第6章 オリビアは交通手段を調べます。いちどでも使った交通機関の定義にひっかかりを感じます。
第6章 オリビアは交通手段を調べます
冒険者ギルドを出るころには、午後もかなり進んでいました。
財布は朝よりずっと重くなっています。
回復魔法の精査で受け取ったのは88.8フローリンです。1フローリンを約9,000円と見れば、88.8フローリンは日本円で約799,200円です。宿代は一週間分をすでに払ってありますし、日本で銀行に入っていたお金は冒険者カードの残高になっています。
「生活、安定したかも」
さっきギルドでもそう思いました。
今日はもう仕事を探さなくてもよさそうです。
オリビアは宿へ戻ります。
通りには、朝とは違う人の流れがあります。荷車が通り、店の前では品物を片づけ始めているところもあります。まだ夕方には少し早いのですが、初めて見る町なので、何時ごろから一日が終わり始めるのかも分かりません。
宿へ戻ると、カメリアさんがいつものように声をかけます。
「おかえり、オリビアちゃん」
「ただいま帰りました」
世界の中では数日前からここへ泊まっています。
オリビア自身にとっては、昨日に続いて二回目の「ただいま」です。
そのまま二階の部屋へ上がります。
扉を閉めると、ようやく一人になります。
ベッドへ腰を下ろして、冒険者カードをもう一度見ます。
冒険者カードには、弓使い200と回復魔法100が登録され、ランクはEのままです。
今日はずいぶんいろいろ増えました。
「そういえば、こっちも見てなかった」
神様からもらった能力の一つです。
前世で一度でも利用したことがある交通手段を、この世界へ呼び出せます。
神様から聞いたときは、今日乗ってきた観光バスも、電車も、飛行機も対象になると言われました。
あのときは、自分がこれまで何に乗ったことがあるのか、思い出すとかなり多そうだと思っただけです。
実際の候補一覧を、まだきちんと見ていません。
オリビアはステータス画面を開きます。
「……多い」
予想していたよりずっと多いです。
最初に目に入るのは、自転車です。
普通の自転車は、子どものころから何度も乗っているので選べます。
ところが、電動アシスト自転車を探すと、表示はありますが選べません。
「ロックされてる」
乗ったことがありません。
同じ自転車でも、普通の自転車に乗った経験だけでは電動アシスト自転車までアンロックされないようです。
ゲームで、条件を満たしていない装備が灰色になっているのとよく似ています。
「じゃあ、バイクは?」
この世界で冒険者をするなら、オフロードバイクはかなり便利そうです。
舗装されていない道を走れますし、馬より速く、荷物も少し積めて、狭い道にも入りやすそうです。
ところが、オフロードバイクは選べません。
ほかのバイクも同じです。
「……一台もない」
考えてみれば当然でした。
オリビアは日本で高校生でした。
日本では、高校生をバイクから遠ざける三ない運動が長く続いてきました。
免許を取らせない、バイクを買わせない、バイクに乗せない、という考え方です。
三ない運動は1970年代に始まり、1982年には全国高等学校PTA連合会が「免許を取らせない・乗せない・買わせない」を全国的に推進しました。全国組織としては1997年に方針を弱め、2012年には三ない運動そのものから方向転換していますが、学校や地域単位の免許取得禁止や届出制などは、その後も長く残りました。
国内の二輪車需要は1982年度の約327万台がピークでした。近年は30万から40万台程度です。
さらに2025年度の調査では、新車購入者の平均年齢は56.5歳で、40代以下は21%です。購入形態も、新規購入11%に対して、再購入19%、買い替え53%でした。
日本で高校生とバイクの接点が長く細くなってきた結果として、オリビアもその環境の中で高校生活を送っています。
オリビア自身も、その流れの外にはいません。
バイクの免許を取ったことも、自分のバイクを持ったこともありません。友達や家族のバイクの後ろへ乗ったことさえなく、タンデム乗車の経験も一度もありません。
知識としてオフロードバイクを知っていても、利用経験がありません。
