第73章 オリビアは帝国の食堂の話をします。
ベラミラ先生と受付のお姉さん
第73章 オリビアは帝国の食堂の話をします
北の国から戻ったオリビアは、しらかば亭へは向かわず、そのまま丘の上町の冒険者ギルドへ入りました。
丘の上町の外れまで戻ると、オリビアはBell 505を降ろしました。ローターが止まるのを待って収納し、そこからは歩いて町へ入ります。
朝から北の国へ行き、港町を歩き回り、昼食も食べ損ねています。帰ってきたらまず何か食べてもよさそうなところですが、オリビアはその前にギルドへ寄ることにしました。
「先生、今日いるかな」
北の租借地で見た町のことも、食堂のことも、誰かに話したい気分でした。
夕方にはまだ少し早く、依頼から戻ってきた冒険者と、これから出る人が入り交じっています。カウンターの向こうでは受付のお姉さんが何人かの書類を順番に片づけていました。
奥のテーブルには、見慣れたつばのある帽子が置いてあります。ベラミラ先生です。今日は魔法関係の確認があったらしく、ロッドを横へ置いて紙を読んでいました。
「あ、先生」
オリビアが声をかけると、ベラミラ先生が顔を上げました。
「お帰りなさい。今日はずいぶん遠くまで行っていたんでしょう?」
「北の国まで行ってきました。前に行かなかった方の租借地も見てきました」
「それで、どうでした?」
空いていた椅子を引いたところで、近くにいたチャトラが振り向きました。タマとミミも一緒です。3人は別のテーブルで飲み物を前にしていましたが、オリビアが北の国へ行ったと聞いて、そのまま椅子ごと少し近くへ寄ってきました。
「町は、かなり壊れてました。城壁の中でも、ほとんど無事なところの隣が崩れてたりして。帝国の総督府みたいな建物は、建物そのものがなくなってました」
「戦争の跡がまだ残っているんですね」
「はい。直してる人もいっぱいいました。北の国の人たちが石を積み直したり、屋根を直したりしてました」
ベラミラ先生は読みかけの紙を伏せました。チャトラたちも、もう自分たちの話を続ける気はないようです。
オリビアは、町へ入るところから話し始めました。皇帝が滞在しているため門の警備が厳しかったこと。古くから帝国人が住んでいる区域は、建物も看板も海の向こうの帝国の雰囲気が強かったこと。戦争で壊れた建物がまだらに残っていたこと。町を歩いているうちに昼を過ぎ、食事のできる店を探したこと。
「普通の食堂が見つからなかったんです」
「戦争で閉まったまま?」
タマが聞きました。
「それもあるみたい。でも、市場とか仕入れの方もまだ戻ってなくて。今は港の近くに大きな共同食堂が二つあって、町の人はだいたいそこで食べてるみたいでした」
「二つ?」
「こっちの大陸の人用と、海の向こうの大陸の人用」
ミミが耳を少し傾けます。
「料理が違うの?」
「肉の種類とか、処理の仕方とか、調理器具の扱いまで宗教上の決まりが違うみたい。だから厨房を二つにするのは、見てて分かりました」
ベラミラ先生がうなずきました。
「大量に作るなら、最初から分けた方が事故も少ないでしょうね」
「私もそう思ったんです。それで魚介類ならどっちにもあったから、せっかくだし海の向こう側の食堂へ入ってみようと思って」
そこでオリビアは、入口で警備員に止められたところまで話しました。
「何を食べるか聞かれたんですか?」
「聞かれてません」
「宗教は?」
「それも聞かれてないです」
ベラミラ先生が少し眉を上げました。
「では、何を聞かれたんです?」
「住所です。『住所はどこ?』って」
チャトラが首をかしげます。
「食堂で?」
「うん。だから『今は東の大国です』って答えたら、隣の建物を指して、そっちへ行ってくださいって」
「え、でもオリビア、魚食べるつもりだったんでしょ?」
