第2章 海賊
『オリビア』第2部 海の向こうの帝国編
第2章 海賊
海へ出てからも、ミズーリの中では時間が動いていました。
朝になれば調理担当の聖霊が食事を作り、当直が交代します。艦橋では現在位置と天候が確認され、機関区画では状態の報告が続きます。
実体のある乗客が5人しかいないとは思えないほど、艦内では人の動きと声が続いています。
通路を淡い緑色の乗員が歩き、勤務へ向かう者と勤務を終えた者がすれ違います。顔も髪もない半透明の姿で、制服を着て、普通に挨拶をします。
「おはようございます」
「おはよう」
返事をすると、敬礼する者もいれば、軽く手を上げる者もいました。
ミズーリの聖霊たちは感情も豊かです。
表情の代わりに、声の調子、首の傾け方、肩の動き、手振りへ感情が出るので、何を考えているのかかなり分かります。
チャトラたちも数日で慣れ始めました。
*
海の上でも、オリビアには情報を聞ける相手がいました。
相手は植物プランクトンです。
水中を漂う微小な生物のうち、光を受けて光合成をするものをまとめて植物プランクトンと呼びます。海水一滴の中に入るほど小さなものも大量におり、珪藻もその代表的な一群です。珪藻は単細胞の微小な生物で、水中を漂いながら光合成をします。
この世界には、魔力を通じて周囲の個体と情報をつなげる植物プランクトンがいます。一つ一つが陸上の木や草と同じように物を見るのではなく、水へ伝わる振動、船体が進むことで変わる流れ、船底から伝わる音、水中へ落ちる物や排水といった情報を広い範囲で拾い、それをつなぎ合わせます。
オリビアは航海中、ときどき海へ意識を向けていました。
だから、その船がこちらから見えるようになる前から、複数の船が近づいていることは分かっていました。
「三隻いる」
艦橋でオリビアが言いました。
見張りの聖霊も、すぐに報告します。
「右舷前方に帆船三隻。こちらへ針路を向けています」
双眼鏡を使うと、三隻とも帆船でした。
こちらにいるのは、帆を一本も持たず、煙突から煙を出して進む巨大な灰色の船が一隻だけです。
相手の側から見れば、かなり奇妙な船に見えるはずです。帆を失った船なのか、火災を起こしているのか、何かの事故で煙を出しているのか。海上から見ている限り、遠くからでも近づいてからでも、スクリューは水面下にあり、機関は船体の内部にあるので見えません。外から分かるのは、帆が一本もない巨大な灰色の船が煙突から煙を出しながら、自力で海を進んでいることだけです。護衛の船も見当たりません。
「海賊でしょうか」
ベラミラ先生が聞きました。
「たぶん」
オリビアは海へ意識を向けたまま答えました。
三隻の周囲にいる植物プランクトンから、船内の様子を拾っていきます。
捕まっている人、縛られている人、別の船から攫われてきた人がいないかを確かめました。
確認できた乗員は、こちらを襲おうとしている海賊だけでした。捕虜や拉致された被害者は一人もいません。
オリビアは海賊や盗賊に容赦しません。ここで逃がせば、次に出会った商船や漁船が襲われます。人質がいないことまで確定した以上、海賊船を残して次の被害へ回すつもりはありませんでした。
「人質はいないよ。さらわれた人も乗ってない」
オリビアが言うと、ベラミラ先生がうなずきました。
「それなら、対応を間違えずに済みますね」
海賊は、どこの国でも死罪です。
捕まればどうなるかは、海賊自身が一番よく知っています。
だから、逃げ道を失った海賊が簡単に降伏するとは限りません。
三隻はそのまま少しずつ距離を詰めてきます。
*
海の上に、突然、大きな声が響きました。
『そこの船! 速力を落とせ! 抵抗するな! 降伏して全員甲板へ出ろ!』
チャトラが振り返りました。
「どこからですか?」
「あの船からです」
ベラミラ先生が一隻を指しました。
