第3章:星空の夏祭りと、小さな共犯者
島での生活も三日目を迎え、僕はすっかりこの射豆大島の強烈な日差しと、朝から晩まで鳴りやまない蝉時雨の洗礼に慣れ始めていた。
東京のマンションの防音ガラスに守られた静かな朝とは違い、島の朝はとにかく賑やかだ。ジリジリ、ワシワシというアブラゼミとミンミンゼミの大合唱に加え、遠くの港から出港していく漁船の低いエンジン音が、古い木造家屋の柱を伝って響いてくる。
僕は目を覚ますと、真っ先に枕元に置いた『原色日本昆虫図鑑』を開いた。図鑑の表紙の裏側には、昨日から僕の「秘密の相棒」となった、群青色の半透明の石――自律型惑星探査艦のAIコアであるポラリスが、プラスチックの飾りのようにピタリと張り付いている。
『おはようございます、ユウマ。本日のバイタルサインは正常。睡眠による体力回復率は98%をマークしています。パーツ探索任務の遂行に最適なコンディションです』
僕の頭の中に直接、ポラリスの澄んだ、少し無機質だけれど少年のような声が響いた。
「おはよう、ポラリス。今日も暑くなりそうだね」
『肯定。本日のイズオオシマの最高気温は33度、湿度は75%に達する見込みです。人間の生態システムにおいて、適度な水分と塩分の補給が必須となる過酷な環境です。熱中症の確率を下げるため、水筒の携行を強く推奨します』
「わかってるよ。お母さんみたいなこと言うんだね」
僕が小さく笑うと、ポラリスは『私はユウマのナビゲーターであり、生存確率を最大化する義務を負っています』と真面目なトーンで返してきた。
朝食の席で、正雄おじさんが「今日は波が穏やかだから、昼から太一たちと一緒にトウシキの潮溜まりへ遊びに行くといい。あそこは天然のプールみたいになってて面白いぞ」と教えてくれた。
「潮溜まり! 行きたい!」
「おっ、いい返事だ。夏海、悠真を連れてってやってくれ」
「はーい。じゃあ、午前中はお父さんの畑の手伝いをして、午後から海に行こうか」
夏海の言葉に頷きながら、僕は図鑑を入れたリュックサックを強く握りしめた。ポラリスのレーダーによると、島のあちこちに宇宙船のパーツが散らばっている。まずは午前中の隙を見て、昨日ポラリスが言っていた「西へ800メートルの木造建築物」――つまり、あの小さな神社へ向かう必要があった。
朝食後、夏海と正雄おじさんが裏庭の家庭菜園でトマトやキュウリの収穫をしている隙を突き、僕は「ちょっと虫捕りに行ってくる!」と声をかけて家を飛び出した。
『ユウマ、現在地からの距離、約400メートル。目標地点は昨日遭遇した現地生命体「タイチ」がアイスキャンディーを摂取していたポイントです』
頭の中に響くポラリスのナビゲートに従い、カサカサと乾いた音を立てる未舗装の土の坂道を駆け上がる。太陽の光は容赦なく肌を突き刺し、数分走っただけでTシャツが汗で背中に張り付いた。
やがて、苔むした狛犬が鎮座する小さな神社の鳥居が見えてきた。境内には誰もいない。静まり返った神社の裏手には、立派なご神木である大楠がそびえ立ち、その深い緑の陰が本殿の木造建築をすっぽりと覆い隠していた。
「ポラリス、着いたよ。どこにあるの?」
『スキャン中……反応は地下です。本殿の床下、北西の角、深度20センチの地点に微弱なエネ
ルギーシグナルを確認』
僕は本殿の裏手に回り込み、風通しのために開けられている床下の隙間を覗き込んだ。中は真っ暗で、ツンとしたカビの匂いと、古い木の匂いが混ざり合って漂ってくる。大きな蜘蛛の巣がいくつも張られていて、正直言ってあまり入りたくない場所だった。
「うわあ……虫がいそうだなあ」
『ユウマ、探査艦の推進器の一次コイルがそこにあります。あれがないと、私は地球の引力圏を脱出できません』
ポラリスの切実な声に背中を押され、僕は意を決して四つん這いになり、床下の暗がりへと潜り込んだ。
頭上の床板からは、ギシギシと古い木が軋む音がする。持ってきた懐中電灯のスイッチを入れると、ホコリが光の筋の中で雪のように舞っていた。蜘蛛の巣を木の棒で払いながら、ジリジリと奥へ進む。
『右へ15度。距離あと3メートル』
湿った土を這うように進むと、懐中電灯の光が何かに反射して鋭く光った。
