第58章 オリビアは学校へ戻れそうです。
第58章 オリビアは学校へ戻れそうです
お昼ご飯を食べると、オリビアは学生証を持って丘の下町へ行くことにしました。
丘の下町は、しらかば亭のある丘の上町よりもかなり大きな町です。
飛んでいけば早く着きます。
でも、せっかく乗り物を呼び出せるのですから、今日はTALONにしました。
「乗り物は様式美だよね」
オリビアはTALONを呼び出しました。
今日は重力を扱う魔法も使って、少し楽に走ることにしました。
自分とTALONにかかる重力の有効値を少し小さくします。
そのうえで、重力の向きをほんのわずかに進行方向へ傾けました。
前へ引かれる成分ができます。
軽くペダルを踏むだけで、TALONはするすると前へ進みます。
「電動アシストみたい」
速度は15km/hくらいです。
今日は街道の景色を見ながら、15km/hくらいでのんびり走ります。
下り坂へ入ると、今度は重力方向をわずかに後ろへ傾けます。
進む向きと反対側へ少しだけ力がかかり、下り坂でも15km/hくらいを保てます。
「バイクが使えたら便利なんだけどなあ」
召喚できる乗り物には、実際に利用した経験が必要です。
オリビアが日本で通っていた高校では、いわゆる3ない運動が続いていました。
高校時代の移動は自転車やバスが中心です。
召喚できる乗り物には実際に利用した経験が必要なので、バイクの一覧は使えないままです。
「こういうところで効いてくるんだ」
TALONなら乗ったことがあります。
今日はこちらで十分です。
約1時間走ると、丘の下町の市街地へ入りました。
丘の上町より建物も人も多く、道も広くなっています。
オリビアは総合庁舎まで行き、入口の近くでTALONを収納しました。
1時間ほど風を受けて走ってきたので、髪を手で直します。
服も軽く整えてから庁舎へ入りました。
「オリビアさん、今日は何のご用件ですか?」
総合案内の人が、顔を見るなり声をかけました。
「名前を言うな」
頭の中で思います。
でも、少し考え直しました。
このあたりでは、もうかなりの人に名前を知られています。
この町では顔と名前がすっかり知られています。受付で名前を呼ばれるのも、もう日常の範囲でしょう。
「学校のことで聞きたいことがあるんです」
オリビアは学生証を見せました。
受付の人が確認します。
「学校関係でしたら、3階の文教系窓口ですね」
「ありがとうございます」
オリビアは3階へ上がりました。
文教系の窓口へ行き、もう一度学生証を出します。
「これについて聞きたいんですけど」
担当の人が学生証を受け取りました。
東の大国の国立学校、通信教育課程。
スクーリング先として、「神聖ボグダン王国スクーリング分校」と書かれています。
神聖ボグダン王国。
「ボグダン」は「神から与えられた」という意味です。王家は、自分たちの国を神から授けられた国とする建国神話を持ち、それを長く国史の中へ組み込んでいました。
国号だけを見れば、ずいぶん立派です。
ところが実際には、勝てそうにない相手へ何度も戦争を仕掛け、そのたびに負けています。そのため周辺では、正式国号より「ヘタレ国」の方がはるかに広く通用していました。
普段の会話なら、ほとんどの人がヘタレ国と言います。
「神聖ボグダン王国」という正式名称が必要になるのは、公文書や学校の在籍記録、行政手続きなど、正式名称を書かなければならない場面くらいです。
発行日は約100年前です。
「かなり前の学生証ですね」
「私もそう思います」
「少し確認しますね」
「お願いします」
担当者は記録を調べ始めました。
オリビアは椅子に座って待ちます。
そもそも、この学生証は神様がこちらの世界に合わせて残したものです。
面倒なら、スマートフォンのように最初から消してしまうこともできたはずです。
それを残したうえで、こちらの世界の学校の学生証へ置き換えています。
「たぶん、うまい具合になってると思うんだけど」
しばらくすると、担当者が何枚かの記録を持って戻ってきました。
「ありましたよ」
「ほんとですか?」
「はい。8代前の校長が入学を許可しています」
「8代前……」
思った以上に古い記録です。