「そう。魚介類は両方に出てた」
タマが少し考えてから言いました。
「じゃあ、料理の決まりで分けたんじゃないの?」
「厨房を分ける理由はそうみたい。でも入口で人を分けてたのは、住んでるところでした」
ベラミラ先生はすぐには何も言いませんでした。話を一度頭の中で並べ直すように、オリビアを見ています。
「あなた自身の信仰や、食べられないものを確認することもなく?」
「はい。住所だけ」
「それで海の向こう側の施設には入れなかった」
「そうです」
チャトラが、テーブルの上のコップを両手で持ったまま言いました。
「帝国って、そういう国なんだね」
誰かを責めるような強い調子ではなく、聞いた話をそのまま自分の中へ入れたような声でした。
ミミも少し不思議そうな顔をしています。
「東の大国に住んでるだけで、食べる場所まで変わるんだ」
「私はそれが嫌だったんですよね。肉の扱いを分けるなら分かるんです。私が何を食べる人なのかを聞いて、その料理はこっちです、ならまだ分かる。でも、何を食べるかも聞かずに住所だけだったから」
「それは気分が悪いでしょうね」
ベラミラ先生が言いました。
「はい。かなり」
ベラミラ先生は、オリビアが話した順番を崩さずに確かめました。
「最初から、二つの建物に入れる人を大陸別に決めていたんですね」
「表示はそうでした。でも説明を読むと、食べ物の方は宗教上の扱いが違うって書いてあったから、私は最初、それで建物を分けてるんだと思ったんです」
「そこまでは不自然じゃないですね」
「はい。肉なんて、処理の仕方まで違ったら厨房を一緒にする方が大変だと思います」
「それで魚介類を選んだ」
「そうです。魚ならどっちにも出てたし、私はどちらの宗教でもないし、食べられないものでもなかったから」
ミミがそこで口を挟みました。
「じゃあ、警備の人に『魚を食べたい』って言えば入れたのかな」
「そこまで話す前に住所を聞かれたんですよ。『東の大国です』って答えたところで、向こうへって」
「食べ物の話をする前に決まっちゃったんだ」
「うん」
チャトラは、まだ少し納得できない顔で二つの建物を頭の中に思い浮かべているようでした。
「海の向こうの人が、こっちの食堂に行きたいって言ったらどうなるのかな」
「分からない。私が見たのは自分のときだけだから」
「そっか」
オリビアは、見ていないことまで決めつけて話しませんでした。自分がされたことだけなら、かなりはっきりしています。
「南の国の租借地では、普通に食堂へ入れたんですよ。あっちは古い帝国風の店でしたけど、住所なんて聞かれなかったし」
「同じ帝国の租借地でも、運用が違うんですね」
ベラミラ先生はそう言ってから、少しだけ考えました。
「でも、今回あなたが嫌だったのは、帝国料理だったとか、宗教の決まりがあったとか、そういうことじゃないんでしょう?」
「はい。住んでる場所で最初から分けられたことです」
「なら、そのまま話せば十分ですね」
オリビアはうなずきました。
オリビアはそこで水を一口飲みました。
「それで帰ってきたの?」
チャトラが聞きました。
「うん。ご飯も食べずに帰ってきた」
「お腹すいてない?」
「すいてる」
「じゃあ、あとで何か食べようよ」
「そうする」
話がそこで終わりそうになったとき、カウンターの方から受付のお姉さんが歩いてきました。
「オリビアさん、ちょっといいですか?」
「はい」
「さっきから帝国の租借地のお話が聞こえていたんですけど、何かあったんですか?」
受付のお姉さんは、普段からギルド内の様子を見ています。依頼人と冒険者が揉めていないか、酔った人が騒いでいないか、持ち込まれた魔物素材に危険なものが混ざっていないか。大声で聞き耳を立てていたわけではなくても、「帝国」「租借地」「食堂から入れなかった」という言葉が何度も出れば気づきます。
