたあとも、ずっと、耳の奥に残っていて。 家に帰ろうとすると、声が、帰らせてくれなかった』


 三上の目から、涙が落ちた。


『気がついたら、局長の書斎にいました。 私の手が、ネクタイを。 ……私の手なんです。 私の手が、やったんです』


 取調官は、次の問いを探しあぐねていた。


 華園は小部屋を出た。


 廊下の窓から、西日が差し込んでいた。

 長椅子の端に、紺の背広の男が座っていた。


 担当の検察官だった。

 華園を見ると、立ち上がって軽く頭を下げた。


「電現室の方ですね。 ……聞きましたか」


「聞きました」


「向こう側で声を聞いた。 運転手の宮下も、まったく同じことを言っています」


 検察官は窓の外を見た。


「洗脳を立証する方法が、ありません」


 華園は、すぐには答えなかった。


「技術の方々が、機械の記録に何かが差し込まれた痕を見つけた、とは聞いています。 ですが、それが本人の意思を奪った、と裁判官に信じさせる手立てがない。 この国には、そういう前例がないんです」


 検察官は手にした書類の端を、指でそろえた。


「手を下したのは、彼女です。 ……私は、彼女を起訴することになります」


「仕組んだ者は」


「名前もわからない相手を、どうやって起訴しろと」


 検察官は一礼して、廊下を歩いていった。


 華園は窓の外を見た。

 西日に焼かれた街が、陽炎で揺れていた。


(手を下した者が裁かれて、仕組んだ者は、罪にも問えない)


 あの動画の中で、白い手袋は誰も殺していない。

 ただ、紙をめくって、手を振っただけだ。



    インター・ヴァーチュア

    コトブキ 境界外の更地

    ヴァーチュア時間 Cycle-50/20:00

    現実時間 2023年7月25日 午後10時00分

    華園夏菜子 接続中 経過 現実30分/仮想現実1時間00分


 柵の向こうは、灰色の土地だった。


 どこの国のものでも、どこの会社のものでもない土地。

 誰の法も届かない、平らな灰色が、地平線まで続いている。


 華園はその灰色の上を歩いていた。

 隣に百田がいる。ワンテンタイガーは、コトブキの格納庫に置いてきた。


 前を、椿が歩いていた。

 薄紫の、蝶の形の仮面をつけている。


「仮想(こっち)じゃ、顔は変えられないでしょ……」


 椿は振り向かずに言った。


「ログインしたときの、本物の顔のまま……。 でも、身につけるものは変えられる……。 だから、あたしたちは、みんなこれ。 ウヘヘ……かわいいでしょ」


 椿は、二人にも仮面を投げてよこした。

 何の飾りもない、白い仮面だった。


 華園はそれを顔に当てた。

 百田は手の中で一度だけ裏返して、それから同じようにした。


 しばらく歩くと、低い構造物が見えてきた。

 倉庫のような箱が数棟。


 百田の足が、わずかに遅くなった。


「……ここは」


「……知ってるの?」


 前を行く椿が、足を止めて振り向いた。


「春に、一度」


 華園も知っていた。

 春の事件で、違法な薬の製造の拠点になっていた場所だ。

 百田が出入り口のポータルを撃ち抜いて、封鎖したはずなのだが……。


 今は、空っぽだった。

 棚も、機械も、運び出されている。灰色の壁の内側に、灰色の床が広がっているだけだった。


 その床の上に、二十人ほどが集まっていた。


 全員が、仮面をつけていた。

 狐。猫。鳥。歯車を組み合わせたもの。ただの黒い布で目から下を覆っただけの者もいる。

 壁の一角に、誰かが勝手に立てた、小さなポータルの灯りが明滅していた。


 椿が、手を挙げた。


「……あ、集まってくれて、ありがと……」


 何人かが、うなずいた。

 何人かは、華園と百田の白い仮面を見ていた。


「この二人は、あたしの連れ……。 名前は聞かないで。 あたしも、みんなの名前は聞かない」


 それで、誰も何も聞かなくなった。


「……フーディーニの話……」


 椿の声が、低くなった。


「あいつは、生命線に触った……。 人の頭にも入った……。 ――掟を破ったやつがいる……。 探すから……手を貸して」


 誰も、すぐには答えなかった。


 かわりに、笑い声がした。


 部屋の奥で、銀色の鳥の仮面をつけた男が、壁にもたれていた。

 黒と白の羽根の飾りが、仮面の縁から垂れている。


「掟、ねぇ」


「マグパイ」


 椿が名前を呼んだ。ハンドルネームだった。


「俺たちは、何年も暴いてきた。 汚い契約も、裏金も、黒塗りの下も。 暴いて、流して、それで? ……誰か、一人でも裁かれたか」


 マグパイは壁から背中を離した。


「あの役員はな、仮想(こっち)で十六時間働かせて、八時間分しか払わない仕組みを作った張本人だ。 局長は、それに判子を押した。 ――あいつは、俺たちが暴くだけで終わらせてきたことを、終わらせた」