「課題提出が80回。スクーリングが40回ですね」
「そんなに?」
「取得単位は、卒業に必要な単位の半分くらいです」
オリビアは記録を見ました。
「私、けっこう勉強してる」
本人の記憶にはない100年間ですが、こちらの履歴では、通信教育課程へ入学し、課題を80回提出し、40回もスクーリングへ出ています。
「学費の方も確認しました。卒業まで追加費用なしのプランで入学されていますので、まだ有効です」
「追加で払わなくていいんですか?」
「はい」
担当者は続けます。
「無連絡の状態が120年以上になると除籍ですが、オリビアさんの場合はまだ20年ほど残っています」
「ぎりぎりというほどでもないですね」
「エルフの方ですからね。明日から受講を再開できますよ」
「明日から?」
「はい」
100年前発行の学生証について聞きに来ただけなのに、翌日から普通に学生へ戻れることになりました。
「スクーリングは今、どこでやってるんですか?」
「この総合庁舎の別館会議室です」
「ここなんですね」
「毎日、科目が変わります。受講している科目の日に来ていただければ大丈夫です。予約はいりません」
学生証には約100年前の正式な分校名が残っていますが、現在のスクーリングは総合庁舎の別館で受けられます。
担当者は新しい書類を出しました。
「こちらが現在の履修要項です。入学されたころとは、かなり変わっていますよ」
「そんなに変わっているんですか?」
「ええ。ヘタレ国の時代には、王家についての架空の神話まで国史として教えていました。今の国史は史料に基づく内容へ組み直されています。自然科学も、今の体系に合わせて大きく変わりました」
オリビアは履修要項を受け取り、国史と自然科学の欄を開きました。
「100年たつと、学校の中身も変わるんですね」
「国そのものが変わりましたからね」
「学校案内も新しくなっていますので、こちらもお持ちくださいね」
新しいパンフレットも渡されました。
「ありがとうございます」
「それから、王都の本校の講義も受けられます」
「本校も?」
「学生証を持って行かれれば受講できます。ただし、各科目30コマと試験が2回あります」
「30コマ……」
「欠席についてはかなり厳しいです。王都にお住まいでない方には、少し難しいですね」
オリビアなら王都へ行くこと自体はできます。
飛ぶこともできます。
乗り物も使えます。
でも、30回の講義と2回の試験へ、そのたびに王都まで通うとなると話が違います。
「行けるけど、通う距離じゃないですね」
「そうですね」
オリビアは学生証を返してもらいました。
「いろいろ調べていただいて、ありがとうございました」
「いえ。明日からでも大丈夫ですから、履修要項を見てみてください」
「はい」
学生証と履修要項、新しい学校パンフレットを収納へ入れます。
来る前は、100年前の学生証がまだ使えるのかを知りたかっただけでした。
結果は、まだ在籍中。
単位は半分ほど取得済み。
卒業までの学費はすでに納入済みです。
明日から受講を再開できます。
「ほんとに、うまい具合になってた」
オリビアは総合庁舎を出ました。
*
しらかば亭へ戻ると、部屋で新しい学校パンフレットを開きました。
現在の学校には、大きく2つの課程があります。
通信課程。
夜間休日課程。
「2つあるんだ」
2つの課程は単位を相互に利用できる仕組みです。
通信課程の生徒が、特定の科目だけ夜間休日課程へ登録することもできます。
逆に、夜間休日課程の生徒が、一部の科目を通信課程で履修することもできます。
「科目ごとに選べるんだ」
オリビアは夜間休日課程の説明を読みます。
半年間受講すると、1科目につき1単位を取得できます。
ただし、登録した講座は全出席が義務です。
「全出席……」
夜間に開講される科目が6科目。
休日に開講される科目が3科目。
全部登録すれば、半年で9科目を履修できます。
オリビアは曜日と開講表を追いました。
「これ、全部取ったら休みなしだ」
毎日学校へ行けば、それだけ単位取得は早くなります。
王の仕事も、冒険者ギルドの仕事もあります。
通信課程と夜間休日課程を組み合わせれば、自分の生活に合う科目だけ夜間休日課程へ登録できます。
