第62章 オリビアはガンガゼみたいな人を治します。
第62章 オリビアはガンガゼみたいな人を治します
爆発音がしてから、治安部隊が動き始めるまで早いものでした。
旧租界の道路へ兵士たちが出て、人を下がらせながら周囲を確認しています。爆発した食堂の前にも何人かが集まり、道路の一部をふさぎました。
犯人らしい人物は、すでに拘束されています。
オリビアが外へ出たときには、治安部隊の人たちが爆発した場所を調べていました。
「ここなんだ」
爆薬は、食堂の建物と、その脇へ止めた荷車の間に置かれていたようです。
道路の中央で爆発したのではなく、食堂の壁へかなり寄せた位置でした。
そのため、爆風と飛散物の被害は食堂側へ強く出ています。荷車の木材、車輪や金具、積み荷らしい破片まで加わり、食堂の外壁には木片、ガラス片、鉄片、そのほかいろいろなものが突き刺さっていました。
道を挟んだ反対側を見ると、窓ガラスはかなり割れています。それでも壁や建物そのものの損傷は、食堂側よりずっと軽いものでした。
「向こうはガラスくらいなんだ」
両隣の建物もかなり傷んでいました。
ただし、こちらは人が出てきません。
「両隣は無人です」
店のオーナーが教えてくれました。
「新しく租界になった方へ、もっと広い建物を借りて移転したばかりなんです」
「それはよかったですね」
「本当に。まだ人がいたら……」
爆発の規模を考えると、かなり運がよかったようです。
治安部隊の話が少しずつ聞こえてきます。
どうやら南の国解放同盟のような人たちによる爆弾事件らしく、狙われたのはこの食堂そのもののようでした。
旧租界の中にあり、商業関係者や軍関係者がよく食事に来ます。今日も、店内にはそれらしい客が数組いました。
軍施設そのものへ爆弾を持ち込むより、こうした店の方が近づきやすかったのでしょう。
オリビアが食堂側の歩道へ目を向けると、少し離れたところに人が倒れていました。
「……あれ」
30歳くらいに見える帝国人の女性です。
服にも身体にも、ガラス片、木片、鉄片が何本も刺さっています。長さも太さも向きもばらばらで、遠くから見ると黒い棘の長いガンガゼのようでした。
近づくと、見た目以上に出血がひどいことが分かります。
服は何か所も血で濃く染まり、腕や脚から血が流れています。深く刺さった破片も混ざっていて、足元にも血が落ちていました。
「痛そう……」
女性には意識があります。
周囲の人が、刺さっているものへ手を出しかけては止めていました。抜けば出血がさらに増えるところもありそうです。
オリビアは女性のそばへしゃがみました。
「聞こえますか?」
「……はい」
「エルフの魔法で治療できます。治しますか?」
女性は息を整えながら答えました。
「治して……ください」
「分かりました」
オリビアは洗浄魔法の基準時刻を、3分前に設定しました。
今の女性本人を残し、3分前以後に身体へ入り込んだ彼女以外のものを汚れとして扱います。
爆発で刺さったガラス片、木片、鉄片、細かな異物は、どれもこの3分間で女性の身体へ入り込んだものです。
「3分前。本人以外を汚れにして……」
近くを見ると、まだ使っていないバケツがありました。
「これ、借りますね」
洗浄魔法を発動します。
女性の身体へ刺さっていた異物が一斉に取り除かれました。
大きなガラス片も、深く入った木片も、細い鉄片も、傷口へ入り込んだ細かな破片も身体から外れます。
そのまま捨てず、洗浄で除去したものは借りたバケツの中へ戻しました。
ガラガラと音がします。
異物が抜けたことで、破片が栓のようになっていた傷からも血が出始めました。
オリビアはすぐ次の魔法へ移ります。
「まず中から」
切れたり裂けたりした神経をつなぎ、血管を元の経路へ戻します。筋肉や、そのほか内部で連続していた組織も、損傷前のつながりへ戻していきます。
出血していた血管がつながると、流れ続けていた血が止まりました。
内部の接続を戻したあと、脂肪層へ回復魔法をかけ、最後に皮膚を復元します。
「これで大丈夫かな」
さっきまで破片だらけだった身体から、刺創が消えていました。
女性は腕を少し動かし、それから脚も確かめました。
「……痛くない」
「神経もつないであります。変な感じはしますか?」
「少しふらふらします。でも、さっきの痛みは……」
大量に血を失った直後です。回復魔法で傷を戻しても、流れ出た血は外に残っています。
「しばらく座っていた方がいいですね」
女性はうなずきました。
身体の傷は戻りましたが、服はひどい状態のままです。
ガラスや木片が貫いた穴、裂けた布、血で汚れたところがそのまま残っています。
「服は……困りましたね」
オリビアの収納には着替えがあります。
ただしエルフの服です。
しかも、目の前の女性とは体格が合いません。
「私の服だと着られないです」
店の若い女性店員が、奥から大きめの布を持ってきました。
「これを使ってください」
「ありがとうございます」
女性はそれを身体へ巻きました。
しばらくすると、道路の向こうから軍人らしい男性が急いで来ました。
「大丈夫か!」
さっき治療した女性のところへ真っすぐ来ます。
「あなた……」
夫のようです。
2人はこの店で昼食を一緒に食べる約束をしていて、待ち合わせの途中で妻の方が爆発に巻き込まれたようでした。
服装や周囲の兵士の反応を見ると、かなり上の階級にいる軍人らしく見えます。
「何があった?」
