第70章 オリビアは北の国の租界を見に行きます。
第70章 オリビアは北の国の租界を見に行きます
翌朝、オリビアは朝食を食べながら、地図を思い浮かべていました。
「そういえば、北の国の租界って、まだ行ってなかったな」
前に租界を見に行こうと思ったときは、約50kmで着く南の国を選びました。北の国の租界がある港町は、国境を越えてからもかなり先にあります。
「今日は、そっちへ行ってみようかな」
しらかば亭を出るとTALONを出し、北へ向かいました。
山脈には、少し前までなかった大きな切り通しがあります。オリビアがコンコルドを召喚して直したところです。山の下の方を南北へまっすぐ抜ける広い道を、TALONでそのまま走り抜けました。
北の国側へ出ると、国境のイミグレーションへ寄ります。
「観光です」
冒険者カードを出すと、係員が本人確認をして、出入国の記録を付けました。
手続きが終わって北の国へ入ります。
ここから租界のある港町までは、およそ200kmです。
「200kmかあ。TALONだと、ちょっと遠いな」
国境施設から少し離れたところでTALONを収納し、代わりにBell 505を出しました。
5人乗りの単発タービン・ヘリコプターです。
オリビアは前世でヘリコプターのPPLを取っています。学校の休みを何回か使って訓練を受け、そのときに使った機体がBell 505とRobinson R66でした。
Bell 505は訓練以外でも操縦したことがあります。留学先の学校が関わっていた魚類などの研究・管理施設へ実習に行ったとき、現地でBell 505を操縦させてもらいました。
機内へ入り、一通り確認してからエンジンを始動します。ローターの回転が安定するまで待ち、低く浮かせて機体の状態を確かめました。
「これも使っておこう」
自分と機体にかかる重力の有効値を少し下げ、重力の向きもほんの少しだけ進行方向へ傾けます。
ローター回転数そのものはほとんど変わりません。それでも、同じ飛び方をするのに必要なコレクティブが浅くなり、トルク表示も下がりました。エンジンが普段より楽をしているのは、Bell 505を何度も操縦したことがあるオリビアにはすぐ分かります。
「うん。ちゃんと軽くなってる」
この世界にはGPSがなく、飛行中に航法を助ける地上施設もありません。そこで海岸線まで出て、そのまま海沿いを北へたどることにしました。
「海を右に見ていれば、迷いにくいよね」
ときどき地図と地形を見比べながら飛び続けます。
約1時間半後、前方の海岸に大きな港が見えてきました。
「あれかな」
近づくと、沖に大きな帆船が4隻います。
以前、東の大国へ来た戦列艦よりも船体が細く、見た目からして速力を重視した船です。帆装を見ると、シップ型とバーク型が混じっています。
「4隻……。戦列艦とはずいぶん形が違うね」
その周囲では、3本マストの貨物スクーナーが港へ入ったり、沖へ出たりしていました。4隻のクルーザーは動いていません。
「スクーナーは普通に出入りしてる」
港の少し手前に、人のいない草地がありました。
Bell 505を降ろし、エンジンとローターが止まるのを待って収納します。そこから飛行魔法で町の近くまで行き、入口の手前へ降りました。
町は、砦がそのまま大きな市街地へ育ったような形をしています。海に面した石造りの城壁が続き、出入りできる場所も限られていました。
門の警備は厳しく、入る人は一人ずつ身分を確認されていました。
「身分証をお願いします」
「はい」
オリビアは冒険者カードを渡しました。
係員はカードと本人を見比べ、記録を確認してから返します。
「今日は警備が厳しいんですね」
「皇帝陛下がご滞在中ですので」
「え、皇帝が来てるんですか」
「はい」
「そうなんですね」
それ以上は聞かず、そのまま門を通りました。
皇帝は、海の向こうの帝国へ戻るため、この港で出港に向いた風を待っていました。オリビアは、その皇帝が自分との面会を望んでいることを知りません。
門を抜けてしばらく歩くと、町の中でも雰囲気が変わってきました。
北の国の租界です。
北の国で租界として残ったのは、もともと帝国が賃料を払って借りていた区域です。戦後の条約でその賃料が無償になり、期間が1000年へ変更されています。
そのため、建物も商店も看板の文字も、以前から海の向こうの帝国のものが多く残っています。通りを一本越えただけで急に別の国へ入ったような感じがしました。
「ジブラルタルに入ったときみたい」
前世で訪れたときの感覚が戻ってきます。
ジブラルタルは1713年のユトレヒト条約でイギリスへ割譲され、期限は定められていませんでした。
「こっちは1000年かあ。長いけど、永久よりはまだましかな」
そこから、スペインのセウタも思い出しました。モロッコ側にある小さなスペイン領で、前世では大勢の人が一度に境界を越えようとする映像をニュースで何度か見ています。
(ああいうのが何度も続いたら、維持する方も大変そうだったな)
高校生だったころ、ニュースを見ながらそう思ったことがあります。
町そのものの形は、ジブラルタルよりドブロブニクに近く見えました。石造りの城壁の内側へ市街地が詰まり、細い通りの先に海が見えます。高い建物の間から帆柱がのぞき、坂や階段もありました。
石造りの町並みの途中には、戦争の傷があちこちに残っています。
何軒も続けてほとんど無傷のところがあったかと思うと、その先では屋根と上階を失った建物がまとまっていました。高い塔がそのまま残っているところもあれば、少し低い塔が途中から崩れているところもあります。
「ずいぶん、ばらばらに当たってるなあ」
教会も同じでした。壁や屋根が大きく壊れた教会がある一方で、別の教会ではステンドグラスが一枚も割れていないように見えます。
「こっちは残ってるのに、すぐ近くはあんなに壊れてる」
帆走艦から撃ち込まれた砲弾の着弾はまだらで、大きく壊れた場所の間に無傷に近い建物が残っています。
この租界は、北の国がいったん取り戻しました。それをきっかけに海の向こうの帝国との戦争になり、帝国は沖から砲撃し、陸戦隊を入れて租界を再び占領しています。
壊れた建物では、北の国の人たちが修復を続けていました。壁を積み直しているところも、屋根を直しているところもあります。
「自分たちで直してるんだ……」
さらに歩くと、周囲とは壊れ方の違う大きな跡地が見えてきました。
基礎と石材、焼けたレンガが大量に残り、建物として使える部分はほとんどありません。
「うわ。これは派手にやったね」
ここには、帝国が租界を管理するための行政建築がありました。租界ができたあとに帝国が自国様式で建てた、総督府に相当する建物です。
北の国が租界を取り戻したとき、この建物は破壊され、そのうえ火が入りました。
オリビアは焼けた跡を少し見回しました。
「これ、中の書類も一緒に燃えてるよね」
土地や建物の権利関係、賃料、倉庫や港湾施設の利用記録、税や契約の数字。現地で更新していたものまで失われていれば、あとから正確に戻すのは面倒です。帝国側に写しが残っているものは照合できても、現地にしかなかった記録は戻りません。
南の国の租界にも似た行政建築がありました。あちらは南の国が一時的に租界を取り戻したときも壊さず、市役所の別館として使われていたようです。
「南の方はそのまま使ったのに、こっちは建物ごと焼いちゃったのか」
しばらく跡地を見てから、また通りへ戻りました。
朝から移動してきたので、そろそろ何か食べたくなっています。
「この辺、食堂あるかな」
今度は建物より看板を見るようにしながら、港の方へ歩いていきました。