人間の叫び声が届く距離をはるかに超えています。空気そのものを魔法で振動させ、話者の声を大きくして海上へ送っているのです。
タマが聞きました。
「これ、人間でもできますよね?」
「決まった音を出すだけならできます」
ベラミラ先生は、魔法式の仕組みから順に説明しました。
「魔法式を暗記して、その式の通りに空気を振動させる。それなら人間でもできる人はいます。決められた高さの音を出す、決められた調子で空気を震わせる、その程度なら、式そのものを完全に理解していなくても再現できます」
「でも、今のは違うんですか?」
ミミが聞きました。
「違います。今の声は、相手がその場で話した内容を、そのまま大きな音にして送っています。『速力を落とせ』『抵抗するな』『全員甲板へ出ろ』と、状況に合わせて言葉が変わりました」
ベラミラ先生は海賊船を見たまま続けます。
「声は、言葉が変われば空気の振動も毎瞬変わります。その変化を魔法へ載せ続けるには、暗記した一つの式を動かすだけでは足りません。何を変えれば声の波形がどう変わるかを理解して、その場で魔法式を扱う必要があります」
チャトラが海賊船を見ました。
「じゃあ、エルフがいるんですか」
「少なくとも一人、エルフがいます。今しゃべっている術者がそうです。人間が暗記した式を動かしているだけでは、あのように言葉を変え続けながら声を増幅できません」
その程度の音響魔法はオリビアには簡単です。同じように空気へ魔力をかけ、自分の声が海面を越えて三隻へ届くようにします。
『降伏はしませんよ。あなた方はどうしますか?』
今度は、海賊船側が静かになりました。
自分たちだけが一方的に声を届かせられると思っていたのかもしれません。
しばらくして三隻が動きましたが、離れる方向ではなく、砲を使える位置へ出ようとしています。
「戦闘準備に入っています」
艦橋の聖霊が報告しました。
オリビアはうなずきました。
「こちらも準備をお願いしていい? 三隻とも見てもらえる?」
「了解しました」
*
ミズーリは三隻の帆船よりはるかに速く、優速を使えば戦う位置そのものをこちらで選べます。艦橋では針路と速力が調整され、ミズーリ自身が三隻との位置関係を作っていきます。
「右舷側へ三目標をまとめます」
「そのままお願い」
「三隻とも、ほぼ右舷正横です。距離だけ少しずつ違います」
三基ある16インチ三連装砲塔が動き始め、第1砲塔は一隻目、第2砲塔は二隻目、第3砲塔は三隻目を受け持ちます。各砲塔の三本の砲身が、それぞれ担当する海賊船を追いました。
三基の16インチ三連装砲塔だけが、それぞれ一隻ずつ海賊船を追っています。
海賊船の砲ではミズーリの舷側装甲を簡単には抜けなくても、艦橋の窓、測距儀、レーダー、アンテナ、そのほか露出している各種の機器へ砲弾や破片が当たれば壊れます。装甲が厚いことは、棒立ちで撃たれてよい理由にはなりません。
オリビアは、相手が撃つ前から三隻全部へ照準を合わせさせました。
「主砲、弾種は?」
「16インチ榴弾。地上攻撃用榴弾を装填しています」
「一隻に三発ずつ?」
「各砲塔三門、各目標へ一斉射できます」
「まだ撃たずに待ってもらえる?」
「了解」
距離はおよそ2kmまで縮まりました。
海賊側の砲もこちらを向いています。
2km離れた動く船へ砲弾を当てるには、砲弾が飛ぶ時間を見込んで、数秒後にミズーリがいる未来位置へ照準を置く必要があります。
海賊側の砲手もそれを知っており、砲口はミズーリそのものではなく、進行方向の少し先を向いています。
「ちゃんと見越しを取っています」
砲術担当の聖霊が言いました。
「素人じゃないね」
オリビアは答えました。
海賊側が見越しを取れることと、同じ条件で撃ち合えることは別です。ミズーリは相手よりはるかに速く、自分で針路と速力を選べます。三隻をどこに置くか、どの角度から撃たせるかも、ある程度はこちらで決められます。
