↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
電界特捜 電現室-DENGENSHITSU- ―喪失戦線―  作者: 不治痛
case2 ハイ・ソサエティ
10/22

ハイ・ソサエティ/02

    東京都監察医務院

    東京都文京区

    2023年3月18日 午後1時30分


 解剖室の前の廊下は消毒液の匂いがした。


 長椅子の端に、仕立てのいい背広の男が座っていた。

 華園たちが近づくと、男は立ち上がり、名刺も出さずに頭を下げた。


「本省の官房の者です。 本日の立ち会いは、あくまで例外と伺っております」


 丁寧な声だった。

 丁寧すぎて、どこにも引っかかりがなかった。


「ご遺族のご意向もありまして。 ログイン中の、持病の急変ということで、静かに見送って差し上げたいと」


「持病」


 華園が繰り返した。


「三人そろって、同じ夜に?」


 男は、もう一度頭を下げただけだった。


 解剖室の扉が開いた。

 出てきた監察医は四十がらみの女だった。


 早瀬律子と名乗り、手袋を外しながら、官房の男には目もくれずに華園の前に立った。


「電現室の方ですね。 ……ねじ込まれた、と聞きました」


「室長が、ちょっと無理を」


「ちょっと、じゃないでしょう」


 早瀬はほんの少しだけ口の端を上げた。


「それと、頬。 ラメがついてますよ」


 華園は慌てて頬をこすった。

 指先に、夜空の色をした粉が一粒、光った。

 隣で、百田が咳払いをして、壁の掲示に目をそらした。


(……こいつ、車の中から気づいてたな)


 早瀬は手元の紙を見もせずに言った。


「三人とも、同じです」


 華園は手帳を開いた。

 隣で、百田が背筋を伸ばしている。


「脳の太い血管が、破れています。 一人は、心臓の出口の大きな血管が裂けている。 心臓そのものも、年のわりにひどく傷んでいる。 ……血圧が、短い時間に、とんでもない高さまで跳ね上がった体です」


「持病は」


「三人とも、健康診断では問題なし。 いい物を食べて、いい医者に診てもらっている人たちの体ですよ」


 早瀬の声が、少しだけ皮肉になった。

 長椅子の方へは、やはり目を向けなかった。


「こういう体は、見たことがあります。 興奮剤を、浴びるほど摂った人の体です」


「じゃあ」


「何も出ません」


 早瀬はそこで初めて紙をめくった。


「その場でできる薬物の検査は、三人とも陰性。 血液の詳しい数字が出るのは来週ですが、たぶん、そっちも何も出ないでしょう。 体の中には、何も入っていない。 ――入っていないのに、入った体なんです」


 早瀬は少しだけ言葉を選んだ。


「それと、もう一つ。 ……三人とも、笑った顔のまま固まっていました。 苦しんだ跡がない。 あれだけ血管が破れていれば、普通は、ひどい顔になるんですけどね」


 廊下の蛍光灯が、小さく音を立てた。


 華園は、手帳を閉じた。


「……薬は、向こう側にあった」


 早瀬は、否定も肯定もしなかった。


 背後で、官房の男が携帯電話を耳に当てるのが見えた。

 誰に何を報告しているのかは、聞こえなかった。



    電地現治安予備室

    東京都千代田区霞が関 合同庁舎 地下二階

    2023年3月18日 午後3時00分


 宇垣慎はいつもの奥の机で、万年筆の蓋を閉めたところだった。


「亡くなったのが三人。 意識が戻らないのが二人。 一人だけ、今朝、目を覚ました。 面会は、まだ許されていない」


 宇垣の声は天気の話でもするように平らだった。


「どなたです」


 百田が聞いた。


「労働行政の中枢にいる方々だよ。 それ以上は、ここでは言わないでおこう」


「室長」


 華園が、壁の地図の前から振り向いた。


「その方々は、向こう側で何を――」


「華園君」


 宇垣はそれだけで華園の言葉を止めた。


「倒れたのは、都内のホテルの、会員向けのログイン用の部屋だ。 向こう側では、ある店の座敷にいたらしい。 どこの店かは、わからない」


「ログインの機材は」


「ゆうべのうちに、ホテルと、部屋を借りていた会社が点検に回した。 戻ってきたときには、記録はきれいに消えていたそうだ」


 宇垣は、手帳を開いた。


「警察の薬物の担当は、薬物が出ない以上、扱えないと言っている。 厚労の側は、知見がないので静観すると言ってきた。 今のところ、何を取り締まるのかもわからない、というのが実態だ」


