第69章 皇帝はオリビアと面会したいと思いました。
第69章 皇帝はオリビアと面会したいと思いました
海の向こうの帝国では、南の国の租界港から届いた報告が、皇帝のところまで上がっていました。
少し前、その租界港では爆弾テロが発生しています。食堂の外壁や周辺には大きな損傷が出て、窓ガラスも割れました。その食堂には帝国軍のかなり高い地位にいる軍人が偶然客として居合わせ、爆発前から一部始終を自分の目で見ていました。事件後、その軍人は関係者を集めて、自分が確認した事実を時系列に沿って整理しています。その内容が報告書になって皇帝のところまで届きました。
報告書には、現場で確認された内容が次のようにまとめられていました。
《爆発前、このエルフの女性は1人で食事をしていた。店員との会話も普通の内容だった。
爆発が発生した。建物が揺れ、窓ガラスが破損した。外壁と周辺には大きな損傷が出ている。一方、店内への飛散物による人的被害は極めて小さかった。
本人の説明では、町へ入った時点から防御魔法を常時使用し、この店へ入ってからは、その範囲を内壁の内側全体へ広げていた。外壁は防御範囲の外にある。
爆発後、店外で重傷者1名を確認した。爆発時、食堂側の歩道を歩いており、身体へ多数のガラス片、木片、金属片が刺さり、出血も多かった。
このエルフは、治療を始める前に本人へ意思を確認した。本人は治療を希望した。
その後、3分前を基準とする洗浄魔法を使用し、本人以外の異物を身体から除去した。続いて、神経、血管、筋肉その他の内部組織の接続を回復させ、脂肪層と皮膚を復元した。現在、女性の身体に爆発による刺創は確認できない。》
さらに調査を進めると、そのエルフが名乗った名前と身分は、周辺国へ送られていた即位の書簡や外交記録とも一致しました。南の国の租界港へ一人で食事に来ていたエルフは、約二百年ぶりに人間社会へ姿を現したエルフ国の女王でした。
東の大国へ送った帝国海軍は、これまで三度とも退けられています。そして、その東の大国の旧ヘタレ国だった地域に、これほどの魔法を使えるエルフの女王が暮らしていることが分かりました。
皇帝は、この二つが本当に無関係なのか気になっていました。
東の大国そのものについても、実際に切り通しを通り、丘の下町まで来てみると、事前に得ていた情報では分からなかったことがいくつもありました。そこへ、約二百年ぶりに現れたエルフの女王まで暮らしているとなれば、海軍が三度退けられたことに何らかの関係があるのか、一度本人に会って確かめてみたいと思いました。
南の国側の記録を調べると、さらに手掛かりが出てきました。イミグレーションには、オリビアというエルフが冒険者カードを使って正規に出入国した履歴があります。租界の治安部隊からは、長い金髪や服装など、本人の容姿についての報告も届いていました。
冒険者カードの履歴を追うと、丘の上町の冒険者ギルドを利用している可能性が高くなります。しかも、そのギルドへ出入りするエルフは一人だけでした。
そこで皇帝側は、丘の上町の冒険者ギルドへ係官を一人行かせました。本人を見つけたら、皇帝が面会を希望していることを伝えるためです。
係官はギルドの中で待ち続けました。
冒険者ギルドは、人の出入りが途切れません。受付へ来る人、掲示板を見る人、仕事から戻る人、食事や酒を楽しむ人がいて、視線を配る範囲は入口から受付、掲示板、飲食スペースまで広がります。係官は広い範囲へ視線を動かし、ときどき若い女性の姿も確認しながら、報告にあったエルフを探していました。
*
そのころ、オリビアとチャトラ、ミミ、タマは、しらかば亭を出て冒険者ギルドへ向かっていました。
4人とも、今日の仕事の基本報酬はすでに受け取っています。ただし、最終的な精算は夕刻以降になっていました。
オリビアは、丘の下町で割り当てられた清掃範囲を大きく越えて作業しています。チャトラたち3人も、警備補助の途中でペンキをかぶり、上司の判断で仕事を切り上げていました。途中で終わった分をどう扱うか、業務中の事故への追加がどうなるかを、改めて精算する必要があります。
4人がギルドへ入っても、待っていた係官はまだオリビアに気づきませんでした。探さなければならない範囲が広く、ちょうど別の方へ視線を向けています。
受付のお姉さんの方が先にオリビアたちを見つけました。4人がカウンターへ近づくと、受付のお姉さんは少し声を落とします。
「オリビアさん、ちょっと気をつけてください。さっきから怪しい人がいるんです」
「怪しい人?」
教えられた方を見ると、見慣れないおじさんがギルドの中に立っています。何かを探すように周囲を見回し、ときどき若い女の子の方をじろじろ見ています。
オリビアの中では、かなり早く結論が出ました。
(変態だ)
日本で女子校へ通う高校生だった感覚は、今もそのまま残っています。受付のお姉さんから先に怪しい人だと教えられ、そのうえ知らないおじさんが女の子の方を何度も見ています。オリビアは近づかずに済ませることにしました。
(面倒だから、見えなくしておこう)
オリビアは自分の周囲の屈折率を細かく変えました。処理する方向は、おじさんのいる側だけです。その方向から来る視線には、オリビアの身体がある場所へ、その向こう側の景色が続いて見えるように光を曲げます。
