第94章 オリビアは更新された歴史教科書を開きます。
第94章 オリビアは更新された歴史教科書を開きます
博物館と科学館での話し合いが終わるころには、外はすっかり夕方になっていました。
エンシェントエルフ侯爵は、タウンハウスの馬車を呼んでくれました。
「ホテルまで送らせます」
「ありがとうございます。歩けない距離ではないですけど、今日はずいぶん動きました」
「陛下にとっては、朝から科学館へ行っただけのはずだったのでしょう?」
「そのつもりでした」
2人とも少し笑いました。
科学館で展示を見て、疑問を持ち、資料室へ行き、ユグドラシルへ聞き、侯爵を訪ね、命令書を見つけ、博物館と科学館へ持ち込み、治安当局まで動きました。
朝の予定は科学館を見学することだけでした。そこから先は、全部その場でつながっていった出来事です。
馬車へ乗る前、侯爵は今日作った文書の控えを手にしていました。
そこで、今日の事件とはまるで違うことを思い出したように言います。
「それと、陛下。次に首都へいらっしゃるときは、たまには東の大国首都にあるエルフ王国の女王用離宮も使ってくださいね」
「女王用の離宮?」
「はい。王様専用の離宮です。今は陛下のための施設ですね」
オリビアは、そんな施設が首都に用意されているとは知りませんでした。
「使ってる人はいるんですか?」
「陛下以外は使いません。整備をするときと家具を更新するとき以外は、500年くらいほとんど無人ですよ」
「500年も?」
「建物にはハイエルフ侯爵が保存魔法を掛けていますから大丈夫です。歴史的建造物ですが、状態は新品同様です。家具は時々入れ替えています」
500年近く実質的に誰も泊まっていないのに、建物は新品同様で家具だけ更新され続けている。
今日だけでも十分にエルフの時間感覚を見た気がしていたオリビアは、首都にそんな現役施設まで残っていると知って、少しだけ笑いました。
「今回はチャトラたちとホテルに泊まっているので、このままでいいです。また来たときに使います」
「ぜひ使ってください。使う人が陛下しかいないのに、その陛下が使わないと、本当に整備と家具交換だけの建物になってしまいますから」
朝から続いていた重い話が、別れ際になってようやく少し緩みました。
侯爵は文書の控えを軽く持ち上げます。
「経過が楽しみですね 陛下」
「はい。私も気になります」
オリビアは侯爵と別れ、馬車へ乗りました。
首都の通りには夕方の人通りが戻っています。
商店の前では買い物帰りの人が荷物を抱え、飲食店では夜の準備が始まり、街灯にも少しずつ明かりが入っています。
そのどこかで、治安当局はもう動き始めているはずです。
オリビアは窓の外を見ながら、科学館で最初に見た地質図を思い出しました。
今日は科学の発達を見に行ったはずでした。
ところが最後には、科学が発達しなかった理由の1つを掘り当てています。
◇ ◇ ◇
ホテルの玄関で馬車を降りると、ちょうど中からチャトラたちが出てきました。
「あ、オリビア」
チャトラが先に気づきます。
「夕食もうすぐだよ。呼びに行こうと思ってた」
「ちょうど戻ったところ」
3人とも昼間より荷物が増えていました。
チャトラは紙包みを抱えています。タマは小さな箱を2つ持ち、ミミのバッグも朝より膨らんでいます。
「買ったね」
「買った」
チャトラが笑いました。
「自分のお金で、これ買った」
見せてくれたのは、普段使いできそうな服と小さな道具類でした。値段の高さより、自分が欲しいと思ったものを自分のお金で選べたことが、3人にはうれしいようでした。
「あとで見せてね」
「うん。オリビアは科学館どうだった?」
「面白かったよ。思ったよりずっと長くなったけど」
チャトラはそれで納得したように頷きました。3人の今日の話は買い物ですし、オリビアの今日の話は科学館です。詳しい話は急がず、4人は一緒に部屋へ戻りました。
◇ ◇ ◇
部屋では、すでに夕食の準備が始まっていました。
この宿は夜になると部屋へ料理が運ばれます。最初の夜にも、各地から集められた食材が小さな器へ少しずつ盛られ、内陸の首都なのに国中の食べ物が1つの膳へ集まっていることへ驚きました。