「あった……!」
土に半ば埋もれるようにして落ちていたのは、手のひらサイズの銀色の円柱だった。表面にはポラリスの石と同じような幾何学模様が刻まれ、中央のラインがかすかに青く発光している。
僕は急いでそれを拾い上げ、Tシャツの裾で土を拭った。ずっしりとした重みがあり、ひんやりと冷たい。
『回収を確認。一次コイルの損傷は軽微です。ユウマ、素晴らしい働きです』
「へへっ、任せてよ。これで一つ目だね」
僕はパーツをリュックの奥底にしまい込み、蜘蛛の巣だらけになりながら床下から這い出した。外の眩しい太陽の光を浴びると、自分が映画の主人公になって秘密のミッションをクリアしたような、とてつもない達成感が胸に込み上げてきた。
◆
午後は約束通り、夏海と太一と一緒に島の南端にある「トウシキ」と呼ばれる磯場へ向かった。
そこは、ゴツゴツとした黒い溶岩が海に流れ込んで固まったような地形で、波に削られた岩の隙間に、干潮の時にだけ巨大な潮溜まり(タイドプール)ができる秘密の遊び場だった。
透明度抜群のエメラルドグリーンの水面下には、赤や青のカラフルな小魚が泳ぎ回り、岩陰には大きなカニやヤドカリが身を潜めている。まるで天然の水族館だ。
「ヒャッホー! 今日も水が冷たくて最高だぜ!」
太一が岩場から勢いよく飛び込み、盛大な水しぶきを上げた。僕も水着に着替え、シュノーケルをつけて水に顔をつけた。目の前を横切る青いスズメダイの群れに手を伸ばすと、サッと方向を変えて逃げていく。
「悠真、ウニがいるわよ! 踏まないように気をつけてね」
浮き輪につかまった夏海が、少し離れた場所から声をかけてくれた。
島の子どもたちと一緒に無邪気に遊びながらも、僕の頭の中にはポラリスのナビゲーションが響いていた。
『ユウマ、現在地から南南西へ約30メートル。水深1.5メートルの岩の隙間に、姿勢制御スラスターのノズルパーツが沈んでいます』
ポラリスの声に従い、僕は太一たちがカニ捕りに夢中になっている隙を突いて、少し離れた深い潮溜まりへと移動した。
岩場に張り付いて水底を覗き込むと、確かに黒い海藻に紛れて、銀色に光る小さな三角形の金属パーツが沈んでいるのが見えた。
「あそこか……ちょっと深いな」
僕は大きく息を吸い込み、思い切り水の中へ潜った。水圧で耳がキーンと痛くなるが、構わず手を伸ばす。あと少し。指先が金属の冷たい感触に触れた瞬間、岩の隙間から大きなウツボがヌルリと顔を出し、僕は心臓が止まるかと思うほど驚いた。
口からブクブクと空気が漏れ、パニックになりかけたが、なんとかパーツを掴み取って水面へと急浮上した。
「プハーッ!」
『パーツの回収を確認。ユウマ、心拍数が急上昇しています。生命の危機を感じた場合は直ちに撤退してください』
「だ、大丈夫だよ……ちょっと大きな魚がいただけだから」
息を切らしながらパーツを水着のポケットに押し込み、僕は平然を装って太一たちの元へ泳いで戻った。
これで二つ目。昼間の探検は、遊びと秘密のミッションがスリリングに交差して、僕の心臓を常に高鳴らせていた。
◆
しかし、パーツ探しは順調なことばかりではなかった。
島の中央部に散らばったパーツの多くは、昼間のうちに回収できたが、どうしても夜に行かなければならない場所があった。
『ユウマ、残るパーツはあと二つです。うち一つは、現在位置から南へ1.2キロ。現地の教育施設……「小学校」の敷地内に反応があります。人工の巨大な水槽の底です』
「水槽って……プールのこと?」
『肯定。昼間は多数の人間が存在し、回収行動は極めて高いリスクを伴います。潜入任務は、人間の活動が停止する夜間に行う必要があります』
その夜、僕は布団の中でポラリスの指示を聞きながら、ゴクリと唾を飲み込んだ。
夜の小学校に忍び込むなんて、東京の僕の日常では考えられないような大罪だ。もし見つかったら、正雄おじさんにこっぴどく叱られるどころじゃ済まないだろう。
でも、やらなきゃポラリスは宇宙に帰れない。
僕は時計の針が深夜一時を回るのを待ち、そっと布団を抜け出した。同室で寝ている正雄おじさんの大きないびきが、古い家の静寂を規則正しく破っている。
