第93章 オリビアは消された科学史を人間の歴史へ戻します。
第93章 オリビアは消された科学史を人間の歴史へ戻します
科学館へ戻るころには、午後もかなり進んでいました。
午前中にオリビアの質問へ答えた学芸員は、エンシェントエルフ侯爵まで一緒に戻ってきたのを見て驚きました。
「先ほどの件で、確認できたことがあります。研究担当の先生と館長さんにも見ていただけますか?」
オリビアがそう頼むと、すぐに別室が用意されました。
集まったのは、その分野を研究している教授、魔力研究史を担当する学芸員、科学館の館長です。国立博物館からも、近代史と宗教史を扱う学芸員が呼ばれました。
机の上へ、侯爵とオリビアの連名文書が置かれます。
続いて、教会幹部の署名が入った命令書の写し、地方寺院からの実施報告、関連する防疫命令、当時の研究者名と日付を照合した一覧が順に机へ並べられました。
教授は最初の数枚を読んだところで、姿勢を変えました。研究者たちの名前が並ぶ箇所へ紙片を挟み、科学館側の人物目録を取り寄せます。
「原本はどちらにありますか?」
「私のタウンハウスで保管しています」
侯爵が答えます。
「この写しは、原本から今日作成したものです。必要であれば原本も確認していただけます。入手した時期と保管箱も記録していますので、そちらもお見せできます」
学芸員は命令書の署名を見比べました。紙の大きさ、筆記材、印章の位置、教会内部で使われていた役職名まで確認し、博物館から持ってきた同時代文書の写真と並べます。
「この書式は当時の中央教会文書と一致しています。署名と印章は原本確認が必要ですが、年代、役職、用語の使い方に後世の形式が混じっている様子はありません」
地方寺院からの返書も、中央側の命令書と日付がつながっています。命令が出たあとに村が閉鎖され、その後に処置完了の報告が戻っている。別の防疫記録に残るペスト流行の日付とも重なります。
教授は何度か資料を往復し、最後に科学館の展示年表を机へ広げました。
「人物の没年だけを見れば、ペスト流行で説明できます。研究が止まったことも、これまでは疫病と研究環境の悪化で説明してきました。けれど、この命令書が真正なら意味が変わります」
指先が、研究年表の途切れた部分をなぞります。
「研究者が亡くなっただけなら、残された実験記録を別の人が読むことができます。装置が残れば、再現を試すこともできます。今回は、その両方を意図して消す命令が出ています」
博物館側の学芸員も、地方寺院からの報告書へ目を通します。
「現行の伝記では、全員がペスト死です。しかも、この年にペストが流行していたこと自体は別資料でも確認できます」
「そこが利用されたのだと思います」
オリビアは言いました。
「村を閉鎖して、感染防止のために燃やした。その中へ研究者と研究資料を入れれば、後世からはペストで亡くなったように見えます」
教授は科学館の展示資料を横へ置きました。
「研究の途切れ方も説明できますね」
それまで科学館では、初期研究が行われたあと、次世代へ十分つながらなかったことを「疫病による研究者の死亡」「研究資金の不足」「当時の魔法学との対立」など複数の理由で説明していました。
今回の資料が正しければ、そこへ意図的な殺害と焚書が加わります。
しかも、中心になった研究者たちが同時期に失われ、記録や実験器具まで処分されています。
「この事件がなければ、現在の科学がどこまで進んでいたかは分かりません」
教授は慎重に言いました。
「別の歴史を観測することはできませんから。ただ、この規模で研究者と資料をまとめて失えば、発展が遅れた可能性は十分にあります。少なくとも、研究の継承に大きな損失が出たことは間違いありません」
オリビアはその言葉を聞きながら、収納にある数研の物理と生物図表を思い出しました。
自分だけは、別の枝に相当する科学を知っています。それでも、この場では侯爵家から出てきた同時代資料と、科学館・博物館に残る人間側の記録を根拠に話を進めます。それだけで十分に大きな事件でした。
◇ ◇ ◇
館長はすぐに治安当局へ連絡を入れました。
連絡からそれほど時間を置かず、複数の係官が科学館へ到着します。
侯爵の身分と、オリビアの女王としての署名があるからといって、それだけで資料を事実と決めつけることはしません。係官は教授と学芸員へ、文書の年代、内容、筆跡、印章、既存史料との一致について1つずつ確認しました。
教授は科学史としての意味を説明します。
博物館の学芸員は、ペスト流行の記録と人物伝の一致を示します。
侯爵は資料を入手した経緯を説明します。
オリビアは科学館で疑問を持ったところから、ユグドラシルへ確認し、侯爵家の資料へ到達した経緯を話しました。
係官は侯爵家資料の来歴をもう1度確認し、教授へ向き直りました。
「現段階で、歴史資料として捜査の根拠にできるだけの信頼性がありますか」
「あります。最終的な真贋判定には原本調査が要ります。ただ、既存資料と照合した範囲で、今夜のうちに証拠保全を行うべき理由は十分です」
博物館の学芸員も同意しました。
「中央側と現地側の文書が残っているなら、双方を同時に押さえる必要があります。片方へ照会した時点で、もう片方へ連絡が行く可能性があります」
館長は黙って頷きました。
係官はそこで結論を出しました。
「証拠保全を優先します」
短い言葉でしたが、その場にいた全員が意味を理解しました。
捜査対象は約200年前の殺害に加え、その後の記録管理へも広がります。現在まで「ペスト死」という歴史が維持されている以上、後世のどこかで事情を知りながら隠匿した者がいる可能性があります。教会内部に文書が残っていれば、誰が何を引き継いだかまで追えるかもしれません。
教会へ任意で照会し、返事を待っている間に資料を処分されれば取り返せません。
係官はその場で必要な連絡を始めました。
東の大国の動きは速い。
日が落ちる前には、陸軍の警察部隊へ命令が回っていました。