今日も卓上へ、温かい汁物、焼いた肉、煮た野菜、果物が小さな器に分けて並べられていきます。皿が増えていくのを見ながら、オリビアはバッグを置きました。
オリビアは、3人が買ってきたものを卓上の空いているところへ並べている間に、収納から『東の国の歴史』を取り出しました。
日本史だった本です。
神様と最初に話したとき、「日本史は?」と聞くと、「向こうの歴史を扱う本になります」と言われました。世界史もこちらの世界史になり、帝国書院の地図帳もこちらの地図帳へ変わり、数研の物理、化学、生物、地学も、この世界に存在する自然現象へ合わせて内容が変わっています。
そして王位を継いだとき、神様は言いました。
『君が暮らして、その結果が世界へ反映されるんだ』
今日、オリビアは人間の歴史から消されていた事件の証拠を、人間側の博物館と科学館へ渡しました。
もし、あの言葉どおりなら。
オリビアは索引を開き、今日の科学者たちが生きていた時代を探しました。
ありました。
昨日まで見たときにはなかった項目です。
魔力研究史の欄が増えています。
オリビアは声を出さずにページを追いました。
科学者たちの死因は、もうペストになっていません。
当時の教会による殺害と書かれています。
しかも、今日オリビアと侯爵が確認できた内容より詳しい。
事件が起きた年、村を閉鎖した日、教会幹部が命令を出した経緯、現地寺院が対象者を村内へ留めた方法、火を掛けた場所、殺害された研究者と住民、研究記録と実験器具を集めた場所、焼却の順序、そして後世の伝記で「ペストによる死亡」と整理されるまでの過程まで載っています。
オリビアは同じ箇所をもう1度読みました。
今日、人間側で確定したのは、署名入りの命令書と実施報告が存在し、教会が研究者を殺害して研究資料を焼いたというところまでです。
教科書には、その先まであります。
何でも先回りして秘密を暴く本なら、最初から載っていたはずです。
けれど、昨日までは載っていなかった。
人間側の歴史から消えていた間は、教科書にも出てこなかった事件が、今日、証拠とともに人間の歴史へ戻ったことで、より正確な形へ整理されて載っています。
オリビアは本を開いたまま、しばらく動きませんでした。
少し離れたところでは、チャトラたちが買ってきた服や小物を見せ合っています。夕食の器も次々と並べられていました。そのいつもの旅先の空気の中で、オリビアだけが静かにページを追います。
科学者たちの研究成果そのものは、数研の教科書の中で、研究が途切れず続いた場合の科学として以前から先まで進んでいました。
それでも、現実の歴史で誰が殺され、誰が研究を焼いたのかという隠された事件は、人間側の歴史に戻るまで載らなかった。
今日、博物館と科学館が証拠を受け取り、治安当局が捜査へ動いた。
その結果が、もう本へ反映されています。
オリビアは王位を継いだときの神様の言葉を思い出しました。
『君が暮らして、その結果が世界へ反映されるんだ』
「……本当に反映されるんだ」
聞こえないくらいの声でつぶやきました。
発掘品の年代や用途について、教科書の方が博物館より少し先まで確定していたことはあります。今回も、起きた出来事そのものが人間の歴史として認識されたあと、その内容が高校の歴史教科書としてさらに正確に整理されたのでしょう。
オリビアはページを閉じ、教科書を収納へ戻しました。
「オリビア、ご飯できたよ」
タマに呼ばれて顔を上げます。
「うん。今行く」
卓上へ戻ると、夕食ではチャトラたちが昼間に回った店の話を始めました。3人がそれぞれ何を選び、どの店で迷ったのかを聞きながら、オリビアは温かい汁物を飲みます。
朝、4人で同じ食堂を出たあと、それぞれ別の1日を過ごしました。
今はまた同じ部屋で、同じ夕食を食べています。
◇ ◇ ◇
その夜、オリビアたちがホテルで夕食を終えたあとも、東の大国の捜査は止まりませんでした。
中央の大寺院が封鎖されたのは、その日の夜でした。