リュックを背負い、音を立てないように縁側の窓をスッと開けて、庭へ滑り出た。
夜の島は、昼間の明るさからは想像もつかないほど暗く、そして恐ろしかった。街灯は数えるほどしかなく、道の両脇の草むらからは、ジージーという虫の音に混じって、時折カサッと得体の知れない小動物が動く音がする。
懐中電灯の明かりだけを頼りに、ポラリスのナビゲートに従って夜道を歩く。
『現在地より前方200メートルに教育施設を確認。門は施錠されていますが、南側のフェンスに物理的な破損箇所があります。そこから侵入可能です』
ポラリスの言う通り、古びた鉄網のフェンスの一部が破れて人が通れるほどの穴が開いていた。僕はそこから、夜の小学校の敷地内へと足を踏み入れた。
月明かりに照らされた校庭は、まるで海のように広く、そして静まり返っていた。遠くに見える鉄棒やジャングルジムが、奇妙な生き物の骨格のように見える。
心臓の音がうるさいくらいに耳の奥で鳴っていた。
「プールはどこ?」
『校舎の裏側です。直進してください』
忍び足で校舎の横を抜け、プールの金網の前に到着した。フェンスはよじ登れそうな高さだった。僕はリュックを先にプールサイドへ投げ入れ、ガシャン、ガシャンと音を立てないように慎重に金網を乗り越えた。
プールの水面は、夜空の月と星を映して黒々とした鏡のように静まり返っている。
『反応は、プールの中心部、水底です。主動力炉の冷却パイプ。これを回収すれば、残るはメインコアと接続する最後の一つのみとなります』
「わかった。すぐ取ってくる」
僕は靴と靴下を脱ぎ、半ズボンのままプールの冷たい水の中へザブザブと入っていった。生温かい昼間の水とは違い、夜のプールはヒヤリと冷たい。
腰の高さまで水に浸かりながら、懐中電灯の光で水底を照らす。プールの底の中央付近に、青白く光る金属の筒が沈んでいるのが見えた。
「あった!」
僕は潜ってそれを拾い上げ、水しぶきを上げながらプールサイドへと戻った。
「これで三つ目だね、ポラリス!」
達成感で思わず声が出た、その瞬間だった。
「……悠真? あんた、そこで何してるの?」
背後から、信じられないほど冷たく、そして聞き慣れた声が響いた。
心臓が文字通り跳ね上がり、僕は全身の血の気が引くのを感じた。
振り返ると、プールのフェンスの向こう側に、懐中電灯を持った夏海が立っていた。彼女の顔は暗闇の中でも、驚きと怒りでこわばっているのがわかった。
◆
「な、夏海ちゃん……!」
僕は手にした冷却パイプを背中に隠し、震える声で名前を呼んだ。
「おしっこに起きたら悠真がいないから、まさかと思って探してみれば……こんな夜中に、小
学校のプールで何してるの⁉ 危ないじゃない!」
夏海はフェンスの入り口を開け、ツカツカと僕の方へ歩み寄ってきた。その足音は、静かな夜のプールサイドに恐ろしいほど響いた。
「ご、ごめんなさい……あの、落とし物を探しに……」
「落とし物? プールの中に? 嘘だよね。それに、あんたが後ろに隠してるそれ、何?」
夏海は僕の腕をガシッと掴み、背中に隠していた銀色の冷却パイプを引っ張り出した。
「何これ? 金属の筒? まさか、学校の備品を盗もうとしたの⁉」
「違う! 違うんだ! これは……!」
僕は必死に首を振ったが、言い訳の言葉が見つからなかった。宇宙船のパーツだなんて言っても、絶対に信じてもらえるはずがない。大人が知れば軍に回収されるというポラリスの言葉が頭をよぎり、僕は唇を強く噛み締めた。
「悠真、本当のことを言いなさい。言わないなら、今すぐお父さんに……」
『ユウマ、これ以上の隠蔽は不可能です。対象「ナツミ」の心拍数と声帯の緊張度から、論理的な説得が急務と判断します。私が直接コンタクトを取ります』
僕の頭の中にポラリスの声が響いた直後。
僕が足元に置いていたリュックサックの中から、強烈な群青色の光が漏れ出した。
「え……? 何、あの光……?」
夏海が驚いて手を離した隙に、リュックの中からポラリスの石がフワリと宙に浮かび上がった。