だからアンロックされません。
「これ、痛いなあ」
冒険者生活で使えそうな乗り物なのに、出せません。
コンコルドや戦闘機を出せる能力があっても、オフロードバイクは一台も出せない。
「変な能力」
でも条件は一貫しています。
知っているかどうかではなく、乗ったことがあるかどうかです。
次に馬を探します。
「あ、ある」
これは選べます。
昔、乗馬をしたことがあります。
馬なら前世で実際に乗っています。
「馬、出せるんだ」
選択しようとしたところで、神様からの注意表示が出ます。
《この交通手段の召喚は、現在の状況では推奨されません》
「なんで?」
理由を開きます。
馬は生き物なので、呼び出したあとも餌と水が必要で、休ませる場所も要ります。
厩舎を用意し、身体の手入れをし、蹄を見て、病気や怪我にも対応しなければなりません。
オリビアには乗馬経験はありますが、馬を育てた経験はありません。
継続的な飼育に必要な手間と費用が、今のオリビア一人が移動することで得られる便利さを上回る、と表示されています。
「……やめとこう」
出せることと、出した方がいいことは別のようです。
少し面白くなってきました。
鉄道を開きます。
「うわ」
こちらも多いです。
在来線だけでなく、新幹線も何種類か選べます。
「新幹線、出せるんだ」
もちろん乗ったことがあります。
しかも車両だけが出てくるのではなく、必要な線路と電化設備も一緒に現れ、信号や保安に必要な設備まで、その区間だけで完結して使えるスタンドアローンの系統として成立します。
一編成で千人近くを運べるものもあります。
「千人……」
今はオリビア一人です。宿から町の外へ移動するために千人近くを運べる新幹線を出す意味はなく、表示にも現在は非推奨と出ています。使えないのではなく、今の用途には大きすぎるだけです。
「これ、避難とかならすごいかも」
大勢を一度に運ばなければならない状況なら、評価は全く変わるでしょう。
今は必要ありません。
航空機を開きます。
こちらも、思った以上にあります。
「ヘリ、こんなに乗ってたっけ」
ヘリコプターがいくつか並んでいます。
前世で搭乗したことがある機種です。
しかも、呼び出した交通手段には、それを扱うための操縦能力まで含まれています。
オリビア自身が日本でヘリコプターを操縦したことはありません。
けれど、この能力で呼び出した機体なら操縦できます。
「バイクは出せないのに、ヘリは飛ばせるんだ」
ますます変です。
実際に搭乗したことのあるセスナ172もあり、その先にはコンコルドまであります。
「これもあるんだ」
パリへ行ったとき、博物館で保存されているコンコルドの機内へ入っています。
その機体は、今は旅客機として飛んでいません。
それでも航空機という乗り物として実体が残っていて、オリビアは実際に中へ入っています。
だからアンロックされています。
B-757を探すと、こちらはロックされています。機種としては知っていますが、実際に乗ったことがありません。
「757はないんだ」
日本で普通に暮らしている高校生なら、757に乗る機会は多くありません。
知っているだけではだめです。
さらに軍用機の方を見ると、F-4JとF-1もあります。
「浜松だ」
浜松基地の博物館へ見学に行ったとき、展示機のコックピットへ入っています。
飛行したわけではありません。
それでも機体そのものは航空機として残っていて、コックピットに座った経験があります。
コンコルドと同じ判定です。
現状でフライアブルかどうかは、アンロックにはあまり関係がないようです。
ただし、固定翼機には大きな注意書きがあります。
《滑走路として使用できる用地を確保できる地点で召喚してください》
その下にも続きがあります。
《必要な滑走路の生成は、現在の地形より優先されます》
「……これ、怖いやつだ」
航空機を空き地へ置くだけではありません。
その機体を運用するために滑走路が必要なら、滑走路まで成立させます。
そして、滑走路を作る必要がある場合、今そこにある地形より滑走路が優先されます。
