第92章 オリビアは侯爵の書庫で教会の命令書を見つけます。
第92章 オリビアは侯爵の書庫で教会の命令書を見つけます
エンシェントエルフ侯爵のタウンハウスは、首都の中心部から少し離れた静かな一角にありました。
門前で名を告げると、使用人は一瞬だけ目を見開きました。
オリビアは人間社会では通称のオリビアを使っていますが、侯爵家では女王としての身分も知られています。しかも、エルフ国の女王が首都へ来ているという公式な知らせは出ていません。
案内された応接室へ入ると、侯爵はすでに待っていました。
「陛下。首都へいらしていたのですね」
「はい。今回は友達と旅行です。あまり大げさにしたくなくて」
侯爵は少しだけ考えて、それ以上は聞きませんでした。
「承知しました。秘密の調査をなさっている可能性もありますから、こちらから所在を広めることはいたしません」
オリビアは一瞬だけ返事に迷いました。侯爵には秘密調査のように見えているらしいのですが、今回の事件に気づいたのは今日、科学館へ入ってからです。それでも、結果として今は所在を広めない方が都合のよい話になっていました。
「ありがとうございます。まず、さっきの件を詳しく聞かせてください」
「もちろんです」
侯爵は向かいの椅子へ座り、卓上へ古い手帳を置きました。
◇ ◇ ◇
植物通信で聞いた内容を、今度は1つずつ確認していきます。
事件が起きた年と村の場所、当時そこにいた研究者、ペストが広がり始めた時期、教会が現地へ人を送った時期、村の出入りが止められた日、火が掛けられた日まで、侯爵の記憶には細かく残っていました。
それでも、オリビアは記憶だけに頼らず尋ねます。
「この日付は、当時の記録でも確認できますか?」
「できます。教会とは昔からトラブルが多かったので、私は教会側の資料をかなり集めています」
「教会側の?」
「はい。私たちエルフは、彼らが言う神を認めていません。向こうから見れば、それだけで気に入らない存在でしょう。こちらとしても、何を命じ、どこへ人を送り、何を禁止したのかを知っておく必要がありました」
教会が薬品や治療を独占していた時代には、さらに摩擦が多かったと侯爵は言いました。
エルフには回復魔法や治癒魔法を使えるハイエルフがいます。教会側の治療へ頼る必要が薄く、教会の権威もそのまま受け入れません。
「救世主についても、当時を生きていた者がいますからね」
侯爵は淡々と話しました。
「何百年もあとにまとめられた話を、実際にその時代を知る者へ向かって絶対の真実として説いても、あまり意味はありません。そういうところでも、たびたび揉めました」
だから侯爵は、教会の布告、書簡、命令書、地方寺院からの報告書をこまめに集めていました。
「書庫に残っています。見ますか?」
「お願いします」
応接室から続く廊下を通り、侯爵はオリビアを小さな書庫へ案内しました。
棚には年代別に束ねられた文書箱が並んでいます。長命種が管理する書庫だけあって、分類が何世代もの担当者によって変わることもありません。
「この辺りです」
侯爵が1つの箱を取り出しました。
中には、当時の教会から出た文書の写しや、地方から届いた報告書がまとまっています。
オリビアは机へ運び、順に開きました。
◇ ◇ ◇
最初に出てきたのは、防疫に関する一般命令です。
内容は、感染が疑われる家を閉鎖し、死者の遺体を焼き、寝具や衣類を処分し、鼠が多い家では建物内を徹底的に処理するというものでした。現代の知識で見れば荒っぽい方法もありますが、ペストの拡大を止めようとした意図は分かります。
次の文書では、事件が起きた地域が指定されていました。
さらにその次。
オリビアの手が止まりました。
「これ……」
侯爵が横から見ます。
「それです」
上部には当時の教会幹部の名前が並び、末尾には複数の署名があります。
命令の対象には、科学館で今日見た研究者たちの名前が入っていました。
命令書には、研究者を村外へ出さず、研究に使った器具を回収し、文書、実験記録、書簡を残さず、感染防止措置の名目で処分するよう記されていました。
別紙には、さらに直接的な指示があります。
対象者を生かして村外へ出してはならない。
研究に関する文書は焼却する。
研究機材も再利用できないよう処分する。
オリビアは最後の署名を見ました。
「明確ですね」
「はい」
「文面そのものが、研究者を殺し、研究資料を焼くよう命じていますね」
「はい。目的が明記されています」
侯爵の声は静かでした。
命令を出した幹部たちは、もう誰も生きていません。
ただ、文書そのものは残っています。
さらに箱を調べると、地方寺院からの返書もありました。
地方寺院からの返書には、村を閉鎖し、外へ出ようとした住民を戻し、研究機材を集め、建物へ火を回して処置を完了したことが、日付入りで記されていました。
オリビアが科学館で見た没年と一致しました。
「これなら、誰が、いつ、どこで、何をしたかまで分かりますね」
「分かります」
侯爵は少し間を置きました。
「私は当時、ここまでの文書を集めていました。それでも人間側の取締組織がいずれ動くだろうと思っていました」
「動かなかった」
「ええ。そして、今の伝記ではペストで亡くなったことになっている」
侯爵はそこを重く見ていました。
「当時、私が介入しなかった判断と、誤った歴史が今まで残っていることは別の問題です。誤った歴史が伝われば、同じ誤りを繰り返す恐れがあります」
「私もそう思います」
オリビアは即答しました。
数研の教科書には、この研究が途切れず続いた場合の科学が載っています。
この世界の人には、その別の枝を見ることはできません。
だから「この事件がなければ必ずここまで進んだ」と証明することはできない。
それでも、研究者を殺し、研究資料と機材まで焼けば、研究の発展が遅れる可能性が高いことくらいは分かります。
「人間側へ戻した方がいいですね。この歴史」
「はい」
◇ ◇ ◇
侯爵とオリビアは応接室へ戻り、提出用の文書を作りました。
文書には、侯爵家に保存されていた資料の来歴、事件が起きた年と場所、被害を受けた研究者、教会の命令系統、署名付き命令書の存在、地方寺院からの実施報告、現在の伝記では死因がペストとされていることまでを書き込みました。原本は侯爵家で保管し、博物館と科学館へは精密な写しを添えることも明記します。
文面を整えたあと、エンシェントエルフ侯爵が署名します。
その隣へ、オリビアもエルフ国女王として署名しました。
「これでよろしいでしょう」
「はい」
侯爵は文書をもう1度確認し、写しの束を揃えました。
「では、これを持って行きましょう」
侯爵も立ち上がりました。
2人はまず科学館へ戻り、そのあと国立博物館へ向かうことにしました。