青、水色、紫が混ざった幻想的な光がプールサイドを照らし出し、水面がキラキラと反射する。ポラリスは夏海の目の前まで移動し、地球儀のような複雑なホログラムを空間に展開した。
「ひっ……! 幽霊⁉」
夏海は尻餅をつき、後ずさった。
『驚かせて申し訳ありません、地球の生命体「ナツミ」。私は銀河系第3宙域・自律型惑星探査艦ステラ・ホープ号のAIコア、ポラリスです』
無機質で静かな声が、夜の空気を震わせた。
夏海は目を丸くし、口をパクパクとさせている。無理もない。中学生の女の子の目の前で、光る石が空中に浮かんで宇宙人を名乗っているのだ。
「う、宇宙人……? 悠真、これ、どういうこと……?」
僕は夏海の隣にしゃがみ込み、ゆっくりと事情を説明した。
森の奥でポラリスを見つけたこと。宇宙船が壊れて帰れなくなっていること。大人の人に見つかると解体されてしまうから、僕が内緒でパーツを集めていたこと。
ポラリスも、不時着の経緯やパーツの位置を示す立体地図をホログラムで映し出し、僕の言葉を補足してくれた。
全てを聞き終えた夏海は、しばらく呆然と宙に浮かぶポラリスを見つめていた。やがて、彼女は深くため息をつき、両手で顔を覆った。
「……信じられない。でも、目の前で光って浮いてる石を見せられたら、信じるしかないじゃない」
夏海は顔を上げ、僕をまっすぐに見据えた。さっきまでの怒った顔ではなく、少し呆れたような、でもどこか優しい「お姉ちゃん」の顔に戻っていた。
「悠真。あんた、こんなとんでもない秘密を、一人で抱え込んでたの?」
「……うん。大人の人には絶対内緒だって言われたから」
「馬鹿ね。私は大人じゃないわよ。中学生よ。それに……」
夏海は立ち上がり、僕の濡れた頭をポンと軽く叩いた。
「一人で夜の学校に忍び込むなんて、危険すぎるわ。もしプールに落ちて溺れたらどうするつもりだったの? 宇宙人を助ける前に、あんたが死んじゃうわよ」
「ごめんなさい……」
「謝らなくていいわ。でも、これからは私も手伝う。お姉ちゃんだからね。こんなワクワクするような大冒険、悠真一人に独り占めさせるわけにはいかないでしょ?」
夏海がニカッと笑ってウインクした瞬間、僕の肩から重い荷物がフッと降りたような気がした。
一人じゃない。頼りになるお姉ちゃんが、最強の味方(共犯者)になってくれたのだ。
『対象ナツミの協力を歓迎します。ミッションの成功確率が大幅に上昇しました』
ポラリスのホログラムも嬉しそうにチカチカと明滅し、僕たちは夜のプールサイドで、三人だけの固い秘密の同盟を結んだ。
◆
それから数日間、僕と夏海は完璧なコンビネーションでパーツ集めを進めた。
昼間は太一と一緒に遊びながら、ポラリスのナビゲートを頼りに自然にポイントへ近づき、夏海が見張りをして僕がパーツを回収する。夜の探索が必要な場所は、夏海が「星の観察に行く」と正雄おじさんに嘘をついて、二人で自転車を飛ばして向かった。
ポラリスの冷却装置、スラスターの予備回路、通信アンテナの部品。一つ、また一つとパーツが集まるにつれ、僕の部屋の押し入れの中には、SF映画の小道具のような銀色や青色に光る部品が山のように積まれていった。
そして、あっという間に島のお盆がやってきた。
この時期の射豆大島は、一年で一番の盛り上がりを見せる。お盆に合わせて帰省してくる島外の人々で港は溢れ返り、夜には島最大のイベントである「夏祭り」が開催されるからだ。
夕方、浴衣に着替えた夏海は、髪を後ろで綺麗にまとめ、少しだけ大人びて見えた。僕も正雄おじさんのお下がりの甚平を着せてもらい、太一と待ち合わせている神社の境内へと向かった。
「おっ! 悠真、甚平似合ってるじゃねーか!」
太一は相変わらずのランニングシャツ姿だったが、首からはお小遣いが入ったがま口の財布をぶら下げていた。
境内に向かう参道には、赤や白の提灯がズラリと吊るされ、柔らかな光が石畳を照らしている。焼きそばのソースが焦げる匂い、甘い綿あめの匂い、そして島特産のイカ焼きの香ばしい匂いが潮風に乗って鼻をくすぐり、僕の胃袋を強烈に刺激した。
「すっごい人だね!」
「だろ? 島中の人間がここに集まってるんだ。ほら、早く行こうぜ。たこ焼き屋が混む前に!」
ドンドン、カカッ、ドン!