 部屋の何人かが、身じろぎした。

 うなずいた者もいた。


「死んだのは、悪いやつだ」


 マグパイの声は、楽しそうですらあった。


「熱中症で死んだ年寄りは」


 華園の隣で、百田が言った。


 部屋の中が、静まった。


「停電の夜に、部屋の中で、四人死んでます。 あれも、悪いやつですか」


 マグパイの仮面が、百田の方を向いた。

 白い、何の飾りもない仮面を、銀の鳥の目が、しばらく見ていた。


 マグパイは、答えなかった。


 そのまま、壁の灯りの方へ歩いていった。

 途中で、狐の仮面の女と、歯車の仮面の男が、その後ろについた。黒い布の者が、二人。猫の仮面が、一人。


 誰も、引き止めなかった。


 ポータルの灯りが、明滅するたびに、一人ずつ消えていく。

 気がつくと、倉庫の中に残っていたのは、半分だった。


 椿は、仮面の奥で、長いこと息を吐いた。


「……これが、あたしたち」


 華園は灯りの消えた壁を見ていた。


(名前を知らないから、引き止める言葉もない)


 顔は、変えられない世界。

 その世界で、顔を隠して、名前を捨てた者たちが、また一人ずつ散っていく。



    首都高速道路

    2023年7月26日 午前1時00分


 夜の高速は、空いていた。


 百田多聞はハンドルを握っていた。

 助手席に華園。

 後部座席に椿。


 試験場でログアウトしたあと、終電はとうになくなっていた。


 椿を家の近くまで送る。

 華園の決めたことだった。


 後部座席で、椿がずっと百田の後頭部を見ていた。

 ルームミラー越しに、それがわかった。


「……ねぇ」


 椿が、身を乗り出した。


「……やっぱりそうだ。 三月の即売会で、カナン様をさらってった人でしょ……」


 百田は前を見たまま、答えなかった。


「列の真ん中で、いきなり撮影が終わってさ……。 見たら、カナン様が紺のジャケットの男の人のところに歩いてって、そのまま一緒に出てっちゃったの……。 あのあと界隈、大騒ぎだったんだから……。 カナン様に男がいる、って」


「仕事です」


「知ってる……。 だから、あれでしょ」


 椿は、うれしそうに喉の奥で笑った。


「ウヘヘ……あの日、カナン様、リリス様だったから……。 リリス様の、運転手さん」


 百田はハンドルから両手を離して頭を抱えたくなった。

 高速道路の上なので、やめた。


(……なして、そうなるのさ)


 助手席で、華園が窓の外を向いていた。

 肩が、小刻みに震えていた。


 しばらく、誰も話さなかった。

 オレンジ色の照明が、規則正しく流れていく。


「華園さん」


 百田は前を見たまま言った。華園の肩が、止まった。


「あの動画を作ったのは、子どもです」


 短い沈黙。


 後部座席で、椿が吹き出した。


「運転手さん、それはない……グヘヘ……」


「百田くん」


 華園も、笑いながら振り向いた。


「疲れてるのよ。 子どもに、あんな告発の資料、集められるわけないじゃない。 会食の日付、振り込みの記録、黒塗りの下の行。 あれは、何年も役所の中を見てきた人間の仕事よ」


「黒塗りの下まで読める小学生がいたら、あたし、弟子入りするよ……。 あれは、何人もで組んでる仕事……」


 二人が笑った。


 百田は、笑わなかった。


 動画を公開した時刻。


 夕方の五時すぎ。

 例えば、学校が終わる時刻。


 夜の十一時半。

 例えば、夜更かしの子どもの電池が切れて、さすがに寝落ちするような時間。


 手袋の指先の、ほんのわずかな余り。

 跳ねて、止まって、また跳ねる線。


 ――遊んでいる線だ。


 百田の頭の奥で、赤い土の匂いがした。


 小銃を抱えた、背の低い影。

 大人の兵隊のあとを追って、跳ねるように歩いていた。

 こちらに気づくと、その影は銃口を向けたまま、笑った。


 あの目は、怯えていなかった。

 楽しんでいた。


「……確認、します」


 百田は、それだけ言った。


 椿が、後ろからつまらなそうに言った。


「冗談、通じない人だね……運転手さん」


 華園は、もう前を向いていた。

 百田の横顔を、一度だけ見た。


 照明のオレンジ色が、その横顔を何度も通り過ぎていった。

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