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電界特捜 電現室-DENGENSHITSU- ―喪失戦線―  作者: 不治痛
case2 ハイ・ソサエティ
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ハイ・ソサエティ/03

    物流倉庫

    千葉県市川市

    2023年3月20日 午前2時00分


 倉庫の天井は高く、照明は半分しか点いていなかった。


 壁際に、簡易のシートが二十ほど並んでいる。

 その一つ一つに、作業着の男や女が横たわっていた。


 首の付け根から細いケーブルが伸び、膝の上に載せた弁当箱ほどの機械につながっている。

 出先で使う、携帯型のログイン装置だ。


 誰も、口をきかない。

 体はここに置いたまま、向こう側の巨大な倉庫で、仮想の荷を仕分けている。


 百田は入り口の脇の休憩所に立っていた。

 華園の地図の十一の点のうち、一つがこの倉庫だった。


 二週間前、ここで一人が死んでいる。


「あんたが、役所の人?」


 自販機の前で、作業着の男が缶コーヒーを開けた。

 三十半ばくらいか。坂下竜二と名乗った。

 ちょうど、向こうから戻ってきたところだという。


「ヤマさんのことなら、もう会社に話したけどな。 過労だってよ」


「そう聞いています」


 坂下は、鼻で笑った。


「過労ねぇ。 そりゃ、みんな過労だよ」


 坂下は膝の上の装置を叩いた。


「向こうで十六時間働いても、こっちじゃ八時間しか経ってない。 給料は、こっちの時計で出る。 体は八時間分しか疲れてないことになってるけど、頭は十六時間分、ちゃんとくたびれてる」


 坂下は装置の小さな画面を百田の方へ向けた。

 隅に、見慣れないアイコンが一つ並んでいた。


「だから、これ。 疲れ止め。 会社が入れてるやつ」


「効くんですか」


「まあまあだな。 ……効きのいいのは、別に回ってくる」


 坂下はそこで口を閉じた。


「誰からです」


「それは、言えねぇな」


「それを、少し貸してもらえませんか」


 百田は、坂下の膝の装置を目で示した。


「会社の備品だ。 なくしたら、俺の首が飛ぶ」


 坂下は装置を胸に抱えるようにして、笑った。


 それから、缶コーヒーを飲み干して、ごみ箱に放った。


「でもよ、あれがなきゃ、夜勤が回らねぇんだ。 ヤマさんも、そうだった」


 坂下は自分のシートへ戻っていった。

 首にケーブルをつなぎ、目を閉じる。


 それきり、動かなくなった。


 百田は並んだシートを見渡した。


 帯広の部隊は数え方ひとつで要らなくなった。

 ヘリ一機に人が二人と整備が何人、それを無人機に置き換えれば、紙の上ではずいぶん安くつく。

 ここでは同じ数え方で、人が倍働かされている。


(……なんも、変わんねぇべや)


