ハイ・ソサエティ/06
インター・ヴァーチュア
境界外の更地 上空
ヴァーチュア時間 Cycle-49/00:20
現実時間 2023年3月25日 午前0時10分
百田多聞 接続中 経過 現実25分/仮想現実50分
四機は、まず上へ逃げた。
灰色の空の高いところで、四つの機影が、きれいな菱形を組む。
編隊だった。崩れない。
間合いが、定規で引いたように変わらない。
『シーカーより各機。 回転翼は、低いところが好きだ。 上から押さえるぞ』
鷲尾の声が、隠しもせずに通信に流れてくる。
わざと聞かせているのだと、百田にはわかった。
『聞こえてるか、回転翼。 演習のときと同じだ。 俺たちは上から来る。 お前らは、下を這う』
「……今は、這ってません」
『だろうな。 だから、落とし甲斐がある』
菱形が、ほどけた。
二機が、真上から落ちてくる。
速い。
百田が右へ体を倒すより早く、火線が機体の左を擦っていった。
残りの二機が、百田の逃げる先に、もう回り込んでいる。
(……読まれてる)
先月の夜とは違う。
あのときの相手は、計算で先回りしてきた。
今度の相手は、人間だ。
人間が、人間離れした速さで、先回りしてくる。
ボルトとラムの機体が、左右から挟み込んできた。
反応が、速すぎる。
百田が機体を傾けた、その傾きの途中で、もう向こうは次の位置にいる。
縁に銀の線の入った、白いカプセル。
控えの間で、鷲尾が「特別製だ」と言ったものを、百田は思い出していた。
『ジンジャー、出すぎだ。 戻れ』
鷲尾の声が、初めて鋭くなった。
四機のうちの一機が、編隊から飛び出していた。
速すぎる。鋭すぎる。
機体が出せるはずの速さを、とうに越えている。
曲がるたびに、装甲の継ぎ目から火花が散った。
ジンジャーの機体は、笑っているように見えた。
機体に顔はない。それでも、そう見えた。
まっすぐに、ワンテンタイガーへ突っ込んでくる。
百田は、撃たなかった。
「それ、やめれ!」
通信に、素の声が飛んだ。
「死ぬぞ!」
ジンジャーの機体が、百田の機体の鼻先で、いきなり止まった。
止まった、というより、時間ごと凍りついたように見えた。
固まった姿勢のまま、機体は落ちていき、地面に激突してバラバラになった。
操縦席の男は、もう、そこにはいない。
自滅だ。
おそらくは……過剰投与の反応による強制排出だろう。
百田は、一発も撃っていない。
『――百田さん、一機、反応消失』
半拍遅れて、来栖の声が来た。
百田はハンドルを握る手に、力が入りすぎているのに気づいた。
通信の向こうで、鷲尾が短く息を吐いた。
『……あの馬鹿。 使いすぎだ』
上から押さえるぞ、と鷲尾は言った。
なら、上にはいない。
百田は、高さを捨てた。
スロットルを戻し、体を前へ倒す。
ワンテンタイガーが、灰色の地面へ向かって落ちていく。
倉庫のような低い構造物の、屋根の高さ。
そこから、さらに下へ。
構造物と構造物のあいだの、狭い通路に機体を滑り込ませた。
帯広の訓練場で、何百回とやった飛び方だった。
地面すれすれを、木立の陰を、丘の稜線の裏を、這うように飛ぶ。
見つかる前に隠れ、撃つときだけ顔を出す。対戦車ヘリは、そうやって生き延びる。
頭上を、二つの機影が通り過ぎた。
ボルトとラムが、百田を見失っていた。
速く、高く飛ぶ者ほど、低く止まる者が見えない。
百田は構造物の陰で、機体を止めた。
ぴたりと。空中に、置いたように。
ボルトの機体が、旋回して戻ってくる。
屋根の向こうを、速すぎる速度で横切る。
虹色の干渉光が、飛沫のように薄れた。
出力を戻したのだ。
それでも、機体は前へ流れ続けた。屋根の端を大きく越え、隣の構造物の壁をかすめて、ようやく向きを変えた。
止まれないのだ、と百田は気づいた。
あの乾いた、甲高い駆動音は、2行程処理型の音だ。
2行程処理型の特性は軽さと加速、それに瞬発力だ。
裏を返せば、それは暴れ馬だ。
瞬間移動かと錯覚するような加速を見せ、鋭く曲がれても、急には止まれない。
百田は屋根の上に、機体の頭だけを出した。
狙う。撃つ。
すぐに下がる。
ボルトの機体の背で、干渉光が火花になって弾けた。
脚が止まり、ボルトの機体は、灰色の地面に腹から滑り込んでいった。
『ボルト、被弾。 動けない』
ラムが、突っ込んでくる。
ボルトのやられた場所めがけて、まっすぐに。
百田は、もう、そこにいなかった。
二つ隣の構造物の陰から、また頭だけを出す。
撃つ。
ラムの機体の右腕が、肩から落ちた。
続けて、脚。
ラムの機体は、構造物の壁にもたれるように止まった。
残るは、一機。
シーカーが、上から降りてきた。
今度は、正面からだった。小細工はなかった。高く、速く、まっすぐに。
動きが、さっきまでの二機とは違った。
速いが、人間離れはしていない。読みが深く、無駄がない。
こちらの癖を、一つずつ確かめてくる飛び方だった。
(……こいつは、使ってねぇ)
あの銀の線のプラグインを、この男だけは入れていない。
自分の腕だけで、来ている。
『使ってると思ったか』
百田の考えを読んだように、鷲尾が言った。
『部下には配った。 俺は、入れてない。 ……自分の空は、自分で飛ぶんだろ?』