チャトラ、ミミ、タマからも、受付のお姉さんや周りの冒険者たちからも、いつもどおりオリビアが見えています。怪しいおじさんのいる方向からだけ、オリビアの姿が背景に溶けました。おじさんが少し動けば、オリビアも屈折させる方向を合わせ、そのまま4人で普通に受付へ並びます。
「今日の精算をお願いします」
最初はオリビアです。
役場から届いた作業記録と、オリビアの依頼書が照合されました。最初に割り当てられていた清掃は1人分でしたが、実際にオリビアが清掃した範囲は6人分として計算されていました。
「基本の5/10フローリンは、もう受け取っていますね。追加は5人分なので、2フローリンと5/10フローリンです」
「はい」
オリビアは追加分を受け取りました。これで清掃作業については、合計3フローリンです。
受付のお姉さんは、役場から来ている連絡をもう一つ確認しました。
「慰霊碑の周りのお花や、道沿いの植物の分は、今回の依頼には入っていませんので、清掃分だけの精算です。でも、ああいう作業を今後お願いすることがあるかもしれないそうです。そのときはよろしくお願いします、とのことです」
「分かりました」
植物に魔法をかけたのは、オリビアが自分でやったことです。今回はそれで十分でした。
続いて、チャトラ、ミミ、タマの3人です。警備側からは、3人が仕事中に逃走者を追いかけて捕まえ、その際にペンキをかぶったことまで報告されています。現場の上司がそこで勤務終了としてサインしているため、短くなった時間について3人へ責任を求める扱いにはなりません。
「3人とも、勤務時間が短くなった分の減額はありません。業務上の事故です。それから、衣類などにかかる分として、それぞれ5/10フローリン追加です」
「よかった」
「服、きれいになったけどもらえるんだ」
「事故の分ですからね」
3人はそれぞれ5/10フローリンを受け取りました。
精算が終わると、タマがさっきのおじさんの方をちらりと見ました。
「怪しい人いるし、もう帰ろうよ」
「そうしようか」
4人とも、ギルドでの用事は終わっています。
今日は学校も臨時休校です。予定していなかった追加のお金も入ったので、しらかば亭へ戻る途中には、何を食べようかという話になりました。
「何か追加で食べようよ」
「私、さっき唐揚げだったから、今度はチャーハンにする」
「じゃあ私もチャーハン」
「私も」
「私もチャーハンがいい」
注文は4人ともチャーハンに決まりました。
「唐揚げも頼もうよ」
「エビのフリッターも食べたい」
「それも頼もう」
そんな相談をしながら4人はギルドを出て、しらかば亭へ向かいました。
係官は、そのときもオリビアを見つけられませんでした。チャトラ、ミミ、タマの3人が出ていく姿は見えていても、そのすぐ近くを歩くエルフだけは、係官の視線から抜けています。
*
しらかば亭へ戻ると、4人は相談していたとおりチャーハンを注文しました。それに唐揚げと、エビのフリッターも追加します。
オリビアは少し前にも唐揚げを食べていますが、今度はチャーハンが主役です。大きな皿の唐揚げとエビのフリッターは、4人で手を伸ばせるところへ置かれました。
学校は臨時休校で、今日の仕事の追加精算も終わっています。4人はチャーハンを食べながら、今日あったことを話していました。
*
その間も、丘の上町の冒険者ギルドでは、係官が待ち続けていました。来てから、もう4時間ほどになります。南の国から届いた容姿の情報もあり、このギルドへ出入りするエルフが一人だけだという話も聞いています。それでも肝心の本人を見つけられず、係官はようやく受付へ行って身分証明書を出しました。
「海の向こうの帝国の者です。オリビア様にお会いしたいのですが、こちらにはいつ頃いらっしゃいますか」
受付のお姉さんは身分証明書を確認しました。4時間近くギルドの中に立ち、人の出入りを気にしながら周囲を見続けていた理由は、これで分かりました。受付のお姉さんは、オリビアの居場所を伏せたまま返事をしました。
「今日はもう来ないように思いますよ」
近くでは、仕事を終えて酒を飲んでいた冒険者たちも話を聞いていました。見慣れないおじさんがずっとギルドに立っていたことは、みんな知っています。
一人が杯を持ったまま笑いました。
「今日はもう来ねえな」
隣にいた冒険者も、すぐにうなずきます。
「うん、まずもう来ねえな」
何人かが笑いました。
酒が入っていても、受付のお姉さんが余計なことを話すつもりがないことは、みんな分かっています。みんな、オリビアの行き先については口を閉じたままでした。
やがて、係官が北の国へ戻る時間になりました。ここからは、新しくできた切り通しを通って戻ります。これ以上待っていると帰りの予定にも間に合わなくなります。
「分かりました。ありがとうございました」
係官は身分証明書をしまい、ギルドを出ていきました。
扉が閉まり、外へ出た姿が見えなくなると、ギルドの中に笑い声が広がりました。
「いやあ、今日の酒はうまいな」
「うまいなあ」
誰かが杯を上げると、近くの冒険者も笑いながら自分の杯を上げました。仕事帰りにいつも一緒に飲んでいる仲間たちです。受付のお姉さんも、呆れたような顔をしながら笑っています。
その夜のギルドでは、いつもより少しだけ酒がおいしかったようです。