境内の中心に組まれた櫓の上で、ハッピを着た大人たちが勇壮な盆踊りの太鼓を叩き始めた。その音はお腹の底までズンズンと響き、お祭りの熱気を一気に最高潮へと押し上げる。
僕たちは、りんご飴をかじり、射的でプラスチックのピストルを撃ち、金魚すくいのポイを破っては笑い合った。東京のお祭りよりずっと規模は小さいけれど、島の人たち全員が顔見知りで、あちこちから「おう、悠真坊主! 東京から来たんだってな、これおまけだ!」と声をかけられるのが嬉しかった。
でも、僕の心の中には、ずっと消えない小さな緊張感が張り付いていた。
甚平の懐に忍ばせた昆虫図鑑の中で、ポラリスが静かに待機している。
『ユウマ、ナツミ。残るパーツはあと一つ。メインエンジンを起動するためのイグニッション・コアのみです』
お祭りの騒音の中、僕と夏海の頭の中にポラリスの声が響く。
「最後のパーツはどこにあるの?」
僕は綿あめを食べるふりをしながら、頭の中でポラリスに問いかけた。
『現在地から東へ約2キロ。この島で最も標高の高い地点......シハラ山の8合目付近の森の中に、強いシグナルを確認しています』
四原山。島の中央にそびえ立つ、あの大山だ。
「四原山か……夜の山は危ないわね。でも、今夜なら好都合かもしれない」
隣を歩く夏海が、小声で呟いた。
「どうして?」
「もうすぐ、お祭りのフィナーレで打ち上げ花火が上がるのよ。島中の人が港の空に夢中になる。その隙を突けば、誰にも見つからずに山へ入れるわ」
お祭りの光と音の陰で、僕たちだけの最大のミッションが始まろうとしていた。
◆
午後八時。
ドーンッ! という腹の底を揺らすような爆発音と共に、夜空に巨大な光の華が咲いた。赤、緑、金色に輝く火花が、射豆大島の真っ暗な海を鏡のように明るく照らし出す。観客たちから「おおーっ!」という歓声と拍手が沸き起こった。
「太一! 私たち、花火のよく見える防波堤の方に行ってみるね!」
夏海が太一にそう嘘をつき、僕の腕を引いて人混みの中を駆け出した。
提灯の明かりが届かない裏道に入り、僕たちは四原山の登山口へと急いだ。
夜の山は、小学校のプールとは比べ物にならないほど深く、重い闇に包まれていた。木々が風に揺れてザワザワと不気味な音を立て、遠くでフクロウの「ホー、ホー」という鳴き声が響く。
懐中電灯の細い光だけを頼りに、舗装されていない急な獣道を登っていく。甚平の裾から覗く足に、鋭い草の葉がこすれてチクチクと痛んだ。
「悠真、大丈夫? 怖くない?」
前を歩く夏海が振り返り、僕に向かって右手を差し出した。
「う、うん。大丈夫」
僕は強がりながらも、夏海の温かく、少し汗ばんだ手をギュッと握りしめた。彼女の体温が伝わってくるだけで、暗闇の恐怖が少しだけ和らいだ。
「お姉ちゃんに任せなさい。ここら辺は昼間何度も来たことがあるから、道はわかってるわ」
夏海の手を引かれながら、僕は東京にいる本当のお母さんのことを少しだけ思い出した。もうすぐ生まれる僕の妹(か弟)にとって、僕はこんな風に手を引いて、安心させてあげられる「お兄ちゃん」になれるだろうか。
『現在地から前方50メートル。シグナルが最大値に達しました。巨大な岩の裏側です』
ポラリスのナビゲートが響き、僕たちは息を切らしながら、苔むした巨大な岩石の裏手へと回り込んだ。
そこは、周囲を鬱蒼とした木々に囲まれた小さな窪地になっていた。窪地の中心に、今まで集めたパーツとは比べ物にならないほど強い、脈打つような群青色の光を放つ物体が落ちていた。