海賊船の砲口が火を噴きました。
「敵、発砲!」
艦橋に声が飛びました。
「Stand By」
砲術担当の聖霊から短い号令が流れます。
「第1目標、On Target」
「第2目標、On Target」
「第3目標、On Target」
オリビアはチャトラたちを振り返りました。
「耳を押さえて」
4人が両手で耳を塞いだのを確認しました。
「Shoot.」
射撃指揮側で発射キーが閉じられます。
「Fire.」
*
一瞬、ミズーリ全体が爆音と火炎に包まれたように見えました。
九門の16インチ砲が、ほとんど同時に火を噴きます。
艦橋の中にいても、音というより圧力が体へぶつかりました。
窓の向こうが白くなり、その中へ橙色の火炎が広がります。巨大な砲口から噴き出した炎と煙が前後の砲塔を包み、海面まで押しつけるように広がりました。
ミズーリを包んだ爆音と火炎はすぐに収まり、煙が流れていく向こうには砲塔も艦橋もそのまま残っています。巨大な船体は速度を保ったまま海を進み、その直後、2kmほど先で別の変化が起きました。
三隻の海賊船が、ほとんど同時にバラバラになりました。
各船へ向かった三発の16インチ榴弾が船体とその周囲へ届くと、炎が海から船を突き上げるように広がり、甲板が裂け、船腹が砕けます。帆柱は索具や帆ごと破片の中へ消え、船首と船尾が別々の方向へ飛び、中央部は火炎の中で粉砕されました。
さっきまで船の形をしていたものが、海から上がった炎によって粉砕されるように、一気に砕け散りました。
その間にも、海賊船が先に撃った砲弾は飛んできています。
海面には大きな水柱が次々に上がりました。海賊側はミズーリの未来位置を狙っていましたが、照準を取っている間にもミズーリは速力と針路を調整しています。砲弾は、撃った時点で海賊側が予測した位置へ落ち、巨大な船体を外れて海へ突き刺さりました。
チャトラたちは耳を押さえたまま、海賊船があった場所を見ています。
そして数秒してから、別の爆音が届きました。
遠くの海面から複数の轟音が重なって遅れて押し寄せてきました。榴弾の炸裂音です。
2km先では砲弾の着弾と炸裂を先に目で見ており、その音だけが海の上を数秒遅れて戻ってきました。
ミミが、しばらく海を見たあとで言いました。
「……スケッチする前になくなっちゃった」
タマも同じ場所を見ています。
「あれ、売れたよね」
チャトラが二人を見ました。
「そこなんですか?」
「だって船三隻だよ」
「もう三隻ともないですけど」
「だから残念なんだよ」
オリビアは海へ意識を向けました。
戦闘前に人質がいないことを教えてくれた植物プランクトンが、今度は海面と水中の状態を伝えてきます。
植物プランクトンが返してきたのは、爆発の圧力波と飛び散った破片が海面と海中を通り過ぎたあと、生きて動いている人間も、助けを求める反応も残っていないという情報でした。
救助活動を行う対象は残っていませんでした。
「生きてる人はいないって」
オリビアが言いました。
ベラミラ先生は海を見たまま、静かにうなずきました。
オリビアは艦橋の聖霊へ向き直ります。
「予定の航路へ戻してもらえる?」
「了解しました。原針路へ復帰します」
淡い緑色の聖霊が手を上げ、別の乗員へ指示を送ります。
「原針路へ。速力、航海速力」
「原針路、了解」
ミズーリはゆっくり針路を戻しました。
後ろの海には、さっきまで三隻の海賊船がいました。その三隻が次の商船や漁船を襲う可能性は、ここで消えました。
チャトラたちが望んでいた冒険は、始まっていました。
そしてミズーリは、海の向こうの帝国へ向けて再び進み始めました。
チャトラたち3人とも施設で育っていますがいろいろあって盗賊や海賊がとても嫌いです。