大寺院の正門前へ陸軍警察部隊が到着したとき、夜の礼拝を終えた信者がまだ周辺に残っていました。部隊は門の外へ規制線を張り、司祭も一般の信者も、そこから先へ入れないようにします。
最初に出てきた司祭は、命令書を差し出した係官を見下ろすように立ちました。
「ここが何の場所か理解しているのか」
「理解しています。証拠保全のため、中央大寺院および関連施設への立ち入りを停止します」
「世俗の役人が、我々の書庫へ手を入れる権限などない」
「あります。こちらが令状です」
係官は文書を開き、対象施設を示しました。
司祭は読もうともせず、声を強くしました。
「神聖な場所だぞ。兵を下がらせろ。まず責任者がこちらへ来て説明するのが順序だ」
「私が現場責任者です。説明は今しました」
「その態度を改めなさい」
司祭は、命令する側の口調を崩しません。
大寺院では長い間、その口調で人を従わせてきたのでしょう。今夜、門前に立っている陸軍警察部隊は、国家の命令で証拠を確保するために来ています。
「再度申し上げます。今夜から、司祭を含むすべての者の立ち入りを停止します。必要な私物の受け取りは、確認後にこちらが対応します。書庫、事務施設、保管庫、宿舎内の業務文書は押収対象です」
「拒否する」
「拒否は受理しました。執行します」
門の前に立った司祭たちは動こうとしませんでした。
部隊は数人ずつ分かれ、押し合いにならないよう腕を取って門の外へ移します。大声で抗議する者もいましたが、隊員たちは武器に手をかけず、そのまま規制線の外まで移動させました。
一般の信者には、今夜は入れないことと、礼拝施設の閉鎖が捜査上の措置であることだけが伝えられます。
そのあと、書庫の扉が開かれました。
係官は、問題の事件に関係しそうな文書だけをその場で選び始めませんでした。
棚ごとに番号を付け、箱へ封印をし、台帳を作ります。書簡、会計簿、地方寺院との往復文書、会議記録、人事記録、古い命令書、写本、保管目録まで、関連施設にある文書をまとめて根こそぎ運び出します。
何が重要かは、あとで専門家を交えて調べればよい。
今夜の仕事は、消えないよう全部押さえることです。
◇ ◇ ◇
事件現場になった地方の寺院へ部隊が着いたのは、明け方でした。
中央大寺院より遠いため、夜のうちに出発しても到着まで時間がかかります。
空が白み始めるころ、寺院の門が閉鎖されました。
こちらでも司祭が強く反発しました。
「200年前の話で、なぜ今ここを閉じる」
「200年前の事件に関する記録が、この寺院から中央へ送られていることが確認されています。現地記録を保全します」
「当時の者は全員死んでいる」
「現在の保管記録を確認するための捜査です」
「寺院の文書は寺院のものだ」
「押収記録を残します。返還対象になるものは手続き後に返還されます」
係官は会話をそこで終えました。
書庫が開けられ、古い帳簿と書簡箱が運び出されます。
運び出された文書の中には、村を閉鎖した日、火を掛けた日、「感染者」として処理した人数、中央から受け取った命令、当時の司祭が書いた報告、その後に記録をどう整理したかを示す目録が含まれている可能性があります。何が残っているかは、これから1点ずつ確認されます。
ただ、200年前に燃えた研究資料とは別に、燃やした側の記録が残っている可能性があります。
夜から明け方にかけて、中央と現場の両方で文書が国家の管理下へ移されました。
1人の高校生だった少女が科学館で感じた小さな違和感から始まった調査は、同じ日のうちに国の捜査へ変わっていました。
◇ ◇ ◇
中央大寺院と事件現場の寺院から運び出された箱には、これから何日も、何か月もかけて調べる量の文書が入っています。
誰が当時の命令を知っていたのか。誰が後世に「ペスト死」という記録を引き継ぎ、誰が真実を知りながら隠したのか。それは、これから人間の側が自分たちの資料で調べていくことになります。
そのころ、ホテルの部屋では4人とも眠っていました。
オリビアの収納の中には、日本史だった『東の国の歴史』があります。
その本の死因欄は、教会による殺害へ変わっています。焚書が行われた場所も方法も含め、人間の歴史として記されていました。