「あれだ……!」
僕は駆け寄り、両手でその物体を掬い上げた。
それは、銀色のリングが幾重にも組み合わさった、複雑な球体のパーツだった。リングの中心で、青白い光がまるで小さな星のように激しく燃えている。これがメインエンジンを動かすイグニッション・コア。
『回収を確認。これで、ステラ・ホープ号の修復に必要なパーツは全て揃いました』
ポラリスの声には、AIでありながら、明確な「安堵」と「喜び」の感情が混ざっているように聞こえた。
「やった……! やったね、ポラリス! 夏海ちゃん!」
僕はイグニッション・コアを高く掲げ、夏海とハイタッチをした。
「よく頑張ったね、悠真。これでポラリスも、自分のお星さまに帰れるね」
夏海が優しく微笑み、僕の頭を撫でてくれた。
◆
パーツをリュックに厳重にしまい込み、僕たちは窪地から少し開けた岩場へと移動した。
眼下には、射豆大島の夜景が一望できた。港の周辺だけが提灯の明かりで赤く染まり、そこから漆黒の海に向かって、次々と巨大な花火が打ち上がっている。
ドーン、パラパラパラ。
山の上から見る花火は、下から見上げるのとは違い、自分と同じ目線で光の花が爆発しているように見えて、圧倒的な迫力があった。
僕たちは岩の上に腰掛け、並んで花火を見つめた。甚平の裾を揺らす夜の山風が、汗ばんだ体に心地よく冷たかった。
図鑑の中から、ポラリスの石がフワリと浮かび上がり、僕たちの目の前でホログラムを展開した。
『ユウマ、ナツミ。あなたたちの多大なる協力に、ステラ・ホープ号を代表して深く感謝を意を表します。明日、パーツを機体に組み込み、修復シーケンスを実行します。早ければ、明後日の夜には離陸軌道に乗ることが可能です』
「明後日……そっか。もう帰っちゃうんだね」
ミッションをクリアした達成感の裏側で、僕の胸の奥に冷たい水滴が落ちたような、急激な寂しさが込み上げてきた。
しゃべる図鑑として、僕の頭の中でいつも的確な指示を出してくれたポラリス。この数日間の冒険は、間違いなく僕の人生で一番特別で、ワクワクする時間だった。
『ユウマ。地球の感情表現データベースを参照すると、あなたのバイタルサインは「悲哀」または「寂寥」を示しています。私はあなたを不快にさせましたか?』
ポラリスのホログラムが少し傾き、不思議そうに尋ねてくる。
「ううん、違うよ。ただ……ポラリスがいなくなっちゃうのが、寂しいだけ。僕たち、友達でしょ?」
『トモダチ……。異なる生命体同士の、非論理的で強力な相互依存関係。……はい。私はユウマとナツミの「トモダチ」です。このデータは、私のメインメモリの最重要領域に永久保存されます』
ポラリスの青い光が、花火の光と混ざり合ってキラキラと揺れた。
「ふふっ。宇宙人の友達ができるなんて、最高におかしな夏休みだね」
夏海が笑いながら、僕の肩に頭をコテンと乗せてきた。お姉ちゃんのシャンプーの甘い香りがした。
「うん。最高の夏休みだ」
ドーンッ!
ひときわ大きな黄金色のしだれ柳の花火が夜空を埋め尽くし、僕たちの顔を明るく照らし出した。
すべてのパーツが揃い、ポラリスが宇宙へ帰る準備は整った。
しかし、僕たちはこの時まだ知らなかった。
南の遠い海上で、ポラリスの離陸を脅かす、そしてこの美しい射豆大島を飲み込むほどの「記録的な大型台風」が、静かに、そして凶暴に渦を巻き始めていることを。
星空と花火の陰で、海風が生ぬるく、不気味に湿り気を帯び始めていた。