控えの間で、自分が言った言葉だった。
百田の口の端が、わずかに上がった。
帯広を出てから、空でこんな気分になるのは、初めてだった。
『――来いよ、回転翼』
百田は、構造物と構造物のあいだの、いちばん狭い通路に機体を滑り込ませた。
両側は壁。抜けられるのは、前と後ろだけ。
鷲尾は、迷わず通路に飛び込んできた。
百田の位置を、正確に読んでいる。速さも、角度も、文句のつけようがなかった。
百田は、通路の出口で、機体を止めた。
ぴたりと。
鷲尾の機体も、止まろうとした。
腕は、止まれと命じていた。
だが、機体が、ほんのひと呼吸、前へ流れた。
2行程処理型の機体は、止まれない。
そのひと呼吸のぶんだけ、鷲尾の機体の脚が、百田の照準の中へ出てきた。
百田は、撃った。
一度だけ。
シーカーの機体の、両脚の付け根を。
シーカーの機体は、勢いのまま通路の壁を削り、出口の手前で崩れ落ちた。
灰色の空が、静かになった。
『……降参だ』
鷲尾の声は思ったより穏やかだった。
百田は機体を、シーカーの機体の前に降ろした。
『殺さなかったな』
「仕事じゃないので」
『……つまらねぇ答えだ』
鷲尾は、笑っていた。
「それと」
百田の声は、平らなままだった。
「ジンジャーさんに配ったのは、あんたです」
笑い声が、止まった。
通信の向こうで、長い息の音だけがした。
『……ああ。 わかってる』
『次は、勝つ。 俺の腕だけでな』
「次は、ないかもしれません」
『あるさ。 空は、そういうところだ』
通信が、しばらく黙った。
やがて、鷲尾が言った。
『……やっぱり、お前だったか』
百田は、照準を外した。
ボルトとラム、それに鷲尾の機体から、操縦者たちが降りてくる。
三人は、構造物の真ん中の、勝手に立てたポータルの光の方へ、歩いていった。
百田には、止める手立てがなかった。
ここは、どの国の法律も届かない土地だ。
百田は警察官ではない。
仮に警察官だったとしても、手錠をかける理由が、この土地には一つもない。
ポータルの光の前で、鷲尾が一度だけ振り向いた。
『向こうの支配域の空に来ることもあるだろう。 また会おうぜ、回転翼』
三人の輪郭が、端から崩れはじめた。
ほどけきる間際に、ノイズまじりの声が百田の耳に届いた。
『……こっちの空……は広いようで狭い……決着はいずれ……』
掠れて消えた。
最後までは聞き取れなかった。
(広いようで、狭い、か。 ……違いねぇ)
そのとき、構造物の一つの扉が開いた。
白衣の、痩せた男が飛び出してきた。
男はワンテンタイガーを見上げて、ひっと声を上げ、ポータルの光の中へ転がり込んだ。
灰谷修一だと、百田にはわかった。
男の輪郭も、ほどけて消えた。
通信に、来栖の声が戻ってきた。
『百田さん、今の―― 灰谷です。 ログアウトしました。 ……華園さん、そっちへ行きますよ』
百田は機体のまま、灰谷が飛び出してきた構造物の、大きな搬入口をくぐった。
中は、倉庫だった。
天井まで届く棚に、白いカプセルの形の光が、何千と並んでいる。一つ一つが、誰かの一晩分だった。
奥の机に、端末が一台、点いたままになっていた。画面には、会社の名前の列。
「来栖さん。 端末が残ってます」
半拍遅れて、返事が来た。
『押さえます。 ……機体の手を、端末に当ててください』
ワンテンタイガーの指先を、端末に触れさせる。画面の文字が、一行ずつ吸い上げられていく。
『取れました。 ――棚の方は、消します』
棚の光が、端から一つずつ消えていった。
最後の一つが消えると、倉庫は、ただの灰色の箱に戻った。
百田は外へ出て、構造物の真ん中の、勝手に立てたポータルに照準を合わせた。
一度だけ、撃った。
光が、消えた。
三叉電気 川崎試験場
神奈川県川崎市
2023年3月25日 午前0時30分
来栖恭介は画面の前で、身じろぎもせずにいた。
ワンテンタイガーの戦闘の記録が、半拍遅れで流れ込んでくる。
向こうで起きたことが、こちらに届くまでの、わずかな遅れ。
その遅れの中で、百田はほとんど一人で戦っていた。
来栖の目は、輝いていた。
記録が、次々に積み上がっていく。
グラフトン重工のエンフィールドの、実戦での性能。
安い。脆い。
だが、数をそろえれば、あれで十分に軍隊になる。
元戦闘機乗りたちの、編隊の癖。
そして、あの銀の線のプラグインで強めた操縦の、記録。
来栖はジンジャーの機体が飛び出した瞬間の記録を、何度も巻き戻した。
機体と体の境目が消える、その瞬間の揺れ方。
知っている揺れ方だった。
ワンテンタイガーに乗る百田が、ほんの一瞬だけ見せるのと、同じ形の揺れだった。
来栖はしばらく画面を見つめていた。
それから、何でもないように肩を回した。
「空自さんも、ずいぶん引き抜かれてるんですねぇ」
眠ったままの百田のほかには誰もいないログイン室で、来栖はひとりごとを言った。
画面を二つに分ける。
片方に、降参した鷲尾の機体。
もう片方に、その前に機体を降ろした、ワンテンタイガー。
来栖は二つの画面を、長いこと見比べていた。
端末に、短く何かを打ち込んだ。
それが何なのかは、来栖自身にも、まだ名前のつけようがなかった。