森だから木を残してくれる、畑だから避けてくれる、建物があるから滑走路を曲げてくれる、という意味ではありません。
必要な用地をきちんと確保できる場所で召喚しなければいけません。
「町の近くでF-4出してみよう、とか絶対だめだ」
強い能力ですが、何も考えずに使ってよい能力ではありません。
船の一覧も開きます。
「こっちも多い」
部活の遠征でも家族旅行でも船を使ったことがあるので、フェリーが何種類も並んでいます。乗った港も船も一つではありません。
ただし、今の一人の冒険者生活には大型フェリーも大きすぎるため、非推奨の表示が多く付いています。
「まあ、そうだよね」
ここで、見覚えのある船を思い出します。
「グラスボートは?」
探してみますが、候補にはありません。海へ出て船底の窓から海中を見るグラスボートには実際に乗ったことがありますが、出発した場所へ戻ってきます。
「これ、交通手段じゃないから?」
思い当たるものがもう一つあります。ナガシマスパーランドで乗ったスチールドラゴンです。長い距離をものすごい速度で走りますが、最後は出発した乗り場へ戻るため、候補にはありません。
「やっぱり」
子どものころによく乗ったサトちゃんライドも候補にはありません。確かに人が乗るものですが、乗ることそのものを楽しむ遊具であって、人を別の場所へ運ぶ交通手段ではありません。
一方で、遊園地の子供用の電動パンダは候補にあります。
「パンダはあるんだ……」
自分で進む向きを決めて、その場所から別の場所へ移動できます。
見た目はどう考えても遊具ですが、移動手段として使うことはできます。
神様の判定は、見た目や格好よさではないようです。
乗ったことがあるだけでも足りません。
その乗り物が、人をある場所から別の場所へ運ぶ交通手段として成立している必要があります。
「かなり分かってきたかも」
今度は、旅行先で乗った船を思い出します。
真珠湾で見学したミズーリがあります。保存艦なので今は戦艦として航海していませんが、戦艦という乗り物として実体が残り、オリビア自身も艦内へ入っているのでアンロックされています。同じ真珠湾で見学し、実際に艦内へ入った保存潜水艦ボーフィンもアンロック済みです。
ところが、アリゾナはありません。
「同じところで見たのに」
少し考えます。
アリゾナは海中に沈んだ船体を残す慰霊施設で、見学はしましたが、現在のアリゾナは人を運ぶことのできる艦として存在しているわけではありません。
ここでも、現在実際に航行できるかどうかとは少し違います。
ミズーリやボーフィンは現役ではなくても、船という乗り物としての実体が残っています。
コンコルドや浜松のF-4J、F-1も同じです。
飛べるかどうかより、今もその個体が乗り物として存在しているかどうか。
沈没したアリゾナは、その条件から外れるようです。
「なるほど」
一覧は、自分が前世でどこへ行き、何に乗ったのかをかなり正確に拾っています。
自動車を開くと、また数が増えます。
「これ、家の車全部あるじゃん」
家族で代々乗ってきた自家用車が並びます。父や母の車だけでなく、祖父母の車や、買い替える前の古い車まであります。
オリビア自身が助手席や後席へ一度でも乗ったものは、全部アンロックされています。
その中に、懐かしい車があります。
「サンバー」
営農サンバー4WDです。
おじいさんが畑へ行くときに使っていた車です。
オリビアも何度か助手席へ乗って、一緒に畑へ行きました。
だからアンロックされています。
「これ、使えそう」
オフロードバイクほど細い道へは入りませんが、4WDで荷物を積めますし、雨や泥にも普通の乗用車より対応しやすそうです。
何より、馬のように餌や厩舎を用意する必要がありません。
今のところ、冒険者生活で実際に使う候補としてかなり上位に入りそうです。
バスを開きます。
「……多っ」
今までで一番驚くくらい並びます。
オリビアは高速バスをよく利用していました。
部活の遠征や移動でも使っています。
同じ高速バスでも、乗った会社や車体、世代が違い、三列独立席の車両もあれば四列席もあります。
乗った当時は、毎回車両形式を確認して集めていたわけではありません。