 倉庫の奥のシートで、眠っている誰かの指が、何かを押すように小さく動いた。



    港区の病院

    東京都港区

    2023年3月20日 午後2時00分


 個室の前に、また、あの官房の男が立っていた。


「十五分です」


 男は腕時計を見ながら言った。

 宇垣が二日がかりで取りつけた面会だった。


 ベッドの上の若い男は点滴の管を腕につけたまま、窓の外を見ていた。

 志賀透。入省六年目。あの夜、ただ一人目を覚ました男だ。


「電地現治安予備室の華園です。 少しだけ、お話を」


 志賀はひどく遅れて、華園の方へ顔を向けた。

 目の焦点が、どこか遠いところで合っている。


「……月が、出てたんです」


 志賀は言った。


「障子の向こうに。 本物じゃないのに、すごく、きれいで」


「その店の名前は」


「翠月。 ……白金の、翠月」


 華園は手帳に書きつけた。


「誰と、ご一緒でしたか」


 志賀の唇が、少し動いた。

 だが、名前は出てこなかった。


「……余興を、勧めてくれた人が、いて。 白髪まじりの、ずっと、にこにこしてる人で」


 志賀は、ぽつりと言った。


「しあわせでした」


 華園の手が止まった。


「生まれて初めてってくらい、しあわせでした。 局長も、課長も、みんな笑ってて。 怖くなかった。 なんにも、怖くなかったんです」


 志賀の目が、華園の手元をさまよった。

 手帳ではなく、その横に置いた華園の端末の画面を、探している。


「……あの、それ」


 志賀の指が、シーツの上で、何かを押すように小さく動いた。


「それ、持ってませんか」


 ドアの外で、官房の男が咳払いをした。


 華園は端末をポケットにしまった。

 志賀の目は、それが消えたポケットのあたりを、いつまでも追っていた。



    華園夏菜子宅

    東京都杉並区

    2023年3月21日 午後8時00分


 祝日の夜だった。


 六畳の部屋の真ん中で、華園は浴衣の上から帯を締め直していた。

 姿見に映る自分に向かって、膝をつき、襖を開ける真似をする。

 両手で、三度に分けて。

 立ち上がるときは、裾を割らない。


 翠月の仲居として、明日の夜、向こう側へ入る。

 手配は宇垣がした。翠月の仲居頭は、内調に古い借りがあるらしい。それ以上は、聞いても答えないだろう。


 机の上の端末が震えた。百田からだった。


『明日、自分は送迎の運転手で入ります。 控えの間で待機します』


「運転手? 似合いそう。 白い手袋とか、ちゃんとしてよね」


『……支給されるそうです』


 華園は、吹き出しかけて、こらえた。


「百田くん。 向こうでは、通信は使わない。 何かあっても、戻ってから話す。 いい?」


『了解』


 通話は、それで切れた。


 向こう側では、顔は変えられない。

 変えられるのは、身につけるものだけだ。

 だから、身につけるものと、身のこなしで、別人になる。


 仲居の着物の色。

 帯の結び方。

 名札の傾き。

 酒を注ぐときの、指の揃え方。

 客の目に入らないための、目の伏せ方。


 部屋の隅のハンガーに、宵闇のリリスの黒い羽根が掛かっていた。

 華園はちらりとそれを見た。


(……衣装で別人になるのは、慣れてる)


 ただ、リリスのときは、誰かを喜ばせるために化けた。

 明日は、誰かをだますために化ける。


 姿見の中の仲居が、深く頭を下げた。



    インター・ヴァーチュア

    コトブキ 白金区画 料亭「翠月」

    ヴァーチュア時間 Cycle-44/17:00

    現実時間 2023年3月22日 午後8時30分

    華園夏菜子 接続中 経過 現実40分/仮想現実1時間20分


 障子の向こうに、月が出ていた。

 満ちも欠けもしない、書き割りのような月だった。

 そのくせ、じんわりと光が滲むような妙な精巧さ……。


 華園にはその月が、先月の出張先で見た、ヘリックス・グリッドの案内役の、整いすぎた顔に重なった。


(不気味の谷ってこれかな?)


 翠月は何事もなかったように営業していた。


 五日前、人が笑ったまま死んだ座敷は、「月の間」という名だった。

 その襖はぴたりと閉ざされ、隣の「雪の間」では、別の接待が始まっていた。


 玄関の脇を通るとき、紺の背広の男が、柱の陰に立っているのが見えた。


 料亭の警備らしい。

 四十前後。


 目尻に、細かい皺が寄っている。

 男の目が、仲居の華園を、上から下まで一度だけなぞった。

 測るような目だった。


 距離と、速さと、次の動きを。

 華園は目を伏せて、通り過ぎた。


(……今の、素人の目じゃない)


 華園は銚子を載せた盆を捧げて、廊下を進んだ。

 藍の着物に、白い前掛け。


 名札は、心持ち右に傾けてある。

 すれ違う本物の仲居のアバターが、華園に軽く会釈して通り過ぎた。


「失礼いたします」


 雪の間の襖を開ける。

 三度に分けて。


 座敷には背広の男が五人いた。

 上座の男は六十近く、ほかの四人はその男の顔色ばかり見ている。

 三味線が鳴っていた。


 華園は膝を進め、上座から順に酒を注いでいった。


 下座で、若い男が、手元の端末の画面を指でつついている。

 画面の隅に、小さな光が浮かんでいた。


 白い、カプセルの形のアイコン。


 若い男が、それに触れた。

 しばらくして、男は笑い出した。何がおかしいのか、本人にもわかっていない笑い方だった。

 上座の男も、つられたように触れて、笑い出す。


 華園は、銚子を傾ける手を止めなかった。


 笑い声が、座敷に満ちていく。

 その形を、華園は知っていた。


 四日前の展示場で、自分もこんなふうに笑っていた。

 撮影の列に囲まれて、リリスの羽根を広げて、心の底から。


 自分のあの笑いは、徹夜で縫った衣装と、列を作ってくれた人たちから、ちゃんと受け取ったものだった。

 この部屋の笑いは、指一本で、買われている。


(……気持ち悪い)


 廊下に出ると、向こうから、背広の男が歩いてきた。


 白髪まじりの、笑顔を貼りつけたような男。

 志賀の言っていた男だと、華園にはすぐにわかった。


 華園は盆を胸の前に引き寄せ、目を伏せて、壁際に寄った。仲居が客に道を譲る、そのままの形で。


 男は華園に目もくれずに通り過ぎた。

 すれ違いざまに、耳元の通信に向かって話す声が聞こえた。


「……ええ、雪の間は今夜も。 月の間は、もうしばらく閉めておきます。 ほとぼりが、冷めるまで」


 華園は盆を持つ指に力をこめた。

 喉元の通信に触れかけて、やめる。


 ここは、向こうの回線だ。


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