 ページをめくる音がした。


「有り体に言えば、表に出ないことを、望まれている。 ――今日の立ち会いも、それなりに無理をした」


 百田は宇垣の万年筆の先を見ていた。

 誰に望まれているのか――聞かなくても、わかる気がした。

 今朝、会場で自分が指さした、あの「上」の、さらに上だ。


 帯広の部隊がなくなると決まったときも、同じだった。誰が決めたのかは、最後まで降りてこなかった。


 命令は、いつも上から来る。上の、さらに上から。

 そして、降りてくる途中で、誰の名前も消えている。


 華園が、腕を組んだ。


「室長。 ついでに聞きますけど、今朝わたしの居場所、どうやって調べたんです」


「何の話かね」


 宇垣は手帳に短く何かを書きつけた。

 華園は百田をにらんだ。百田は壁の配電盤を見ていた。



    2023年3月18日 午後5時00分


 華園は自分の机の端末に、この一か月の記録を並べていた。


 救急の搬送記録。

 ログイン機器のメーカーに届いた事故の報告。

 労働基準監督署に上がった、労災の届け。


 そこから、「強制排出」の文字のあるものだけを拾っていく。


 十一件あった。


 亡くなったのが四人。

 意識が戻らないままなのが三人。


 物流の倉庫。

 道路の工事。

 下水の保守。


 どれも、出先の現場からログインしていた作業員だった。


「……過労による事故、で処理されてる」


「過労」


 百田が、短く繰り返した。

 先月の事件の主任も、過労で死んだ男だった。


「便利な言葉よね」


 華園は、画面から目を離さなかった。


「それで片づけておけば、誰も困らないもの」


 東京、千葉、神奈川。

 日付も場所もばらばらで、届け出た役所もばらばらだった。

 だから、誰もつなげて見ていなかった。


「全員、出先からのログインです」


 後ろから画面をのぞいた百田が、言った。


「携帯型の装置を使う連中ですね」


 華園は十一件と、ゆうべの六人を、一枚の地図に重ねた。


 先月、停電の地図に浮かび上がったのは、一人の男が歩いた跡だった。

 帰りたい場所に、灯りがともっていた。


 今、この地図の点は、どこへもつながっていない。

 誰かが歩いた跡ではなく、誰にも拾われなかった跡だった。


 華園は点の一つ一つに、小さく日付を書き込んでいった。



    三叉電気 川崎試験場

    神奈川県川崎市

    2023年3月19日 午前10時00分


 来栖恭介は日曜の朝だというのに、ワイシャツの袖をまくって機材の山の中にいた。

 鼻歌まじりだった。


「いやぁ、お待ちしてました。 ……と言いたいとこですけど、現物がないんじゃ、僕にはなんとも」


 来栖は、華園が持ってきた検死の写しを、指先でつまむようにめくった。


「入っていないのに、入った体、ねぇ」


「心当たりは」


「ないですよ。 機材も記録も、きれいに消されてるんでしょう?」


 来栖は笑って、今度は華園の地図をのぞき込んだ。

 十一の点と、ゆうべの六人。


「へぇ。 出先の装置ばっかりですねぇ」


 鼻歌が、止まった。


「……そういえば、現場で、効きのいい疲れ止めが回ってるって噂は、聞いたことがありますよ。 噂ですけどね」


「どこで」


「どこだったかなぁ。 この業界、噂だけは安いんで」


 来栖は、作業台の上の部品を指先で転がした。


「噂ついでに、もう一つ。 最近、空自の戦闘機乗りが、民間にごっそり引き抜かれてるって話も聞きますよ。 人の乗る機体を試したい会社は、山ほどありますからねぇ。 ……百田さんのとこにも、そのうち声がかかるかもしれない」


 百田は、壁にもたれたまま聞いていた。


 戦闘機乗り、と聞くと、帯広の空を思い出す。

 演習では、戦闘機はいつも「敵役」で、上から来た。高く、速く、こちらの頭の上を音より先に通り過ぎていく。


 ヘリは、その下を這う。

 向こうは、こちらを空の下の者だと思っている。


 こちらは、向こうのことを、地面を知らない者だと思っている。

 どちらも、半分は当たっていた。


 来栖はまた鼻歌をなぞりはじめた。


「体はね、華園さん。 脳が信じた通りに動くんですよ。 ……それ以上は、物を見てみないと。 コーヒーでも淹れましょうか」


 華園は、もう地図の点に目を戻していた。

 百田だけが、さっき鼻歌が途切れたことに気づいていた。


 百田は、聞かなかった。

 コーヒーを淹れにいく来栖の背中を、しばらく見ていた。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。