「北の国の租借地へ行ったら、食堂で住所を聞かれて、東の大国に住んでるって答えたら海の向こう側の食堂から追い出されたんです」
オリビアは、さっきベラミラ先生たちへ話した内容を、今度は少し短くして説明しました。それでも、厨房を分ける宗教上の理由と、入口で実際に聞かれたのが住所だけだったことは省きませんでした。
受付のお姉さんの顔つきが、途中から仕事のときのものに変わりました。
受付のお姉さんは、紙へ書く前にもう一度いくつか確認しました。
「場所は、北の国の港にある帝国租借地。その中の共同食堂ですね」
「はい」
「建物は二つ。宗教上の食事規則に合わせて厨房を分けている説明があった」
「そうです」
「オリビアさんが利用しようとしたのは、海の向こうの大陸出身者向けの方」
「魚介類があったから、そっちを見てみようと思って」
「入口で住所を聞かれた。東の大国と答えたら、隣の建物へ行くよう言われた。宗教や食べられないものは聞かれていない」
「その通りです」
「警備員に暴力を受けたとか、拘束されたとかは?」
「ないです。入れないって言われただけ」
「オリビアさんから何か要求は?」
「してません。もういいやって帰りました」
受付のお姉さんはそこで筆を止めました。
「分かりました。では、余計な評価は書かずに事実だけ上げます」
「お願いします」
横で聞いていたベラミラ先生が、少し笑います。
「受付さん、その方がいいでしょうね。『差別だった』という言葉だけが先に行くより、何を聞かれて、どう扱われたのかをそのまま伝えた方が分かりやすいです」
「私もそう思います」
受付のお姉さんは書き始めました。
オリビアは、その紙に自分が港を出る直前のことが書かれないのを黙って見ていました。聞かれていないので話しません。食堂で起きた出来事の記録なら、それで足ります。
「警備員の人は、オリビアさんが東の大国に住んでいると聞いて、利用する建物を変えたんですね」
「はい」
「その場で何か揉めました?」
「揉めてません。面倒になったから出ました」
「怪我をした人は?」
「いません」
「分かりました」
受付のお姉さんは一度カウンターへ戻り、記録用の紙を持ってきました。
「これ、ギルドの記録に残します。外国の租借地で、こちらに居住している冒険者が住所を理由に施設利用を断られたという話なので、上にも回しますね」
「どうぞ」
オリビアは気にする様子もなく答えました。
ベラミラ先生が横から確認します。
「オリビアさん、食堂を出たあとのことは?」
「そのあと、帰ってきました」
それだけでした。
港で何をしたか、どんな魔法式を使ったか、何を対象にしたか。オリビアは一言も話しませんでした。
受付のお姉さんも、そこを追及しません。いま記録しているのは食堂で受けた扱いの方です。
話が終わると、チャトラがさっそく別の話を始めました。
「ねえ、今日の夜、学校行く?」
「今日は行かない。お腹すいたし」
「じゃあ何食べる?」
「魚介類」
オリビアが即答すると、ミミが笑いました。
「まだ食べてないもんね」
「そう。今日は絶対食べる」
ベラミラ先生も笑いながら、伏せていた紙をまた手元へ戻しました。
「遠くまで行って、お昼を食べ損ねただけにならなくてよかったですね。少なくとも、話の種はたくさんできたでしょう」
「できましたけど、もう少し普通の社会科見学がよかったです」
ギルドの中は、そのままいつもの夕方へ戻りました。
受付のお姉さんの手元には、北の国の帝国租借地で起きた出来事を記した紙だけが残りました。
その紙は、数日かけてギルドの上部へ送られ、さらに東の大国の中枢へ回されることになります。
そのころ北の国の港では、オリビアが話さなかった別の出来事が、まだ続いていました。