さらにパンフレットを読みます。
夜間の給食についても書かれていました。
「給食もあるんだ」
夜間課程では、仕事を終えたあと食事をせず、そのまま職場から授業へ来る生徒が増えました。
そのため学校側が対策として、夕食を用意するようになったそうです。
「なるほど」
次は教員紹介です。
先生たちは王都の本校から来ます。
年度単位で交替する仕組みでした。
紹介文を見ると、授業方法や専門分野、研究内容まで載っています。
教えること自体が好きそうな先生もいます。
授業紹介は短くても、研究テーマを読むと急に面白くなる先生もいます。
「こっちの先生も気になる」
教えることが好きな先生も魅力的ですし、研究の話をじっくり聞いてみたい先生もいます。
オリビアはパンフレットを最初からもう一度見ました。
「高校と大学を混ぜたみたい」
日本で知っていた高校と大学の仕組みを、少しずつ合わせたように見えます。
こちらには長命種もいます。
100年近く学校から離れていても在籍できるエルフもいます。
通信教育と夜間休日課程を行き来しながら、科目ごとに履修方法を選ぶ生徒もいます。
「まあ、世界が違うし、何が正解か分からないよね」
この世界では、これが普通の学校です。
オリビアは履修要項とパンフレットを収納へ入れました。
*
そのあと、久しぶりに冒険者ギルドへ行きました。
食堂を見ると、チャトラが1人で食事をしています。
「チャトラ」
「あ、オリビア」
「久しぶり」
「久しぶり」
チャトラの前には、スパゲティーの皿があります。
見た目はカルボナーラに近い料理でした。
日本でよく見かけたベーコンクリーム系より、卵とチーズ、それに肉の脂が前に出た作りです。
卵は1皿に2個くらい入っていそうです。
チーズと肉の脂で麺がまとまり、黒胡椒もかかっています。
肉は具としてしっかり入っています。
「おいしそう」
「今日の日替わり」
「そうなんだ」
チャトラはそのまま食べ続けます。
オリビアは近くの席へ座りました。
「チャトラ、これからどうするの?」
「学校行くよ」
オリビアが止まりました。
「学校?」
「うん。丘の下町」
「丘の下町の?」
「国立学校」
「そこ、今日行ってきた」
今度はチャトラが止まりました。
「何しに?」
「私も学生だったみたい」
「だったみたい?」
「学生証が出てきたから、総合庁舎で調べてもらったの。まだ在籍してた」
「へえ」
チャトラは、エルフならそういうこともあるのだろうという顔で聞いています。
「チャトラは何取ってるの?」
「夜間休日課程。国史と国語と数学」
「3科目?」
「うん」
「ミミとタマは?」
「一緒に勉強してるよ」
チャトラは肉を1つ食べてから続けました。
「怪我したときは休んだけど、ギルドで理由書もらったから大丈夫だった」
オリビアは、3人を最初に治療したときのことを思い出しました。
耳も尻尾もひどく傷つき、皮1枚でつながっているところまでありました。
治療と休養が必要な怪我でした。
「学校にもちゃんと出したんだ」
「うん」
「今日は2人いないね」
「先に行ったよ」
「もう?」
「今日の夕食の給食、食べたいメニューだったから」
「給食目当てなんだ」
「そう」
チャトラは笑いました。
「夜の授業って、仕事からそのまま来る人が多いんだよ。ご飯食べないで来る人が増えたから、学校が出すようになったんだって」
「パンフレットにも書いてあった」
「私は今日はこっちの方がいいかなーって」
チャトラは日替わり定食の皿を見ました。
卵とチーズ、それにたっぷり入った肉のスパゲティーです。
「それなら分かる」
オリビアも笑いました。
ちょうど数学について聞いてみたくなります。
日本で習っていた数学と、こちらの学校で教える数学がどのくらい違うのか。
「ねえ、チャトラ。数学って――」
チャトラが最後の一口を食べました。
そして時刻を見ました。
「やばい!」
「え?」
「行ってくる!」
椅子から立ち上がり、食器を返すと、そのままギルドの出口へ走っていきます。
「気をつけてね」
「うん!」
返事だけが遠ざかりました。
オリビアは入口の方を見ます。
「数学、何やってるのか聞けなかった」
学校について知りたいことが、また1つ増えました。