「爆発に巻き込まれて……この方に治していただいたの」
夫は妻のぼろぼろの服と、ほとんど傷の残っていない身体を見比べました。
「治した?」
オリビアは、説明した方が早そうだと思いました。
「町の雰囲気が少し怪しかったので、ぶつかってくるものに反応する防御魔法をずっと使っていました」
夫がオリビアを見ます。
「防御魔法?」
「はい。このお店へ入ってからは、建物が壊れて埋まると嫌だったので、範囲を内壁の内側いっぱいまで広げています。だから店の中へ飛び込むものには効きました」
オリビアは外壁を指しました。
「外壁は範囲の外なので、そのままです」
木片やガラス片、鉄片が大量に突き刺さった壁です。
「外壁もガンガゼみたいになっています」
「ガンガゼ?」
「棘がいっぱいある海の生き物です。それで、こちらの方も同じような状態でした」
妻の方を示します。
「全身にガラスや木や鉄が刺さっていて、出血もかなり多かったです。意識があったので、エルフの魔法で治療するか聞きました。治してほしいと言われたので、3分前を基準にして、本人以外を汚れにする洗浄魔法で刺さっていたものを除去しました」
オリビアはバケツを指します。
「取れたものは、あそこに入っています。そのあと、神経や血管や筋肉などの接続を回復させて、脂肪層と皮膚も戻しました」
夫がバケツを見ました。
血の付いたガラス片、木片、鉄片がかなり入っています。
「これが全部……」
「はい」
妻本人も言いました。
「私が治してほしいとお願いしました」
説明は終わりました。
「では、私は帰りますね」
オリビアはその場を離れようとしました。
夫が何か言うより先でした。
「待て!」
治安部隊の若い兵士が前へ出て、オリビアへ剣を突き出しました。
「え?」
町へ入る前から常時発動にしていた防御魔法が反応します。
武器による攻撃です。
剣だけを対象にせず、剣を持って攻撃している兵士全体を1つとして判定し、M⁻¹をかけました。
剣も兵士も、質量が一気に1/1000000になります。
成人男性の身体が70Lほどの体積を持っているなら、空気70L分ほどの浮力はそのままです。一方で、70kgだった質量は約70mgまで小さくなっています。
下向きの重さはほとんど消え、体積だけは人間のままです。
「わっ――」
兵士は直立した姿勢のまま、頭を上にして猛烈に浮き上がりました。
急激な変化で意識も失います。
店先の庇は爆発ですでに傷んでいました。
兵士は頭からそこへ突っ込み、庇の一部を抜けて上へ出ました。
「……」
オリビアが見上げます。
その様子を見た、もう1人の治安兵が動きました。
1人目がどうなったのかを目の前で確認したうえで、それでも剣を構えます。
時間差はごくわずかでした。
オリビアはまだ1mも進んでいません。
「止まれ!」
2撃目です。
こちらも剣と兵士全体へM⁻¹がかかりました。
「うわっ!」
2人目も一気に上へ持ち上がり、意識を失います。
ほぼ同じ場所から上へ飛び、1人目と同じように爆発で傷んだ庇の部分を抜けて上へ出ました。
通常の身体へ、これほど大きな加速度が加われば脳への損傷が問題になります。
今回は脳も血液も骨も筋肉も、身体全体と一緒に質量が1/1000000です。脳そのものの慣性も極端に小さくなっているため、加速度の数字だけを普通の人体へ当てはめたような損傷にはなりにくい状態でした。
オリビアは足を止めました。
残っている治安部隊の兵士たちと、軍人たちを見ます。
「敵対しますか?」
その場が止まりました。
治安兵たちは、剣を抜くべきか下ろすべきか判断できずにいます。
さっき来た夫も、すぐには言葉を出せませんでした。
そのとき、食堂の客の中から、しっかり通る声が飛びました。
「全員、動くな」
軍人です。
妻の夫よりも、さらに上の立場にいることが周囲の反応ですぐ分かりました。
その人はオリビアを見て、短く答えます。
「敵対はしない。」
それでも、若い治安兵の1人が剣を下ろしきれず、オリビアと上官を見比べています。
高官の表情が変わりました。
「武器を下ろせ!」
店の前へ響く声でした。
若い兵士がびくっとします。
「聞こえなかったのか! 下ろせ!」
ようやく剣先が地面へ向きました。
オリビアは残った兵士たちの武器が下がったのを確認します。
「では、2人も戻しますね」
庇の上にいる2人と剣へ本来の質量を返すのと同時に、2人へかかる重力の有効値を10%にしました。
身体の質量は元へ戻り、下向きの重力だけが通常の10%になります。
2人は庇のところから、ゆっくり地面へ下がってきました。
オリビアは重力の向きも少し調整し、壁や人へぶつからない位置へ降ろします。
地面へ着くころには、2人とも意識が戻り始めていました。
「……ここは」
「動けますか?」
治安部隊の現場責任者が2人を確認します。
「はい……」
2人とも頭を押さえたり、身体を確かめたりしていますが、大きな外傷は見当たりません。
さきほど全身を治療した女性を見ていた、もっと高官の軍人は、オリビアをじっと見ていました。
エルフの治療魔法を使える。
その時点でハイエルフだと分かります。
そして、治療魔法を扱えるハイエルフなら、エルフ社会ではほぼ侯爵以上の上級貴族です。
もっと高官には、若い兵士たちが誰へ剣を向けたのか、その重さも見えていました。
「中へ入ろう」
その声で、関係者が食堂へ戻ることになりました。