でも能力の側は、実際に利用した車両をきちんと記録しているようです。
「こんなに乗ってたんだ」
市バスも多いです。
駅へ行くときや、学校や買い物へ出かけるとき、部活で移動するときにも使っていました。日常の中で何気なく乗ったバスが、種類ごとに残っています。
高速バスより小回りは利きますが、それでも一人で冒険へ行くために使うには大きいものが多そうです。
一覧を見ていると、自分の前世の生活そのものが並んでいるような気がしてきます。
家族旅行で乗った車や列車があり、部活の遠征で利用した高速バスやフェリーがあります。学校や買い物へ行くために乗った市バスもあれば、おじいさんの畑へ行くときに助手席へ乗った営農サンバー4WDもあります。
海外旅行で乗った飛行機や船もあります。真珠湾で艦内へ入ったミズーリやボーフィン、パリの博物館で機内へ入ったコンコルド、浜松基地の博物館でコックピットへ入ったF-4JやF-1まで並んでいます。
何気なく乗ったものまで、全部ここへ残っています。
そして、乗った経験がなければ、どれほど便利そうでも使えません。
電動アシスト自転車もオフロードバイクも、乗った経験がないので呼び出せません。B-757も機種としては知っていますが、実際に搭乗したことがないためロックされたままです。
逆に、今すぐ必要とは思えない新幹線や大型フェリー、コンコルド、戦闘機、戦艦、潜水艦はアンロックされています。
「戦闘機は出せるのに、バイクは出せないんだ」
声にすると、やっぱり変です。
でも、神様の能力が気まぐれに選んでいるわけではありません。
対象になるのは、前世で実際に利用したことがあり、交通手段として成立しているものです。保存されていても、今も乗り物として実体が残っていれば対象になり、実際に使うときには現在の場所や用途に応じて非推奨の警告が出ます。
固定翼機のように必要な設備まで一緒に成立するものは、召喚場所にも注意しなければなりません。
「すこし分かってきたかも」
最初に神様から説明されたときより、ずっと具体的に分かります。
まだ全部を調べたわけではなく、知らない表示もありますが、今日はこれで十分です。
オリビアはステータス画面を閉じます。
部屋の中が急に静かになります。
窓の外を見ると、いつの間にか夕方です。
下の食堂から料理の匂いが上がってきます。
「もうごはんか」
夕食の時間になったので、下の食堂へ降りていきます。
食堂には、もう何人か座っています。
カメリアさんがオリビアを見ると、空いている席を示します。
「オリビアちゃん、こっちだよ」
「はい」
席へ座ると、今日の夕食が運ばれてきます。
赤みのあるスープには野菜がたくさん入り、肉も入っています。
「ボルシチみたい」
もちろん、この世界の料理なので日本で知っているボルシチそのものではありません。
でも見た目も匂いもかなり近いです。
横にはパンがあります。
今日のパンも硬めです。
オリビアはパンを少しちぎります。
「でも、今日は大丈夫」
ボルシチ風の肉入りスープがあります。
硬いパンは、そのままかじらなくてもいいのです。
スープへ浸します。
少し待つと、パンがやわらかくなります。
口へ運びます。
「おいしい」
肉も普通に食べます。
この世界のエルフは、基本的に肉を食べないそうです。
でもオリビアはエルフの文化で育っていません。
昨日まで日本の高校生でした。
それもアーチェリー部で練習や遠征をしていた体育会系の女子高校生です。
肉を避けて育ったわけではありません。
身体が純エルフになったからといって、昨日までの食習慣まで消えたわけでもありません。
肉入りのスープを見て、普通においしそうだと思います。
そして普通に食べます。
今日は朝から冒険者ギルドへ行き、能力についての講習を受けたあと、弓の精査で実際に射ち、続いて回復魔法で三人を治しました。最後には、思ってもいなかった額の報酬まで受け取っています。
宿へ戻ってからは、自分が前世でどれだけたくさんの交通手段に乗っていたのかを、ずっと確認していました。
ずいぶん長い一日です。
オリビアは硬いパンをもう一つちぎり、赤いスープへ浸します。
今度は肉と一緒に食べます。




